夜子の1日
朝は毎日、良い匂いから始まる。
とんとんとん、と軽快な音が聞こえる。
この町に来てすぐは、ホンっとーに何にも出来なかったくせに。涼の奴、生意気。
ああ、でもやっぱりいい匂い…。
美味しそうな匂いにあらがい切れず、目を覚ます。
「夜子ー、起きて―、ごはーん!」
階下から涼の声がする。もそもそと服を着替えてダイニングに向かった。
「朝からそんなに大きな声出さなくても、ちゃんと聞こえてるってば」
「昨日遅かったでしょ?夜子、帰りが遅かった次の朝は中々起きないじゃない」
「…今日はちゃんと起きたもの」
前回、3度寝までして起きられなかっただけに、返す返事はもごもごとしたものになってしまった。
逢魔ヶ丘の片隅に捨てられた倉庫群。そのひとつに彼らは住んでいる。
最初に住んでいたのは、捨て子だった夜子。銀花と涼は、第一階層の研究所から脱走した後、夜子に拾われ、ここに住み着いた。
夜子は2人に家事を教えたが、モノにしたのは涼だけだった。
最初こそ失敗があったものの、現在は天才パーフェクト主夫として、家の家事を一手に引き受けている。
「銀花は?あいつまだ帰って無いの?」
「ううん、朝早くに帰って来たよ。朝ご飯まで時間があるから散歩してくるって」
「またか」
「銀花外が大好きだから」
「大好きっていうか…。もういいわ、先食べちゃいましょ」
あきれた声が出たのは仕方がない。銀花はこの家の住人だが、昼も夜もほとんど家に帰らないのだ。
それに目の前には、ほかほかご飯が絶賛待機中。我慢せずに催促するが、しかし、
「ただいまー。ご飯出来た―?」
実に良いタイミングで最後の一人が食卓に揃うこととなった。
食事を終え、各人本日の用意をする。銀花はさっそく外出してしまった。
「涼、今日は夕方から?」
「うん。あ、でも昨日の報告があるから、ちょっと早めに出るよ」
「戸締りには気をつけるのよ」
「うん。夜子も気をつけて行ってらっしゃい」
涼は、この街唯一の喫茶店で働いている。他にも自警団の仕事があるので、結構不規則だ。
今日はこれから自室にこもり、自作のコンピュータで、報告するための情報解析でもするのだろう。
ちなみに夜子は、興味本位であれこれ聞いてみた事があるがさっぱり分からず、涼からも立ち入り禁止令を出されている為、以後その部屋に入った事は無い。
夜子の仕事はラジオパーソナリティだ。
昔、研究所から逃げ出して来た者、逆に捨てられた者、そんな者たちの集まったこの街の識字率は、今もそれほど高くない。
物資についても余裕があるとは言えない現状では、必要な情報は紙媒体よりも、音声で直接伝えた方が良いという判断からラジオ局が開局した。
夜子は、そんなラジオ局の初期からいるメンバーの内の一人だ。
「皆さん、お早うございます。逢魔ヶ丘放送局、夜子です」
よく晴れた青い空の下動き始めた街に、夜子の元気な明るい声が流れて行った。
「また明日ー」
昼をまわると、夜子の職場での仕事は終わる。
これからは街に出て、明日のニュースの種を探すのだ。
「さて、行きますか!」
銀花程ではないが、夜子もこうして街を歩くのが好きだ。
というか、やっぱりこの街が好きだと思う。
青い空を手に入れるまで、この街は薄暗く、陰気で、人々が暴力に明け暮れる事も少なくなかった。
今は、どうだろう。
明るい空、笑顔の人達、自警団の活躍もあるのだろう、刃傷沙汰も少なくなったと思う。
上層に怯える警戒ニュースではなく、どこそこの店のランチが美味しかった、とか、あの一角に花壇ができた、とか、他愛のないニュースを伝えられるのが嬉しい。
「良いニュースがあるといいんだけど。ううん、良いニュース、絶対見つけ出してみせるわ!」
夜子は決意も新たに街の中心部へ足を踏み入れた。
「夜子、今帰り?」
「あら、涼」
帰り道、涼に会った。
