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7/20 19:55

「お兄ちゃん、それは恋ですね」

「違うがな。恋と違いますがな」

 梨を刺そうとしたつまようじで紀望を指す。

「だって、可愛いんでしょ。その人」

「俺は純粋にカメラに興味があるんやで」

 食器を洗いながら母さんが口をはさんできた。

「アキちゃん、その変な関西弁やめたら?」

「じゃ、ノリの謎敬語もやめるように言ってよ」

 まともにつっこむと角が立つから、ちょっと柔らかくなるように方言っぽくするという俺なりの気遣いなんだこれは。紀望がときどき急に敬語使う理由は知らない。

「興味あるのが女の子だろうとカメラだろうと。どうせアキちゃんはすぐ飽きるんだから」

「一番つづいた書道もやめちゃったしね」

 今も書道教室に通っている紀望には比較されつづけている。

「一番つづいたのはサッカーの三年。書道の一年はその次」

「あ、サッカーがあったか。でもこの間まではまってたなんとかってカードゲームも飽きたんでしょ」

「バトガは対戦相手がいなくなったからやめたんだって、しかも今年受験だし。飽きたのもあるけどちゃんと理由があるの」

「じゃ、サッカーと書道やめたのは?」

「両方ともつまんなくなったから」

「それが理由ねえ」

 母さんが差しだした手に、紀望がつまようじだけ乗った皿を渡す。

「サッカーボールとすずりと一緒に、カメラも押し入れでほこりかぶるに決まってるわ。なんたって、希晶のアキは飽きっぽいのアキなんだから」

「うっ……。そんなことないって。なんていうか、本物を感じたんだよ、カメラには」

「じゃ、今までのは偽物だったってこと?」

 皿洗いが終わり、母さんは手を拭いている。

「さあ。かもね。あのさ、いろいろ調べたいからパソコン使っていい?」

「お父さんに聞いて」

 これだよ。親の承諾がないとインターネットも使えないなんてうちくらいのもんだ。

「あれ、携帯鳴ってる?」

 母さんが部屋へ向かうと、紀望がテーブルに身を乗りだしてきた。

「ね、あたしも見たい。お兄ちゃんの好きな人」

 ふだん静かなくせに、こういう話になるとよく喋るんだよな。

「だから別に好きじゃないって。あれだけ可愛いんだし、もう彼氏とかいるんじゃないの」

「……それはそれで気になりますね」

 自分で言いだして俺も気になってきた。いそう。ていうか絶対いるよなあれは……。ま、俺には縁のない話だ。

「あきらめろって。それにあいつが来るの朝の五時だぞ。二時まで本読んでるお前じゃ無理」

「五時……! だめだ、寝てる。起こして」

 身内にならあきらめも要求できる。紀望は妹だけあってあきらめのポテンシャルは高い。

「アキちゃん! ノリちゃん! お母さんちょっと病院行ってくる!」

 母さんが慌ただしくリビングを駆け抜け、奥の部屋で引き出しをあさりはじめた。

「え、なんで」

「お父さん、サッカーやってて腕骨折したんだって! まったくもうなにやってんだか……」

 紀望がドアの向こうへ心配そうな声を投げる。

「大丈夫なの?」

「たいしたことないみたいだけど、今日は入院で帰れないって」

 ということは……。これはチャンスかもしれない。

「どこの病院?」

 リビングのテーブルに、保険証やら着替えがまとめてどさっと置かれた。

「会社の近く。……アキちゃん、お母さん車でたどり着けると思う?」

「無理だと思う。ナビ入力しようか?」

「お願い。病院の名前、このメモに書いてあるから」

「帰りどうすんの?」

「何時になるかわからないもん。あんたたちは留守番してなさい」

 よっしゃ。来たぞこれは。

「お兄ちゃん、なんで笑ってるの? 不謹慎ですよ不謹慎」

「い、いや、四十過ぎてサッカーで骨折なんて、笑い話にでもしとかなやっとれんやないか」

 弁解は紀望にも母さんにも通じなかった。

「そうかもしれないけど、ちゃんと大丈夫だってわかるまで笑うのはナシ」

「はい。すみません」

 けして心配してないわけじゃないんだぞ。学生時代は体育会系でならしたという父さんだって、打ち所が悪かったらどうなるかわからないんだからな。でも今はカメラの方が先だ。許せ父さん。

