[リモコン]リモートコントロール
嘘のような話だが、これは本当の話だ。
俺はペンケースから消しゴムを取り出して、ノートの隅の落書きを擦った。黒い練りカスを発生させ、名前は消える。そして、俺の斜め前に座る田口が頭を掻いた。
続けて俺は赤の蛍光ペンを取り出す。黒板にはびっしりと纏められた中世ヨーロッパの歴史。それを参考に、世界史の教科書へラインを引いていく。それとほぼ同時に、前の席に座る平岡が僅かに首を右に傾げた。
(………………)
俺は更に教科書へ赤のラインを引いていく。一本、二本、三本。
それに合わせて、平岡の首は右へ更に角度を深める。
まるで、連動しているかのように。
(ってか、連動してる、よな……)
俺はもう黒板を確かめることもせずに、教科書へラインを引きまくった。一心不乱に。ページが真っ赤になるまで。
すると、平岡の首はほぼ直角に曲がっていた。
「ひらおかああああああああ!?」
と叫びたい気分だったが、授業中なので全力でその気持ちを噛み殺す。代わりに、ほとんど無我夢中で手を伸ばし、平岡の首をごきり、と垂直へ戻す。
「…………ふぅ」
当の平岡は何も気づいていない様だった。と言うよりは、今は自分の机へと突っ伏してしまっている。
(寝てたのか……いや、あの曲がり方はありえないだろ……折れたかと思った……)
ほぼ直角。人の首がああも曲がるものだとは思ってもいなかったのだ。今でも心臓はバクバクしている。
(しかし……これ、間違いないな)
俺は机の端に置かれたペンケースを見やる。
ペンケースからはいくつかの色ペンとプラスチックの定規がはみ出ていた。
至って一般的なステーショナリーグッズ。
でも、俺のものではない。昨日の帰宅途中に拾ったものである。
名前を探したがどこにも書いておらず、とりあえずそのまま持ってきたはいいものの、自分のペンケースを忘れてしまい、使わせて貰うことにしたのだった。
(これ、特定の使い方をすると、誰かが決まった行動をするのか)
さっきの平岡を見て確信を抱いている。間違いない。誰が何のために、と思わないでもないが、そんな疑問より何より、事実が証拠なのだ。
俺はペンケースから定規を取り出す。
(これは……どういう使い方をすればいいんだろう。うーん、さっきまでも普通の使い方だったから、これも普通に線を引けばいいのか……?)
まぁモノは試しだ、と俺は赤く染められたページへ定規を押し当て、ボールペンでラインを引く。
「………………?」
しかし、何かが特別起こった気配はない。見逃したのかもしれない、ともう一度周囲に注意を払いつつラインを引く。それでも、何も起こる気配はない。続けて何本も引き、周りを見ることを繰り返す。だが、何も変化はない。
(んー……? 使い方が違うのか? それとも、単に勘違いで、さっきの平岡は寝てただけ………………って、えええ!?)
視線が固定される。
向かう先は、教壇の上。チョークと、世界史の教科書を持ちとうとうと歴史を語る草村先生(53・独身)――――の、頭の上。
「ず、ズレ――――っ!?」
「む? どうした、いきなり大声出して?」
「あ、いや、なんでもないです」
震える声を振り絞り、俺は視線を逸らす。やばい、直視できねえ。
(草村、ヅラだったのか……)
これ以上使ってはあれが落ちてしまう、と俺は定規を仕舞った。色んな意味で限界だ。
他には何があるのか、とペンケースへ視線を戻す。
ペンケースの中には、赤と青と黒の三色ボールペン、修正テープ、カッター、シャープペンの替え芯、そして小さなホッチキスが残されている。
(……全部、試してみるか。まぁ、ひどい効果もそう起こらないだろう)
草村先生のカツラがひどいかひどくないかは別として、とこっそり付け加え、俺は一つずつ取り出すと、周囲に目を向けつつそれを使用する。
三色ボールペン。
これは後ろの席の大杉に対応。赤色を使うと「ぐぅ」、青色を使うと「ずずず」、黒を使うと「ぷふー」と寝息が変わった。使えねぇ……。
修正テープ。
これは右隣の吉崎さん。文字(油性限定)を消すたびに前髪を指で払う。妙にキザったらしいのがイラつく。
カッター。
これは一番後ろの斉藤。切り込みを入れるたびに『ドカッ』と音がする。机を蹴った音だろう。うん、斉藤は不良だからなぁ……。使うのはやめよう。
シャープペンの替え芯。
これは窓側の昭島さん。一本補充するたびにキラリ、と眼鏡が光った。……なにこれ。
(どれもこれも使えねえ……。マジでなんだよこれ。誰得?)
あまりの微妙な効果の連続に、最初ほどの楽しさも薄れてしまっていた。いや、元から楽しんでいたかと言われたら別だけど。
とは言え、折角だし最後まで試してしまおう。そう思い、俺は最後のホッチキスへと手を伸ばした。
その時、
『きーんこーんかーんこーん』
と、就業のチャイムが鳴る。
続けて、狙っていたかのような「きりーつ」「きをつけ」「れいっ」の三連打。
俺はホッチキスを片手に、わたわたとしながらそれに倣う。
「ふぅー」
椅子に腰を下ろし、息を吐く。さて、気を取り直してホッチキスだ。
「ねぇねぇ、ちょっとノート見せてもらえない?」
「……え?」
見れば、左隣の安倍さんが体を乗り出してきていた。
「さっきさ、寝ちゃってて取り逃しちゃったんだ。草村先生、書いてすぐ消しちゃうでしょ? だから、見せて貰えないかな」
「あ……うん」
手渡そう、として俺は手にホッチキスを握っていてはノートを掴めないと気付いた。正直、テンパっている。女子に話かけられることなんて滅多にないのだ。それに安倍さんも気づいたのか、
「って、ホッチキス? ノートでも綴じるつもりだった?」
「あ、いや、これはえーと。うん、ちょっと今日のプリントをまとめようかと、思ってて」
「へぇー、すごい。ちゃんとまとめてるんだー」
そう言いつつ、安倍さんは俺の机の上を覗き込もうとする。
慌てて目を逸らす。女子独特のいい匂いがしてくる。やべえ、なにこれ。
どぎまぎしつつ、俺はホッチキスをプリントの束に押し当て、ぎゅっと、握った。かちり、とホッチキスが音を立てて、プリントへ針を通す感触が手に伝わる。
それとほぼ同時だった。
「きゃっ――――」
「へ?」
安倍さんは小さな悲鳴を上げて、俺へと倒れ込んできた。振り向いた視線と視線がぶつかる。
手を伸ばす余裕もなく――――俺と安倍さんは衝突した。
椅子が大きな音を立てて倒れる。背中に響く鈍痛。
目を開ける。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
目の前が色んな意味で真っ白になる。
背中の痛みなんてどこかへ消えてしまっている。
ただ分かるのは、すぐ目の前に安倍さんがいるということと、唇に柔らかいものが触れたということ。
「……ご、ごめんね。大丈夫?」
倒れ込んだ俺へ、安倍さんはすぐ目の前からそんな声を上げた。
「……………………」
右手に握られたホッチキスをかちり、と宙で握った。
滑ったのか、安倍さんが再び「きゃ」と声を漏らして倒れ込んできた。
(……前言撤回。これ、最高だわ)
1時間SS:お題『リモコン』
執筆:2012年