「これからマスターの所に行くんだけど、ちょうどいいや。ちょっと見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの?言っとくけど、あたしこれから明日の原稿書かなきゃいけないのよ」
「すぐ終るよ。ねえ、行こうよ」
珍しく涼が粘った。
「大したものじゃなきゃ怒るわよ」
「大したものじゃないかもしれないけど、きっと喜ぶよ」
「何なのよ、一体」
ふてくされた声を出した夜子だったが、結局、先を歩きだしてしまった涼の後を追いかけることにした。
海の近く、放置された荒れ地にその花は咲いていた。
「風が運んで来たんだろうね、気が付いたら増えててさ。見せたら夜子、喜ぶかなって」
照れくさそうに涼が笑う。
「まったく、たかが花ごときで一々大袈裟なのよ。…でも、ホントどこからやって来たのかしらね」
小さな花園の縁から、薄紫の花をつつく。
周りは海ばかりの、この小さな世界で芽吹いた新たな命。
「ふふっ、明日のトップニュースはこの花についてね。…そうだ涼、この花について何かわからない?」
「大丈夫、任せといて。明日の朝には間に合わせるよ」
「頼んだわよ」
『主はまっこと、その女子の為になら何でもするのう』
背後からあきれた声が降って来た。
「虎」
涼が振り返って呼びかけると、背後の竹林から、大きな音と共に巨大な機械の虎が飛び込んで来た。
『久しぶりか、主とは』
「ごめんね、会いに行かなくて」
『我も眠っていたからな、仕方ない。どうせ龍の奴に遠慮したのだろう?』
おみとおし、とばかりに言われ、涼は苦笑した。
「どうせ銀花が毎日顔だしてるんでしょ?寂しいなんてあるわけ無いじゃない」
突然茶々を入れられた夜子は、少々不機嫌だ。
「それでも僕は彼らの主だからね」
「あんたと銀花が、でしょ。涼が責任感じる必要無いわよ」
大体これだって成り行きだったじゃない、と夜子は続けた。
『我が自我を得たのは成り行きだがな、龍のは運命というのだぞ、力無き人の子よ』
「!…るっさいわね!」
一番言われたくないセリフを言われ、カッと来た夜子は、くるりと身をひるがえしてこの場から走り去った。
無力なのは、自分が一番よく分かっている。
何もできない事を良く分かってて、それでも大好きなこの街のために、役に立ちたいと思っているのに、いつだって何もできず誰かに委ねるしか出来ない。それがとても悔しかった。
「せっかく良いニュース、見つけたと思ったのに」
わくわくした気分が台無しだ。
「兎に角、家に帰ろ」
原稿書かなきゃ、と歩きだした時、
「夜子ご免」
後ろから抱き締められた。
「あんたが謝る事じゃないわよ」
向き直って頭を撫でる。
この街で出会った頃は、ちょっと背が下だったくせに、いつの間にか腕を伸ばさないといけなくなった。
それでも、変わらないものもある。
「何泣きそうな顔してんのよ」
「だって、夜子傷ついたでしょ。虎には言って聞かせたから」
「あんたのそのフォローもどうかと思うわよ」
「えっ!?」
「あーあ、アンタの変な顔見てたら、どうでもよくなっちゃった。…そういえば涼、仕事は?」
「あーっ!!夜子の事でいっぱいで忘れてた!」
「ばか、早く行きなさいよ」
「あー、うん」
「帰ったら原稿手伝いなさいよね!」
「うんっ!」
泣いたり、笑ったりしながら、毎日が過ぎて行く。
鮮やかなオレンジの空の元、2人は小さくて大切な約束を交わして別れた。
一方その頃機械の虎は、日課と称し会いに来た銀の少女に、先ほどの事を相談していた。
『主を怒らせてしまった』
「涼は、夜子大事だからねえ。というか、アンタはいつもひと言多いのよ」
『人と話すのが楽しくて、ついな』
「人をからかうのが、でしょうが。とんだAI様もいたもんだわ」
『我は特別だからな』
「そういう事自分で言う…。…これだから本土って、ほんととんでもないわー」
『確かに我らが制作されたは本土だが、自我の芽生えはそなたらに会ってからだぞ』
「うっかりの偶然で、自我芽生えちゃうくらいのハイスペックなブツ創っちゃうのが問題だって言ってんの!」