7/20 12:21
「という夢を見ました、と」
「だから夢じゃないんやで」
炒めいんげんを飲みこんだ修次が、はしを突き出してくる。
「だって目が覚めたら美少女が木から落ちてきましたなんて話、どう考えてもおかしいだろ」
「おかしいのは確かだけどさ。嘘ではないね。本当のことやで」
「じゃなきゃ幽霊かプラズマだな」
「なんでそんななかったことにしたがる」
スイカの種を弁当箱に吐き出す。よし、うまいこと銀紙に乗った。
「ふん。で、どれぐらい可愛かった?」
「そうだなぁ……」
夏期講習中だけ、どの教室でも食事をしていいことになっている。まわりにたくさんいる女子たちを見て、今朝からずっと考えていた。
「比較にならないくらい。あんなん初めて見たからびっくりした」
「わかりづれえよ。そしてうらやましいよ」
修次は眼鏡の鼻に乗る部分を指でくいくい直した。これはやつが興奮しているときのしぐさだ。主にゲーセンとかでよく見られる。
「それはもうあれだなお前……。完璧にフラグだよお前」
「言うと思った。ないない、俺のビジュアル的に絶対ない」
「だな」
速攻で落とす修次に異論はないが、多少は不満がある。
「いや、もうちょっと持ち上げようぜ……。これでも俺、けっこうドキッとしたんだよ」
「ドキッとしたところで、結局は3Dの女じゃん。三次元なんて幻想にすぎん」
二次元はまして幻想やないかい、と何度言ったかわからない。無駄に同じ冗談を何度も言うんだ、こいつは。
「俺だって全然期待してないよ。……いや、最初はしたけど、ああいう出会いは美男美女どうしでやるから絵になるんであって、すぐあきらめた」
「出たよ、アキのあきらめ発言」
希晶のアキはあきらめのアキ。よくそう言われる。
「俺はあきらめるのは得意だからな。自分の顔のことはもうあきらめてる」
今日の水筒の中身は緑茶だった。のどの奥でさっきの鮭がお茶漬けになる。
「いや、いばるなよ。あきらめてもいいけど今度会ったら写真撮っといて。西田さんより可愛い?」
三次元は幻想だったんじゃないんかい、と何度言ったか。修次の指の先には、いわく塾でも一番らしい西田さんが女子数人と携帯で自撮りしていた。
「あ、でも幽霊は写真に写らないんだっけ」
「どうでもいいよ。そもそも俺、携帯持ってないし。……そうだ、カメラといえば」
「携帯ないならゲーム機でいいよ」
ゲーム機で見知らぬ女の子の写真撮るアホがどこにいるんだよ、とか言ってる場合じゃない。
「なんかすごい古臭いカメラ持ってたよ。あと白黒の写真」
「なにそれ。写しまショット的な?」
「そういう古さじゃなくて、もっと本格的なやつ」
「気になるなら画像検索しようか?」
修次はいじっていた携帯から目を上げる。
「いい。そこまで気になってないし」
「あ、そ」
そう、別に気になってるわけじゃない。俺はあきらめるのは得意なんだ。気になってるわけじゃ……。
とか言いつつ、駅前の電器屋に寄ってしまった。
塾帰りに修次やほかのみんなとここいらで遊ぶことが多いので、カメラ売り場があることは知っていた。にしてもだ。
「さ、さんじゅうななまんはっせんえんて……」
カメラがこんなに高いなんて知らなかったぜ。十パーセントのポイント還元分が俺のこづかい一年分を軽く超えている。完全に子供の来るところじゃない感で溢れかえっていた。
「いらっしゃいませ」
そうは言うけどこの店員さん、絶対ガキは帰れと思ってるだろうな。ちょうどほかのお客さんに呼ばれ、近くにだれもいなくなった。
もちろん安いのは一万円台で売ってたりする。でもあいつの持ってたカメラはそんな安っぽいもんじゃなかった。古臭いんだけど、なんていうかこう、年代物というか、クラシックな高級感があった。
持ち主に気を取られていてよく覚えてないのが悔やまれる。惹かれるやつがなくはないものの、一回りしてもどれも同じに見えてしまう。
「うわ、重っ」
これが三十万の重みってことか。液晶になにも映っていないので、興味本位でファインダーをのぞいてみた。
なんだかんだで俺、かなり気になってるよな。
本当はずっと頭から離れなかった。
修次にはかっこつけてああ言ったけど、ちょっと奇跡的な出会いを感じたんだよね。
あいつが美形だったからなのか。言動がおかしかったからなのか。
