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ストーカーと携帯電話

作者: 瀬川潮

 平日日中の列車は寂しい。

 通勤通学の時間帯のすし詰め状態を考えると、なんと平和なことか。

 平仲愛はそんなことを考えながら列車に乗った。

 そんなことを考えているもんだから、何も考えずにすとんと座った席の隣に携帯電話の忘れ物があることにはまったく気付かなかった。やれやれと右に傾けた上体を右手で支えたときに触れて、はじめてその忘れ物に気付くといった間抜けっぷりだ。あるいは、柔らかな気温が優しく包み込んでいるうららかな雰囲気が、彼女に春眠のけだるさをもたらしていたからかも知れない。外は強めにすさぶ風で肌寒いが、そもそも窓から差しこむ日差しがくっきりした光と影をつくっているような暖かい昼下がり。ちょっと注意力が落ちるのも仕方がないのかもしれない。

 シートに転がっていたのは、赤い折りたたみ式の携帯電話だった。

 普通携帯電話をこんなところに忘れるものかと、一瞬眉をひそめる。が、携帯電話が忘れられていることに気付かずここに座ってしまった自分のうわの空っぷりを思い返して、そういうこともあるかもと納得したようだった。もっとも、それでも普通忘れんだろとか思う気持ちもあるのだろう。釈然としない表情で目をぱちくりさせている。

 次に、きょろきょろと列車内を見まわした。落とし主がいないか確認したのだ。

 しかし、それらしき人物はいない。

 いるわけはない。この車両に乗客が彼女一人なのだから。もちろん彼女自身、この車両に自分しかいないことにはたった今気付いたのだが。

 仕方ないなぁと言葉小さくつぶやいて、取りあえずその携帯電話を手に取った。一応、確認のためぱかっと開く。画面には、小さな女の子のアップ写真があった。

 ふーん、実の娘なんだろうなとか思ってると突然忙しい音ととにも携帯電話が唸りをあげてバイブした。

 ちょっと、列車内ってケータイ禁止じゃんとか焦った風な彼女。自分の携帯の電源を切ってないのは内緒だが、それどころではない。わたわたと周りと携帯電話に視線を遊ばせながら「これ、私のじゃないですから」なポーズを取るが、それで鳴り止んでくれるはずも無く。一瞬、ぶった切ろうかと事無かれ主義的発想が脳裏をかすめるが、もしかしたら持ち主がかけて来たのかも知れないとすんでのところで思いとどまる。

 着信音の「子犬のワルツ」が流れ続ける。出ようと決めたくせに、固まったようにしばらく聞き流す愛。曲中、何度子犬は回ったことか。

 通常着信音だった場合だと、7コールくらい待っただろうか。抵抗感とめんどくさいや感からはっと我に返って電話に出る。

「遅い。次になかなか出なかったら、娘の命は無いと思え。今、列車で西方面に向かっていると思うが、終点まで行ったら駅前のレンタカー屋へ行け。お前の名義で車を借りているから、それに乗ってしばらく適当に走り、次の指示を待て。金は、トランクなんかに入れずに助手席に乗せておけよ。娘の命がかかっていることを忘れるな。警察に言ったり変な動きをしたら、その時は覚悟しとけ」

 ぶち。つー、つー……。

 電話の相手はそれだけまくしたてると、一方的に切った。

 何なのよこの人、とかいいながらしばらく考える愛。ぼんやりした頭で、ようやく事態が飲みこめてきた。

 つまり、誘拐犯人から身代金を要求されていたこの携帯電話の持ち主は、こともあろうに犯人との唯一のパイプラインとなる携帯電話を忘れて立ち去っているのだ。

 うわーどうしようといいながら、疫病神がそこにいるような目つきで携帯電話を見る。そんなことをしてもどうすればいいかなんて思いつくわけでもないのに。

 ぽかぽか陽気に、心地良くごとんごとんと揺れる列車。愛は、もうどうでもいいやと思い始めた。携帯電話ではなく、身代金の方を忘れていけばよかったのにとか思ったことも内緒だ。

