金木犀の話
子供の頃から、私には色々と普通でないものが見えていた。
例えば虹色に光り怪しげな研究に没頭するトカゲ。
例えば根を足のようにして動き回り、美容を追求する白詰草。
彼らに囲まれ過ごした黄金の幼少期についてはまたいつか話すとしてとにかく、
そういった彼らは一様に、金木犀を恐れていた。
トカゲは私に言った。
「秋は金木犀に気をつけなさい。桜の花弁は血の色だ。金木犀の匂いは屍肉の匂いだ。知っているかね。蝶のなかでも一際賢い紋白蝶は、けして金木犀には近づかない。」
私がまだ8歳のころ、ある悲しい事件のせいでトカゲが死んだ。簡単な葬儀があり、その後他の皆は三々五々に散って行ったが、私はトカゲの七色に光る美しい鱗が土に呑まれてしまうことがなんとも恐ろしい事に感じられて、彼の墓所から動けずにいた。
そのまま日が沈み夜の緞帳が落ち切ったころ、突然ぬめりと金木犀の妖しい香りが小鼻をかすめるのを感じた。
私は恐怖した。トカゲの話を思い出したのだ。金木犀に近づいてはいけない。かの香りは屍肉の香り、死体の臭いなのだ。
しかし一度鼻を捉えた香りはむしろますます強くなっていく。私にはそれがまるで金木犀が近づいてくるようでそれがまた恐ろしかった。
逃げ帰るようにその場を離れ帰路を進むとなおさらその臭いは強くなり、私は自分が逃げているのか、それとも自ら彼方へ向かっているのか解らなくなった。
ひたすら闇の中を駆け、どちらが我が家なのかも解らず、そして終いには天も地も解らぬ倒錯の中に追い込まれていた只中でもひたすら私を捕らえていたのはやはり金木犀の香りだった。
そして、私はとうとうその臭いの元凶のもとへ、誘われてしまったのだった。
夜の闇のなかで薄ぼんやりと光り、強く臭いを発しているのは間違いなく金木犀だった。
金木犀のはずであった。
しかしそれには口が付いていた。鮮やかな黄色の花弁の集まりの真中に。そしてその体はどくどくと脈打っていた。
それは釘で打たれたように立ちすくむ私をその口で硬く睨むと、体の脈打つのに合わせてどくどくと黄金色に輝く息を吐いた。辺りに濃い臭いが立ち込み、私の目は、網膜にストロボをぶち込まれたように激しく明暗転を繰り返した。そして意識が静かに不鮮明になっていくのを感じた。
薄れゆく意識の中で私が最後に見たものは、それは、例の死んだはずの七色トカゲがゆっくりと、金木犀の花弁の中に沈んでゆく姿だった。
闇夜のなか、金木犀が七色に光るトカゲを飲み込んでゆく様は、例えようもなく、美しかった。
先日聞いた話。
金木犀は、死んだ者の死体を、霊魂を食べるのだ。
…
……
………
今年も金木犀の季節がやってきた。
屍肉の香りただよう街で、私は随分と大きくなった。あの事件のことも、時を経るごとに薄布を重ねたように忘れていき、あの恐怖も幻だったかのように感じていた。
通学中、古株のネズミが私にある噂をもってくるまでは。
「きいたか、いつか死んだはずの、あのトカゲの姿を見たやつがいるらしい。噂では、あいつが俺みたいな奴らの屍肉を集めてるってはなしだ」
え?トカゲが生き返った?どういうこと?