「いってらっしゃ~い」

 荷物をまとめて危なっかしく出て行った母さんの車を見送ると、速攻でパソコンの電源を入れた。

「……お兄ちゃん?」

 背中に刺さっているのは、たぶん紀望のさげすむような視線だろう。

「わかっているさ紀望。父さんとの約束を破るのは悪いってことくらい。でも俺はどうしても今日中にネットでカメラを調べとかないと、なけなしの小遣いを本屋で使うことになってしまう」

「お兄ちゃんが守るつもりないのは知ってたけど」

 信用がないのはもうあきらめてる。振り向くと、紀望の表情はやはりかたい。

「で、取引しようじゃないか」

「取引? 告げ口しなかったら何かくれるってこと?」

「俺は右ウィンドウでカメラ、お前は左ウィンドウでお笑い動画」

 どう見ても紀望の唇はほころんでいる。

「しょ、しょうがないですねぇ」

 ちょろいちょろい。俺だって、伊達にカードゲームで戦術を磨いてたわけじゃないんだぜ。紀望がどう出るかなんて想定の範囲内だよ。

「くくっ……。ぷっ……ふふ」

 紀望にはイヤホンをさせたので、なにが面白かったのかさっぱりわからない。音を聞かずに見ると、どの芸人も芸風がシュールになるようだ。

「さて、どこから調べようか……」

 性能が良くて安くてかっこいいカメラ。それは決まってるんだけど、そもそも何をもって良いカメラなのかすらわからないことに気づいた。

 さしあたって、検索ワードは「カメラ レトロ」。

 いま一番気になるのは奏歌のカメラだ。あれはかなり衝撃的だった。

「あ」

 RASER。一覧表示された画像の中で踊るアルファベットに見覚えがある。

 吸い寄せられていく指でタップ。カメラの中古販売のページらしい。

 この写真、そっくりだ。

 カタカナではレイザ。同じメーカーのカメラの中でも、ひときわそっくりなカメラがある。

 正直言ってカメラの違いなんてほとんどわからない。だけど、一目でピンと来た。

 RD―4って型番と、奏歌の手が記憶の中で重なる。

「……え!?」

 ご、ご、ごじゅうにまんきゅうせんえん!?

「あっはははは! あはっ、ひゃははははは!」

 紀望の大爆笑につられて俺も笑いたかった。でも驚きすぎて笑えなかった。

 どうなってんだよ。中古でこの値段かよ。新品いくらになっちゃうんだよ!

