[さくら]最後の贈り物
「だりぃ……」
殺風景な部屋の中、携帯電話に向かってそう呟く。
『なに愚痴ってるの』
聞きなれた声が返ってくる。
『早めに荷解きしないと、後で面倒だよ。せっかく電話してあげてるんだから、頑張ってよ』
得意げな声。電話越しでもその様子が目に浮かぶ。
「ったく……そうは言ってもなぁ」
目の前で怒られているような気がして、逃げるように改めて部屋を見渡した。
見えるのは部屋一面に敷き詰められた段ボール箱。机もベッドもまだバラバラのまま。窓にはカーテンすらかかっておらず、都会の町並みが一つの絵になっている。
「やっぱ、めんどくせ」
ガラリ、と窓を開けながら投げやりに言う。
『またそんな事言って。いっつもそうなんだから。荷物整理の時だって……』
「別にいいって。寝れないわけでもないし」
変わらない調子で続けられる説教を遮るようにそう言う。
そのまま、どす、と電話の向こう側に分かるように大げさに座り、仰向けに寝転んだ。
『もー! サボらない!』
「はいはい」
そう言って、携帯電話を耳に当てたまま目を閉じる。寝るつもりは無いが、窓から流れ込む春を感じさせる陽気がそうさせた。
カタン、カタン、と遠くに流れていく電車の音。
車の音。バイクの音。若者の声。鳥の囀り。
目を閉じたまま、そんな周囲の音に耳を向ける。それを感じ取ったのか、それとも説教が無駄だと理解したのか、電話機からは静かに機械の音しかしなくなっていた。
そうしてしばらくした時、ふぅ、と柔らかな風が吹いた。
鼻先に小さな感覚を覚える。
目を閉じたまま指先で鼻を撫で、そのまま目の前に持ってきてようやく目を開く。
「さくら?」
『え?』
指先には、淡い桃色の小さな花びらが付いていた。
「ああ。桜の花びらが部屋の中に入ってきたみたいだ」
『へぇ』
「外から飛んできたのか?」
『そうなんじゃない?』
起き上がり、窓の外を見る。
しかし目に入ってくるのは灰色の都会の町並みだけで、淡い桃色を彩る桜の木は一つも見えなかった。
「おかしいな」
『荷物にくっついていたとか』
窓の前に座り込み、見上げるとどこか見慣れた色と違った空が目に入る。
そうしたところで、さぁ、と一際強い風が吹いた。
だけど、青い空は変わらず、桃色の花びらはどこからも流れて来なかった。
「そうかもな」
そう諦めの言葉を口にしながら振り返る。
言葉を失った。
部屋の中に無数の桃色の花びらが舞っていた。
殺風景な、段ボールだらけの部屋が一瞬で桃色に染まっている。
風が吹くたびに桜の花びらは部屋の中を舞い、まるで万華鏡のように一瞬でその彩りを変化させていく。
その景色に目を奪われていると、窓のすぐ横においていた段ボール箱が目に付いた。
見慣れない半分開いた段ボール箱。荷物の中にあったことすら気づいていなかった。
箱は、風が吹くたびにパタパタとその羽を揺らし、中から桃色の花びらを吐き出していた。
「これ……」
箱の前まで行く。箱は初めから半分しか閉じられていなかった。中を覗き込めば、満杯に詰まった桜の花びらと目が合う。
閉じられた側には見慣れた字が書かれている。
『私は行けないし……』
電話機から小さな声が流れる。箱の中からは懐かしい香りがした。
『忘れないで欲しいから……』
「……バカ。電話、切るぞ」
そう言って、確認を取る前に終了のボタンを押す。
今も風が吹くたびに桜の花びらは舞い、部屋の中を満たしていく。
「忘れれるわけ無いだろ」
これだけあれば、と小さく付け加える。
君の名前と同じ花を見ながら。