第九章:大地の怒り
王都からの使者を追い返してから、十日後。
懸念していた通り、アルベルト王子は実力行使に打って出た。辺境領の境界線に、王国の騎士団およそ千名が姿を現したのだ。先頭には、金色の鎧を輝かせたアルベルト王子と、その隣で勝ち誇ったように微笑む聖女リリアの姿があった。
「エリアーナ! 最後のチャンスだ! 今すぐ城門を開き、我々に降伏せよ! さすれば、命だけは助けてやろう!」
アルベルト王子の傲慢な声が、拡声の魔道具を通して響き渡る。
私たちが立てこもるのは、村の周りに急ごしらえで築いた木の柵と、わずかな見張り台だけ。対するは、千の正規軍。戦力差は、火を見るより明らかだった。村人たちの顔には、不安と恐怖の色が浮かんでいる。
「エリアーナ様、ご指示を」
隣に立つクラウス様が、静かに剣の柄に手をかけた。彼の率いる数十名の騎士たちも、覚悟を決めた顔で前線に並んでいる。
でも、私は彼らを戦わせるつもりはなかった。これは、私の問題だ。誰も傷つけたくないし、傷つけさせたくない。
私は見張り台の सबसे上へと登り、眼下に広がる王国軍を見据えた。そして、隣で心配そうに私を見上げる、いつの間にか中型犬ほどにまで成長したフェンの頭をそっと撫でた。
「フェン、お願い。みんなを、私たちの家を守る力を貸して」
私の祈りに応えるように、フェンが天に向かって、高らかに咆哮した。
「ウォォォォォン!」
それは、ただの威嚇ではなかった。大気を震わせ、大地そのものを揺るがすような、聖なる獣の雄叫び。
その瞬間、奇跡が起こった。
私の足元から、温かく、そして強大な力が溢れ出し、フェンの咆哮を介して大地全体へと広がっていく。私の【土壌改良】スキルが、大地の聖獣であるフェンの力を増幅器として、土地そのものを操る「神の力」へと昇華されたのだ。
ゴゴゴゴゴ……!
王国軍の足元の大地が、まるで生きているかのように隆起を始めた。森の木々が意志を持ったかのように枝をしならせ、不気味な音を立てて絡み合い、進軍路を塞ぐ巨大な緑の壁となる。地面からは巨大な岩が次々とせり上がり、投石器や破城槌を無力化していく。
「な、なんだこれは!? 地震か!?」
「森が……森が動いている!」
突然の異常事態に、王国軍は大混乱に陥った。馬は暴れ、兵士たちは恐怖に叫びながら逃げ惑う。
「ひ、怯むな! 進めーっ!」
アルベルト王子が必死に叫ぶが、その声は誰にも届かない。大地が彼らの進軍を、完全に拒絶していた。
私は、ただ静かに祈り続ける。
(誰も、死なないで。ただ、帰って)
私の力は、破壊のための力じゃない。守るための力だ。
大地の怒りは、誰一人として傷つけることなく、ただ進路を妨害し、彼らの戦意を根こそぎ奪っていった。
やがて、完全に進軍の術を失った王国軍は、統率を失い、蜘蛛の子を散らすように敗走を始めた。
「お、覚えていろ、エリアーナァァッ!」
アルベルト王子は、屈辱に顔を歪めながら、捨て台詞を残して逃げていく。その隣で、リリアが信じられないものを見るような目で、呆然とこちらを見上げていた。
一人の負傷者を出すこともなく、千の軍勢を退ける。
それは、魔法でも武力でもない、大地そのものが起こした奇跡だった。
戦いが終わった後、村人たちは「うおおお!」と歓声を上げ、私とフェンを英雄として称えた。
「エリアーナ……君は、本当に……」
クラウス様が、驚きと畏敬の念が混じったような目で、私を見つめている。
私は、まだ震える手でフェンを抱きしめた。
これで終わりではないだろう。でも、私たちは勝った。自分たちの力で、大切な場所を守り抜いたのだ。
夕日に照らされた辺境の地は、まるで祝福するように、黄金色に輝いていた。