 漫才みたいなつっこみに、画面は答えてくれない。

「ぶふっ! きゃーはっ、ひっ、ひひーっふふふ」

 記憶がフラッシュバックする。

中学生のくせに五十二万のカメラを首からぶら下げて、木には登る、川には入る。

アホかあいつ。

俺には、とても真似できない……。


小鳥がちゅんちゅんさえずりだしたころ、そろそろかと思ってカーテンを開けるとやはりいた。

「おーい」

 フェンスの上で器用に座り、東の空を眺めていた奏歌の背は、今日はバランスを崩さなかった。

「あっ、おはよ」

 金網の向こう側へ着地し、大きな声を出せないかわりみたいに大きく手を振る。手招きすると、奏歌は入り口がある南側を指さして首を傾げたので、俺はうなずいた。

冷蔵庫に寄ってから玄関でサンダルをはき、部屋の出窓の前に来る。

「本当に来たんだな」

「もちろんだよ。シャッターチャンスはいつめぐって来るかわからないもん……あっ、ありがとう!」

 右手ですっぱCレモネードの缶を投げ渡す。深夜のコンビニで補給ついでに買ってきてたやつだ。

「ちょうど飲みたいと思ってたんだ。キアキくんは気が利くな~」

 希晶のキは気が利くのキ、と言われたことは、残念ながらまだない。

「このくそ暑い中、夜明け前から写真を撮ろうなんて見上げた人間は、報酬を受けるに値するさ……」

 金網に片肘をかけ、あけぼのを望みながら、俺の左手は十数杯目のコーヒー牛乳のグラスを傾ける。悪くない。

「あれ、キアキくん、なんか顔色悪くない?」

 悪いところもあったようだ。徹夜明けの変なテンションでなんか笑えてきた。

「ふふ……。そう、昨日までの俺とは違うんやで。たった今まで寝ずにネットでカメラについて調べまくっていたのよ」

「え!? 体に悪いよ。大丈夫?」

 美少女に心配されるのもなかなか悪くない。奏歌は昨日の制服ではなく、Tシャツに短パンといったいでたちだった。きっと今日は日曜日だからだろう。

「……それだけ露出が長いと、感光しすぎるんじゃないか」

「え? 今日は太陽がずっと隠れてたから撮らなかったよ?」

 紫から灼けつくような紅色に染まる雲たちを一瞥し、一拍おいて奏歌は気がついた。

「ああ! そうだね。露光した分だけ、色が飛んじゃえばいいんだけど」

 どちらからともなく、くすくす笑い始める。

「はは……」

「ふふ」

 昨日はあんなに距離を感じたのに、今日は通じ合えた感覚がある。

 なんだろう。徹夜のせいかな。今、最高に楽しい。

「ほんとにずっと調べてたんだね」

「まあね。……そうだ! カメラ見せてくれよ」

 奏歌は首からストラップを脱ぐように外し、俺に渡してくれた。震えそうな手で革のケースを開け、型番を確認する。

「RD―4……! これが、本物の……!」

 感動の再会。一晩じゅう憧れつづけた画面上の機体が今、目の前にある。この質感。この手触り。幻じゃない。

「キアキくんは本当にそのカメラ好きだねぇ」

「そりゃそうだよ。レイザのRD―4って言えば、だれもが一度は憧れるよ」

 奏歌は缶を湯呑みのようにすすって言った。

「え? そうなの?」

 絶句。

「へー。お母さんが古くて高いカメラだって言ってたけど、有名なんだ?」

「おま……奏歌お前……これが何か知らずに使ってたの?」

「カ、カメラでしょ」

 やっと働きだした頭に浮かんだ言葉は、「天然も大概にしやがれ」だった。

「カメラはカメラでも! これはRD―4っていう超有名なカメラで、買うと中古でも五十万以上はするやつなんだよ!」

 奏歌がすっぱCレモネードを本当に吹き出したので、ちょっと汚いと思った。

「うそ!? そんなにするの!?」

「知らなかったのか。まじで」

 おそるおそる奏歌の両手が俺からRD―4をすくい上げる。

「うん……」

彼女は焦点距離計がずれてそうな視線をカメラのレンズに硬直させた。たぶん、今までの自分の雑な扱い方が走馬灯のように駆け巡っているのだろう。

「まあいいか。カメラはカメラだし」

「まあいいかってことあらへんがな!」

 なんで俺は徹夜明けで早朝から漫才をしなければならないのか。お笑いは紀望のせいでもう見飽きたよ。

「……キアキくんって、ときどき変な関西弁使うよね」

 ついに突っ込まれてしまった。でも今はそんなことどうでもいい。

「いいか? これはレイザって会社が作った、当時のカメラ界を激震させた傑作なんだ。いま存在するすべてのカメラは、このレイザが原型と言われてるんだぞ」

「ふーん」

 あ、だめだこれ。聞いてないやつだ。そりゃ朝焼けがきれいだけどさ、せめてこっち向いててくれてもいいじゃん。

「ちょ、もう一回貸して」

「あ、ごめん。はい」

 レンズキャップを外してあったのは、太陽が出たらすぐ撮れるようにするためだろうか。

