11.強く、強く
翌朝。
鈍い頭の痛みで、香緒里は目覚めた。
枕元の時計を見ると午前6時。
いつも起きる時間よりかなり早い。
「う………いた………」
身体を起こすと更に頭に響いた。
あのまま寝てしまったらしい。
お風呂に入ってないどころか、ご飯も食べていない。
とりあえずシャワー浴びなければ、と着替えを持った。
一階に降りるとリビングのある部屋のドアから光が漏れている。
「お父さん………??」
ドアを開けて中を見ると、義之がソファに座り、テレビを見ていた。
「あぁ、香緒里か、おはよう。」
振り向いたその顔は疲れていて、目の下には隈があった。
これから出勤するため、スーツを着て、ネクタイを締めている。
「おはよう………」
「よく寝れた…………わけないよな。」
そう言って苦笑した義之と同じような顔を自分もしているのだろうと思った。
「もう行くの?」
「あぁ、そろそろ行かなきゃならないな。ご飯、昨日のが残ってるから、少し食べていきなさい。
「わかった。………今夜は、私が夕飯作るから。」
「そうか、ありがとう。」
少し笑みを浮かべた義之から香緒里は目をそらし、シャワー浴びてくる、と呟いた。
「………いってらっしゃい」
「いってきます。」
母に「いってらっしゃい」「おかえりなさい」と言われたことは、あっただろうか。
…………なかったな。今までに一度たりとも。
またぐるぐると思考を巡らす頭を降って、洗面所に行く。
ふと鏡を見ると、先程の父と同じように、隈が出来ていて、疲れた顔をしていた。
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「おはよー」
学校に着き、下駄箱で上履きに履き替えていると後ろから声を掛けられた。
「あ、おはよう雪音。」
「数学の宿題やってきたー??」
「…………忘れてた。」
「珍しい…………なんか他のことやってたの?…………と、いうか、大丈夫??なんか疲れた顔してるよ?」
「え………あ、なんもないよ??ちょっと昨日寝付き悪かっただけよ。」
顔を覗き込まれて、思わず目線を逸らして首を振る。
雪音は、そう?と少し首を傾げたあと、靴を脱ぐ。
「あ、そういえばねーーーーー」
上履きを下駄箱から取り出して履き替えながら別の話題に移る雪音に、相づちを打ちながら、開けっ放しであった下駄箱の戸を閉める。
雪音に違和感を覚えられてしまったのなら、もっと勘のいい秀人には、きっと簡単に見抜かれてしまう。
心配は、かけたくない。
大丈夫、大丈夫だから。
「香緒里、ちょっと話あるんだけど。」
表になるべく出さないようにしよう。
そう、思っていたのに。
昼休みになると秀人は香緒里の席の前にやって来て、机に両手をついてそう言った。
秀人の言葉に教室がどよめく。
「え?話って………」
「いいから、ついて来いよ。」
背を向けて教室を出る秀人を香緒里は慌てて追いかける。
教室のざわめきは一層増していく。
「え?え?なになに?告白!?」
「うそうそー!?」
香緒里の隣の席である真は、後ろを振り返って雪音、翔太、沙世を見る。そして、目線で教室の外を指し、立ち上がる。
そして今もざわめくクラスメイト達に向かって、「別にそういうんじゃねーからな!」と否定しつつ、急いで二人の後を追いかけた。
秀人も紛らわしいことをしてくれる………
「話って、何よ。」
屋上に着き、扉を閉めて向かい合う。
香緒里の言葉にため息をつき、呆れた表情をした。
「あのなぁ……………誤魔化せてると思うのか??」
「………………何をよ。」
「授業中、疲れた顔して、一日中ぼんやりして、心ここにあらず、みたいなそんな様子してて。その癖誰かが側に来ると取り繕って笑って。それでも何にもないとか、言うなよ?」