自分自身でもよくわからない。
まあ可愛かったのはたしかだ。それの否定はあきらめよう。
カメラで撮る側より、撮られる側の方が合ってるんじゃないか。
そう、こんなふうに、カメラマンがファインダー越しにさ。
ちょうど四角い店内の風景に、女の子が割りこんできた。
「いや、ちょっ……!」
あわててカメラを下げて、肉眼で確認する。
「あ!」
マジで幽霊かと思った。棚の反対側にいる、女の子のぽっかり開いた口に見覚えがありすぎて。
「タナカくんだよね!? タナカくんでしょ!?」
「お……、うん」
なんてアホっぽい返事の仕方。われながら残念だ。
「すごい、キセキだよ、こんなところで会えるなんて!」
回りこんできたきらきら光る目に、さっき考えていたことが見透かされていたかのようでなんか恥ずかしくなった。
「なんでこんなとこに?」
「学校の補講の帰りで、新しいフィルム買いにきたの。あっ、でねでね、また会えたらお願いしたいと思ってたことがあるんだけど、いい!?」
なんだか、目の前でドラマの演技を見てるような感じ。本当に女優とかモデルとかなんじゃないかと思う。
でもまあ、朝ほどの驚愕はないというか、少しは慣れてきたというか。そういうのって実物ほど案外偽物っぽかったりするんだな、と考える余裕はあるらしい。偽物っぽさというのがなんか表現しきれないけど、もちろん幽霊やプラズマのことではない。
「あ、あの~……」
「あ、ご、ごめん」
気づけば彼女は手で俺の視界が生きてるか確かめていた。全然余裕がねぇーじゃねーか、俺。
「ここじゃなんだし、今朝のお礼もかねて、どっかお店入らない?」
「いや、女子と喫茶店とか無理やって」
また即答してしまった。そんな自分は想像できないし、もし塾や中学の連中がいたら相当気まずいし。しかも今二十八円しか持ってないし。
「えぇー? じゃあどこがいいの? お願い、タナカくんに見てもらいたいものもあってさ。見たら絶対、ステキだなって感動するよ!」
「見てもらいたいものって……」
カメラ。
ふっと頭にそれが浮かんだ。見せてもらえるなら、ぜひもう一度見せてほしい。
店じゃない場所というと、思いつくのは河原しかなかった。
暑いのは仕方ないけど、運よく木陰になっている場所が見つかったので、土手のコンクリートに座って彼女を待つ。
そういえば、最近ここで水切りやってないなぁ。
「おまたせ、はい」
「……なにこれ」
彼女は立ったまま、自慢げに両手の缶をつきだしてきた。
「なにって、すっぱCレモネードだよ!」
「ありがとう……。あのさ」
おごってもらっている残金二十八円の俺が言っていいものかとは思うけど。
「ふつうこういうときって、相手の好みとか考えて別々の買ってくるんとちゃいますの」
「え、そう……?」
また意外そうな感じだった。
「ごめんね、これ苦手だった?」
「若干。飲めないほどじゃないっていうか、せっかくだし、飲むよ」
大体の炭酸は平気なのに、なぜかレモン系は駄目らしい。においがいけないのかもしれない。
「そうなんだ……。でもタナカくん、私、これだけは言いたい」
彼女はこぶしに力を入れる。
「私、これが大好きなんだ!」
「うわ、強引」
だんだんわかってきた。こいつ、やっぱりちょっと変だ。自分が好きだからって、相手も好きだとは限らないんだぞ。
「……あー、おいしー」
でも、そんなことがどうでもよくなるくらい、夏の空と、彼女と、レモン色の缶は絵になっていた。
「タナカくん、名前なんていうの?」
「え? 希晶」
「キアキくんかぁ。私、花村奏歌。カナタでいいよ」
そういえば、今朝名前がどうこうとか変なこと言ってたな。正直、妹以外の女子を名前で呼んだことないから抵抗はある。でもまあ、せっかくの申し出なんだし。
「……奏歌ね。その制服、塾にも何人かいるけど、このへんの学校? 何年?」
「うん。かこ中。あ、賀光大付属中ね。三年生だよ」
「うわ、同い年なんかい」
年下だったらもう少し強気に出られたものを。意識せざるを得ないじゃないか。
「やっぱり! だと思った!」
この反応、大人っぽくは見えないってことかよ。いいさ、見た目についてはあきらめてる。
「キアキくんはあそこの中学校でしょ? 家の下に見える」
「そうだよ。ていうかお前、家近いの? 朝どうやって来たんだよ」
