借景
一匹のコリー犬が芝の上を勢いよく駆け上がっていく。若い女の飼い主がはずした遣り縄を手に後を追っていく。
「ラッキー!ラッキー!」
アパートのベランダから男が叫ぶ。男は幼い女の子を両腕で抱えている。
低い丘の中腹に整備された小さな公園。この近隣の犬の散歩コースとなっている。犬同士の衝突を避けようとしているうちに、飼い主たちは相談するともなく、それぞれの時間になるとやってくる。
軽量鉄骨のアパートが丘を背に建っている。男はその二階のベランダにいた。
「パパ、あのワンワンの名前、ラッキーって云うの?」
女の子はびっくりした顔して尋ねた。
「そうだよ」
「でも、どうして知っているの?今日ここに来たのに?」
「洋子は頭がいいな。実はね、預けてるんだよ」
「えー、じゃ家のワンワンなの」
「そうだよ。でもアパートじゃ飼えないからずっと預けているんだよ」
「だから、ここに来たんだ。撫ぜ撫ぜしに行きたい!」
「ごめんね。それは駄目なんだよ。あのオネエさんとの約束なんだよ」
「つまんないの」
「でも、いないよりいいだろう。ラッキー!」
「ゴン、行くわよ」
若い女は怪訝な顔をして遊び足りなそうな犬に遣り縄をかけて公園を出て行く。
「つまんないの」
女の子は残念そうにつぶやく。
「また、来るさ。ほら、あれは豆ちゃんだ」
「豆ちゃん?」
パグを連れた親子連れがちょうどコリー犬とすれ違うように公園に入ってくるところだった。
「豆ちゃん!」
男と女の子の声が響く。