「………………」
黙って視線を逸らす香緒里に秀人がため息をついた時、バタバタと階段を上る音が聞こえてきた。
勢いよく開いたドアと一緒に真が飛び込んできて、それに続いて紗世、雪音、翔太も屋上に出てきた。
「ちょ、真、ここ一応立ち入り禁止なんだから静かに………」
そう咎めながらも、雪音は真と同じように香緒里に視線を向ける。
「お前らも、気が付いてただろ?香緒里がいつもと違うことに。」
「そうね、朝からなんとなく………」
「まぁ、なんかちょっとね……」
「……………まぁ、なんとなく……???」
秀人の問いにそれぞれ頷く。沙世だけは疑問符を浮かべていたが。
「また、なんかあったのか……??」
「それは………」
「ちょっと待て、『また』ってどういうことだよ」
秀人は2人を交互に見る。
「前にも何かあったってことか?」
決まり悪そうに目を逸らす真を見、秀人を見、心配そうに見つめる三人を見て、香緒里は溜息を一つついた。
「――――私ね、捨て子だったんだって。」
父義之から聞いた、拾われた時の話。小さい頃からの母親との関係。そして離婚の話。一度話し出すと言葉が止まらなかった。
姉にはとても優しいが、香緒里に対しては他人のように、いや、それ以上に冷たく、そして無関心の母。
全てがわかって母の態度に納得はいったが、やはり傷付きもした。産まれて来なければよかったのだろうか。そう思わざるを得ない。
「お母さんに………愛して欲しかった、構って欲しかった………小さい頃から、そればかり思ってたの………でも、そもそもそんなこと、無理だったのよね…………」
言いながら、涙が零れ落ちる。止まらない。
なぜ産まれてきたのか、なぜ捨てられたのか、私の本当の父は、母は誰なのか。なぜが、疑問が、止まらない。
泣きじゃくるわけでもなく、静かに、耐えるように泣く香緒里にどう声を掛けていいのかわからず、雪音たちは沈黙するしかなかった。
「なぁ、香緒里。」
沈黙を破り、呼び掛けた秀人を全員が見る。香緒里も俯いていた顔を上げた。
「例え、母親が誰だかわからなくても、本当の自分の子じゃなくてもさ。少なくとも、お前の親父はお前を大事に思ってきたんじゃないのか??反対されてまで、守ろうとしたんじゃないのか??」
父は……………仕事が忙しい人で、家に帰るのはいつも遅くて、ゆっくり話したことなんか、なかったと思う。
それでも、少なくとも母よりは、自分を気にかけていた、見ていてくれたように思う。
空手を始めたいと思ったのに気付いたのも父で、始めるよう母を説得してくれたのも父だった。
「少なくとも、その気持ちに嘘はないんじゃないかって、俺は思う。血の繋がりだけじゃないだろ、家族は。血は繋がっていなくたって、大事にしている子供は、自分の子供だと、思うだろ。そうじゃないか?」
「確かに、そうよね。友達とは血の繋がりなんてないけど、でも、家族と同じくらい大事だって、思うもんね。」
秀人に続き、雪音もそう微笑んで言う。真も、沙世も、翔太も笑顔で頷く。
「だから、もっと俺らを頼れよな。1人で抱えるんじゃなくてさ。」
香緒里の頭に手を置き、少し乱暴に撫でる。
「そう!存分に私たちが代わりに愛を注ぐから!!」
えっへんと胸を反らした沙世に、横にいた真が呆れた顔をする。
「相変わらずだなぁ、沙世。いや、面白いけどさ。」
「なによー私は真剣なんだよ!?」
いつの間にか香緒里は笑っていた。
あぁ、私は一人ではない。大切にしてくれる、大事な友人たちがいる。
「ありがとう、話聞いてくれて。少し、すっきりした。沙世も、ありがとね。」
家に帰ったら、父ともう一度話そう。
もっと、強くなろう。強く生きよう。
なるべく逃げずに、立ち向かえるように、強く。