「家はかこ中の近くだから、自転車だよ。はい地図」
奏歌が渡してきたのは、賀光大の文化祭のチラシだった。小さく載っている最寄り駅。家から二駅のところだ。
「あそこから自転車か。よくやるわ」
賀光大の方はあまりよく知らないけど、うちの近所は坂が激しいんだよな。そこまでしてなんでうちなんかに来たんだろ。
「……で、お願いってなに?」
「ん! そうだ、忘れてたそれ」
彼女はちょっと吹き出しかけたのを手の甲でぬぐう。
「あのね、これから毎朝、タナカくんのうち行っていい?」
今度は俺が吹き出しかける。慌てるな俺。こいつが頭おかしいってのはもう確定したじゃないか。それにほら、女子との会話には慣れてるはずだろ。なぜなら俺には、田中家にしては遺伝子が突然変異したとしか考えられないとか言われ放題のけっこうかわいい妹がいるんだ。今までに築き上げた自信を思い出せ。
「なるほど。あの木から写真を撮りたいってことか」
「うん」
当たり前だ。俺に興味があって来るはずない。悲しくなんてないぞ。最初からあきらめてるんだから。
「このチラシの、写真コンテストで作品募集ってのに出すの?」
「ううん、そういうわけじゃないけど。だめ?」
「別に許可なんかいらないよ。あの木はフェンスの向こう側だから、厳密には俺の家の中じゃない。勝手に写真でもなんでも撮ってけば」
「本当!? ありがとう!」
今朝の日の出みたいな、まぶしすぎるくらいの笑顔。あんまり見ていられなくて、視線をそらした。
「じゃ、かわりと言ってはなんだけど、カメラ見せてくれない?」
「好きなの? カメラ」
「まだわからん」
奏歌は鞄から革のケースに入ったカメラを取り出した。違和感がすごくて、完全に親父の盗んできましたみたいな雰囲気。
「……軽いような、重いような」
ケースごと手に持ってみても、さっきほどの重さは感じなかった。といっても缶ジュースよりはだいぶ重い。大きさは手と同じくらい。
「開けていい?」
「どうぞ」
留め具を外し、そっと引き出してみて思った。
俺もカメラ欲しい。
最初、古臭いと思ったのは間違いだった。素人の俺にもはっきりわかる。これは時代を超えるデザインだ。スーツとかヴァイオリンとか、いくら古くても古くならない、そういう類の本物。レンズで光を入れて、中にフィルムがあって、窓からのぞいた風景が撮れる。持った瞬間、機械からそれが伝わってくるんだ。
「すげえ……! 良いよこれ、なんていうかこう、ぐっと来るものがあるよ!」
「え、そう?」
奏歌の意外な反応に拍子抜けしてしまった。
「ちょ、待ってよ! 共感するとこじゃないの!?」
「私はもっとカワイイのが好きなんだもん。こんな銀と黒だけじゃなんかなぁ……」
なんてことだ。この良さがわからないとは。金属と加工部だけなのがいいんじゃないか。計器みたいな数列も渋いし、なんかのレバーもいかしてるし、レンズはぴかぴか光ってるってのに。
「気に入って買ったんじゃないんかい。これだってけっこう高そうだけど」
RASERってのはメーカー名だろうか。聞いたこともない。
「これはもともとおじいちゃんのなの。私が覚えてないくらい小さいころ死んじゃったんだけど、この間お母さんからもらったんだ」
「ふうん。たしかに古そうだもんな」
亡くなったおじいちゃんか。下手に気を遣って、逆に気を遣わせるのも野暮だ。
「キアキくんがカメラ好きなら、私の初めての写真仲間だよ!」
「えっ、俺写真はそんな好きやないで」
顔のパーツがはっきりしているせいか、表情の変化もわかりやすい。
「なんで!? カメラは好きなのに!?」
「いや、今好きになったんだよ、かっこいいから。今朝までまったく興味なかった。俺、熱しやすく冷めやすいタイプでさ、こういうことよくあるんだよね。じわじわ興味出てくるっていうか。まあたいていすぐ飽きるんだけど」
希晶のアキは飽きっぽいのアキ。そう言われることもある。
「じゃあ、これ見たらきっと興味出てくるよ」
奏歌は今度はファンシーなクリアファイルを取り出し、今朝と同じように写真を渡してきた。
「白黒の写真じゃん。あ、さっき言ってた見せたかったのってこれ?」
「そう。なんか見覚えない?」
妙に不機嫌そうな眼つきと口調。なんだ? 俺は怒られてるのか?
