第六章:楽園の噂と、王都の焦り
クラウス様が私の領地に滞在するようになってから、一月が過ぎた。
彼は騎士団長の仕事を部下に任せ、極秘任務という名目で、私の領地の調査――というよりは、農作業の手伝いをしてくれるようになった。
「鉄血騎士」の異名を持つ彼が、クワを手に畑を耕す姿は少し滑稽だったけれど、その手つきは真面目で実直な彼の人柄そのものだった。
「クラウス様、もう十分ですわ。そんなに根を詰めては、お体を壊します」
「いや、これは俺の使命でもある。それに……君の作るスープの礼だと思えば、安いものだ」
ぶっきらぼうにそう言って、顔を少し赤らめるクラウス様。堅物な彼のそんな一面を見るたびに、私の胸は少しだけ温かくなる。
フェンもすっかり彼に懐いて、畑仕事の合間には、彼の足元でじゃれつくようになった。その光景は、まるで昔からそうであったかのように、自然で、穏やかな時間だった。
そんな平和な日々の中、エリアーナ領の噂は、行商人たちの口コミによって、ゆっくりと、しかし確実に広まっていった。
「辺境に、奇跡の楽園があるらしい」
「そこでは、どんな不毛の地でも黄金の穀物が実るそうだ」
「病を癒す薬草や、果物のように甘い野菜が、山のように採れるとか」
噂は尾ひれをつけ、私の領地は「聖者の楽園」とまで呼ばれるようになっていた。時折訪れる行商人たちは、私の作る高品質な作物や加工品を喜んで高値で買い取ってくれ、領地の財政は驚くほど潤っていった。そのお金で、私たちは新たな農具を買い、村の家を修繕し、領地はますます豊かになっていく。
一方で、私が追放された王都は、深刻な事態に陥っていた。
クラウス様がもたらす情報によると、王国の「土地枯渇病」は日に日に悪化の一途をたどっているという。
王都の市場からは食料が消え、パンの価格は数倍に高騰。民衆は飢え、あちこちで暴動が起き始めていた。頼みの綱であった聖女リリアの「光の奇跡」も、なぜか近頃は力が弱まり、大した効果を発揮できなくなっていた。
それもそのはずだ。リリアの力の源は、土地や他者から奪った生命力。その土地自体が枯渇し始めている今、彼女の力が弱まるのは当然の帰結だった。
王城では連日、対策会議が開かれているが、誰も根本的な原因を突き止められず、右往左往するばかり。貴族たちは自らの領地の食糧を囲い込み、民衆の苦しみには見て見ぬふりをしていた。
そんな絶望的な状況の中、王都にも「辺境の楽園」の噂が届き始める。
最初は、誰もがそれを荒唐無稽な作り話だと笑い飛ばしていた。あの不毛の地が、楽園になるはずがない、と。
しかし、行商人たちが持ち帰る、見たこともないほど見事な作物や、辺境領の活気に満ちた話が具体的になるにつれ、王城の雰囲気は徐々に変わっていく。
「まさか……あの追放した女が、何かを?」
「ありえん! あれはハズレスキル持ちの役立たずだったはずだ!」
焦りと疑念が、王城の玉座に渦巻き始める。
そして、ついにアルベルト王子は、その噂の真偽を確かめるため、辺境の地へ調査隊を派遣することを決定した。
彼らはまだ知らない。
自分たちが捨てた石ころが、国を救う唯一無二の宝石だったということを。
そして、その宝石は、もはや彼らの手の届かない場所で、強く、美しく輝いているということを。
穏やかな辺境の楽園に、王都からの黒い影が、刻一刻と迫っていた。