 結局、車内には誰もいないのだから、指紋を拭きとってそのへんに携帯電話を放り投げて、「あら、存じ上げませんでしたわ」なんて無関係を装うことにした。どうせ、他人の目はないのだからと結論付けたわけ。

 が、ここで「はっ!」。

 重大な事に気が付いてしまった。

 彼女は数日前から、顔も見たことないまったく知らない男に付きまとわれていたのだ。

 くー、ツイてないと頭を抱える。「痛恨」なんて言葉は普段使わないが、ボディランゲージとしては知っている様子だ。

 そういえば、気に入りだったシルクの赤い下着が無くなったなぁなど、ぐるぐると思いを巡らす。このストーカーにはかなり迷惑していたのだが、彼女的には今ほど迷惑に思ったことは無い。ちらと視線を上げて通路の扉を見ると、やはりそいつはいた。ここのところ皆勤だなぁとか連想してしまい、遅刻の常習犯の自分とは大違いだなとか不覚にも感心してしまう。彼女の美点は、他人の良いところを見抜く目にあるのだが本人は気付いてないのでこれも内緒。

 前の車内から窓越しに彼女を覗き見ている例のストーカーと、おそらく目が合った。おそらくというのは、ストーカーは長い前髪で両目を隠しているため。まあ、ストーカーがふいと横を向いた時点で、目が合ったと考えて間違い無いのだが。シャイなのかなとか思わなくも無いが、彼女にとってはどうでもいいこと。今問題なのは、よりにもよってこの場面を見られたことだ。この場面じゃなきゃねぇ、とけだるさをはねのけて殺意に燃える。

 この疫病神が、とかつぶやくことは彼女の手持ちのボキャブラリーからしてないのだが、それに近い言葉を吐きたそうな目つきをしている。これで、彼女は手中の疫病神を厄介払いすることはできなくなった。

 彼女はまだ大学生で就職していないのだが、とてもサラリーマン適性があった。

 悩みがあればすべてぶちまける。

 という性格が、それ。つまり、ホウレンソウの報告であり、連絡であり、相談である。

 すっと立ちあがると、早速今回もいつものように行動に移した。

 見たんだから、一連託生。

 そんな考えのもと、まだ二十代半ば程度の若者らしきこのストーカーに迫った。ちなみに、そんな言葉は彼女の表現能力に無いから何かオリジナルな別の表現に変換しているが、彼女にしか分からないので内緒だ。

「ねえストーカーさん。ちょっと相談に乗ってよ」

 彼女は車両の扉をがらりと開いて、ストーカーにお願いした。

 ストーカーの方はといえば、視線を外している内に扉の死角から忍び寄ってきていきなりがらりと扉を開けられたものだから、心臓が飛び上がったばかりか目を隠している長い前髪すら飛びあがったほどだ。口をぱくぱくさせながらも、「いや、ボクは君のご両親から依頼されて、一人暮らしの君にストーカーが付いてないか調べてる探偵なんだよ」とストーカーを否定する。

「だったらちょうど良いじゃない。ちょっと助けてよ~。困ったことになったの。探偵なんでしょ。力を貸して。ね」

 必死に頼む彼女。ストーカー改め探偵は、鼻の下を伸ばしながらしょうがないなぁとか何とか言って丸めこまれる。

「……と、いう訳なのよ」

「ははあ。なるほど」

 探偵は彼女から事情を聞くと、顎に手を添えて首を捻った。

「このまま無視しようと思ったんだけど、アンタが見てたからそれもできないの。……ね、どうしたら良いと思う?」

 もともとこういう謎ものは好きなのだろう。探偵はいたく興味をそそられたように思案に沈んだかと思うと、すぐににっこりと口元を緩めた。

「まずこの話、娘の命がかかっているのに犯人との連絡に重要な電話を忘れるってのが、そもそもありえない話ですね」

 探偵はそう切りだした。ふんふんと彼女。

「たいていこういうケースは、目的が違うんですよ」

「目的が違う?」

「そう。誘拐犯人らしき人物からの電話も、こっちの言葉を確認しようともせず一方的に切ったのがいい証拠です。お互い見えないもの同士、向こうがどういう状況なのかを知るためや本当に本人が動いているかどうかを確認するためにも、声は聞いておきたいはずなんです」