「ていうかこれ、朝のと同じ……。あっ」
違う。たしかに見覚えがある。
「うちから撮った写真?」
「ピンポーン。正解です」
ピンポーンは古い。時代遅れなタイプの古さだ。
「いつの間に撮ってたんだよ」
「これは昨日の」
「昨日も来てたのか……」
「うん。昨日は思ってた以上にステキな日の出だったから、びっくりしちゃった」
なるほど、朝日がきれいかどうかはその時間、その場所にいないとわからないわけだ。
「たしかに、うちの景色とは思えないくらいよく撮れてるな」
「でしょ? これが今一番、憧れの写真に近いんだ」
「憧れの写真?」
同じファイルからもう一枚、別の写真が出てくる。
「朝に見てもらったやつ。私、この写真みたいなステキな写真が撮りたいの!」
「この写真、お前が撮ったんじゃないの?」
「ううん。これは昔、このカメラでおじいちゃんが撮った写真でね。いつどこで撮ったのかわからないんだけど、初めて見たとき、私ぎゅんってして」
「きゅんじゃなくて?」
奏歌は熱弁をつづける。
「白黒の写真のはずなのに、普通の写真よりカラフルに感じるの。まるで目に見えない色が写っていて、私の中でふわぁって広がっていくみたい」
色が見えるか? って言ってたのはそういうことだったのか。
「だから私も、こんな写真が撮れたらステキだなって。ううん、撮りたい! って思ったんだ」
「あそう。まあ頑張って」
奏歌は俺の反応に納得がいかないらしい。
「ええ~っ!? なんか冷たくない!?」
「だから、写真はよくわからんって」
「なんで!? キアキくんのうちから、こんなステキな写真が撮れるんだよ!? すごいって思わない!?」
いつのまにか奏歌の両手に吊るされた二枚のモノクロ写真に、俺の目の焦点は定まらなかった。
「俺には、この写真の色は見えないよ」
「そんな、簡単にあきらめないでよ~」
「残念ながら俺、あきらめるのは得意なんだ」
「見えるよ。この写真を撮ったカメラを好きになってくれたキアキくんなら。今は見えなくても、きっと見えるようになる」
そんな、勝手に期待されても。
「だって写真ってさ、ただ撮るだけじゃん。よく新聞とかでコンテストやってるけど、賞とってるのは火事とかお祭りとか虹とか、たまたま珍しいときにカメラ持ってましたってだけで、なんか芸術みたいになってるのが納得いかないんだよね。俺、書道やってた時期があってさ……まあ一年で飽きてやめちゃったから、あんまり偉そうなことは言えないんだけど。書道はなにもないところから字を生み出すわけじゃん。それに比べると写真は、まず撮る物体ありきで、それに合わせるだけって感じ」
「そっかぁ……。学校のみんなもそう言ってた」
肩を落とす奏歌。学校でちょっと浮いてそうな姿が想像つく。
人にまであきらめろとは言わないことにしてる。だれでも得意不得意はあるから。
「でもね、撮ってるだけで楽しいの。写真には本物が写るから」
「本物……?」
なにを当たり前のことを。そりゃ、幽霊は写らないだろうよ。
「私たちが見て、あっいいな、ステキだなと思ったものは、本当にそこにあって、その感動は本物だってことが、写真には写るんだよ。それってすごいことだよ」
買ったフィルムの袋を破き、カメラの裏側を開けて装填する奏歌。ひとつひとつ進んでいく手順はかなり複雑そうだ。
「しかも、その感動を別のだれかに伝えることだってできる。たった一瞬のキセキみたいな出会いが、時間を超えて、また新しい感動を生み出していくの」
奏歌は裏ぶたを閉じ、ストラップを首にかけて立ち上がる。
「どこ行くんだよ」
「川。ちょっと待ってて」
なびく髪とスカートに、今日いちばんの距離を感じた。
「ちょっと待ってて、って……」
固まって言われたことを復唱している間に、奏歌は河原の丸い石を器用に歩き、水辺に近づいていった。
上流を見てから数秒ファインダーをのぞき、カメラを胸に戻す。
「ちょっと、待てよ!」
駆け寄って行ったのは、奏歌が靴を脱いで川に入りだしたからだ。
「なにやってんの!?」
膝くらいまで水があるところで、奏歌はまたカメラを構える。
「もっと水感が欲しいと思って」
「水感って……」
なにも制服で川入らなくても。その一メートル手前じゃダメなのか?
せせらぎの奥へ、なおも奏歌は進んでいく。そのままどこまでも行ってしまいそうな感じ。
「危な……」
声をかけた場所で、ちょうど奏歌は止まった。
すうと息を吸いこみ、口を開けたまま陶酔するみたいにシャッターを切る。
「撮れたよ!」
流れの中で手を振る奏歌のすそは、少し色が変わっていた。
「……嬉しい!?」
戸惑って変なことを聞いてしまった。奏歌は笑顔で返す。
「嬉しい! すっごく!」
美しい、だけじゃない。おかしい、だけでもない。
変な感情が溢れてくるみたいだ。
この感覚も、あのカメラも本物なのと同じように。
あいつも、本物なのかもしれない。