「これ、いつから使ってる? 写真がちゃんと撮れてるってことは、使い方は詳しいんだよな?」

「あ、うーんと……。ちょうど一か月くらい前。お母さんから教わった程度」

 奏歌は指で頬をかく。俺はため息をつく。

「てことは、お前はまだこのカメラの性能を十分引き出せてないことになる。それじゃ、いくら頑張って朝早く起きても、あの憧れの写真みたいな朝焼けは撮れないと思うけど」

「ええっ!? それはやだよぉ!」

 ようやく事の重大さがわかったらしく、奏歌は俺に向きなおった。

「あの写真見せてみろよ」

「う、うん」

 フェンスに立てかけてあったリュックサックから、例のファンシーなキャラもののファイルが出てくる。毎度のことながら中にある渋いモノクロ写真とのギャップがすごい。

「これがおじいちゃんの写真で、こっちは私の撮った写真」

 こうやって写真をにらみつけるのは何度目だろうか。あれからまだ一日だというのに。

「構図はほとんど一緒だし、たしかに似てるけど、よく見るとやっぱり違うな」

「うん。全然違う。全然、んん~っ! って来ないもん」

「まったくわからん、その言い方」

「え~……。わかってよ」

 奏歌は地面にしゃがみこんだ。無茶言うな。

「……でもまあ、気持ちはわかるかも。こっちの写真はなんかこう、迫ってくるものがあるというか、力を感じるけど、こっちにはそれがないっていうか。昨日調べてたんだけどさ、写真の風味とか雰囲気って撮り方によって全然違うんだな。同じ時間、場所、被写体でも光の露出とか、フレーミングとかシャッタースピードとか。もちろん機材や現像でも変わるし。昨日俺が言った、写真は撮るだけなんてのは間違いだったよ」

 黙って見上げていた奏歌が急に立ち上がる。顔がぶつかるかと思って焦った。

「キアキくん! カメラだけじゃなくて、写真にも興味持ってくれるようになったんだ!」

 そんな朝日のような、希望と期待に満ちたまなざしはよせ。

「……今ははまってる。でも、いつ飽きるかはわからないんやで」

「そうだとしても、今、カメラと写真が好きっていう、その気持ちは本物だよ!」

「あ……。うん」

 そんなふうに考えたことはなかったな。そう強気で言われると、素直に諭されてしまった。いつも何かに飽きた後は、時間を無駄にした感じでいっぱいだったけど。

「ね、どうしたらこの写真みたいなのが撮れるのかな」

「機材が同じなら技術的な問題でしょ。お前のじいさん、プロの写真家だったの?」

「ううん。写真は趣味だったみたい」

「なら頑張れば追いつけるかもな。もっといい写真だって撮れるかも」

「ほんと!? じゃあ頑張る!」

「聞きたいんだけどさ、なんでその写真にそんなこだわるわけ?」

「え? こだわってるつもりはないけど」

 それをこだわりと言わずに、いったい何をこだわりと言うんだよ。自分で自分のやってることがわかってないんだろうか。

「世の中にはカラーの写真とか、写真以外にも色んな芸術があるじゃん。よりによってなんでモノクロ写真なんだよ」

 奏歌は腕を組んだ。でも、あんまり考えてる感じはしない。

「キアキくんと一緒だよ。今、好きになったのがこの写真だったの。カラーもステキだけど、私のとっては今、一番カラフルなのがモノクロなんだ」

 矛盾してるようにも聞こえるのに、不思議と説得力がある。

「ただ感動したから。ステキな写真を私も撮りたいってだけ」

 そこに山があるからさ、的な感じか。本当に純粋なやつ。

 もし俺にも、この色が見えたら。そこはいったい、どんな世界なんだろう。

「……手伝おうか、その、満足いく写真が撮れるまで」

 驚きで一瞬、声が出なかったらしい奏歌。

「っ!? いいの!?」

「ああ。お前はカメラに興味ないけど、俺はある。俺は写真はあんまりわからないけど、お前は感覚でわかるだろ。二人で良いところを合わせればいい。俺もカメラ買おうと思っててさ、お互い勉強になるし……うわっ!」

「ありがとう! キアキくん、私たち仲間だねっ!」

 カメラをつかんだ俺の手の上から、奏歌の両手ががっしり包みこんでぶんぶん振り回してくる。

「や、やめろって、カメラが吹っ飛ぶし、うちのだれかが起きてたら……!」

 奏歌の手をふりほどく。パソコンの前で熟睡中の紀望が目を覚まさないとも限らない。こんなとこ見られてまた勘違いされたくないからな。

「いっしょに頑張れば、きっと感動する写真が撮れるよ!」

「ああ。頑張ろう」

「うん!」

 光の中ではじけるような奏歌の笑顔。

 頑張れば必ず報われるわけじゃないのはわかってる。それでこれまで、いろんなことをあきらめてきた。

だけど、今はどこまでも行けるような気がする。

俺は、本物に出会えたから。

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