 彼女は、「そうなんだ」と言うしかない。こういう複雑な話が苦手なのは内緒だ。

「で、あなたはどうしようと思いましたか」

「え……。えっと。着信履歴から、誘拐犯人に電話をかけて事情を話そうかと思ったけど、それはやばそうよね。携帯の電話帳から自宅っぽいところにかけてもいいけど、根本的な解決にはならないし……。落としものとして車掌さんに届けてもいいけど、この電話をいつ落としたかが問題だから、下手に預けて余計に本人が手にいれるのに時間がかかってもねぇ……」

 彼女としてはそこまで考えてなかったのだが、さすがに大学生。指名されればそれなりの答えを取り繕うくらいの術は心得ている。

「まあ、正解ですね。多くの人は、『関わりたくない』と考えるでしょう。警察に通報したりおかしな真似をすると娘の命は無いとか言われちゃったわけですし。車掌に落としものとして預けて『おかしな真似』と捕らえられかねない行為を自らすることで、人質の娘が殺される直接の原因にはなりたくは無いでしょうから」

「じゃあ、真の目的は何なの」

「おそらく、この携帯電話を旅させることでしょう」

 彼女は、「はあ?」と眉をしかめる。

「重要な事件になれば、携帯電話の着信履歴から着信・発信時の場所を調べるというケースも考えられます。つまり、この電話の持ち主は今日この時間帯でのアリバイが欲しかったのでしょう。このまま電話を放っておいても、終着駅で忘れ物として発見されますし、あなたが電話を取ったときのように、適度に電話を入れて誰かが出れば、もうちょっとほったらかしにしてもらえるようにさっきの内容の電話を掛ければいいだけです。もちろん、車掌に預けられることになっても、それはそれでオッケー。取得物に記載されても、落とし主の出てきた取得物なので、アリバイを主張する頃にはその記録は破棄されているか忘れられているはずです」

「でも、拾い主がそのまま悪用して戻ってこない可能性もあるんじゃないの?」

「可能性はきわめて薄いです。おそらく、電話帳機能や履歴機能には不自然なくらい何もデータが残ってないでしょう。残ってれば、個人情報を転売するなど悪用する目的ができてしまいますからね。それをさせないためにも、データはいったん最低限のものを除き消去し、戻った後に登録しなおすはずです」

「ふーん」

 彼女は、頬を上気させて感心したように探偵を見た。

「じゃあ、私はこれからどうしたらいいかな」

「放っておけばいいんですよ。もしもアリバイ作りに協力したのがしゃくなら、これからそれをさせないために電源を切っておけばいい。そもそも、列車内では携帯の電源を切るのがマナーですし」

「あ。なるほど。あったまいい」

 すぐさまぷちりと電源を切る。

「そうそう、探偵さん。もうひとつお願い」

 携帯電話を元通りシートに戻した後、くるりと振り向いてにっこりして言った。

「どうせなら、離れてないで私のそばで調べてよ。お気に入りの下着を取られたりとか、ストーカーに悩まされていたの」

 そう言って、探偵の左腕にくるりと自分の右腕を絡ませる。「ね」と上気させた頬と潤んだ瞳で探偵を見上げる。

「あ、あはははは……」

 照れ笑いを浮かべる探偵。内心の、「ジーパンの左ポケットにある、シルクの赤い下着、ばれないようにしなきゃ」という焦りは、内緒だ。



   おしまい

 ふらっと、瀬川です。


 他サイトの比較的縛りのきつい競作企画に出展した旧作品です。

 当時は「なんてね、紳士同盟」でした。歌詞からタイトルを取ることが多かったようですね。内容との接点が薄いのでストレートなものに改題です。

 なお、縛りは「主人公はストーカー被害に遭っている」、「携帯電話を拾う」と、あと一つは比較的緩い縛りがあったと思います。

 緩くてけだるくて、なんだかんだで素直な主人公のぼーけんをお楽しみください。

 2005年の作品。当然、当時はスマホはなく、折り畳みケータイ主流の時代で列車内のマナーも今よりやや厳しいものでした。

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