1-8 言葉の分かれた塔の二人
ミオリのいた部屋での混乱を一通り収めると、
アステルは深い紺のローブをひるがえし、研究者たちへ淡々と指示を飛ばした。
「――結界の修復班、至急配置を。
毒に侵された魔道具の回収と解析は別班で行え。
格子の溶解痕は魔力反応を採取して記録しろ。
原因の切り分けを急ぐ」
その声音は冷ややかで揺らぎがなく、
透明な氷の柱が命令を下すようだった。
淡金の髪が魔灯の下で銀色に透けるたび、周囲の空気が引き締まる。
研究者たちはその一片の影すら逃すまいと動きを鋭くし、
塔の混乱はアステルの指揮のもと秩序を取り戻していった。
すべての指示を終えると、
アステルは靴音も乱さずミオリの運ばれた医務室へ向かう。
規則正しい足取りとは裏腹に、胸の奥には言いようのないざわつきが残っていた。
(……どうして、ここまで落ち着かない)
医務室の扉が静かに閉じる。
柔らかな魔灯がほの白い影を落とし、
治療結界の光が脈打つように揺れていた。
ミオリはその中心で眠っていた。
黒い髪が白い枕に溶け、
わずかに色を失った頬が痛々しいほどに静かだ。
アステルは結界の外縁へ片手をかざし、
淡青に透ける瞳で魔力の流れを読み取る。
長い指先は震えず、動作は正確そのものだったが、
その端で小さく息が乱れた。
「……かつてない量の魔力を使っている。
自分の命を危険にさらすほどの何かを【想造】した……?」
治療班へ最低限の指示だけを与え、室内から下がらせる。
扉が閉じると、部屋にはアステルひとりだけが残った。
静寂の中、
彼の肩からふっと力が抜ける。
(今回は平気だったが、こんなことが続けば……命が危ない)
思考が沈んでいくその時、
扉が音もなく開いた。
「……【想造士】が失われるところでしたね」
柔らかく落ちる声。
くすんだ灰金の髪が灯りを受けて淡く光り、白衣に似た灰白のローブが揺れる。
ベリオン・グラズ。
アステルに次ぐ研究室の副室長。
彼はいつものように穏やかに微笑んでいた。
薄い金灰の瞳は柔らかく、
だが、その奥には研ぎ澄まされた冷えた闇が潜んでいる。
アステルの冷静さとはまったく異質の、
“まるで、もとから温度を持たない静けさ”だった。
アステルは視線だけを向け、低く言う。
「失われてはいない。
回復に時間がかかるだけだ。
……それより、お前の仕事は装置の修復だと言ったはずだが?」
「そのつもりですよ」
ベリオンは肩をすくめ、静かに歩み寄る。
白く細い指先が、治療結界に反射した光を興味深げになぞった。
「ですが――部品が足りません。
回路が完全に焼け切れていました。
まるで、一度に膨大な魔力を通したかのように」
アステルの眉がわずかに揺れる。
ベリオンはその変化を楽しむように、ミオリへ視線を落とす。
「本当に……よく壊れませんでしたね」
その声には哀れみも驚きもない。
ただ、壊れ物を見る時の淡々とした美意識だけがあった。
「……もし、本当に彼女が壊れてしまったら?」
ベリオンは壁の紋章に触れながら、微笑を崩さず続けた。
「塔の研究の多くが停滞します。
下層の“管理者”たちは大騒ぎでしょう。
【想造士】はこの国の資源であり、財産ですから」
アステルの青い瞳が冷たく光る。
しかしベリオンの言葉を止められないのはそれが事実でもあるからだ。
「――考えるべきでは?」
ベリオンは横顔のまま静かに笑う。
その笑みは唇だけが形を作り、目はまったく笑わない。
「【想造士】そのものを“造る”方法を」
空気が、わずかに震えた。
「あるいは、力の遺伝や継承の研究。
彼女が壊れた場合に備えた、後継の研究を」
アステルの睫毛がわずかに揺れる。
それは怒りにも驚きにも似た、抑えた感情のひずみだった。
ベリオンは穏やかな声で続ける。
「国家のためにも、必要でしょう?
唯一無二の資源が、たった一人では危険すぎる。」
その物言いは、
ミオリを“機能が壊れれば取り替える部品”とでも言うかのようだった。
アステルは静かに告げる。
「馬鹿げている」
表情はほとんど動かないのに、声は氷のようだった。
「人を“予備の器”として造り出す研究など、許されるはずがない。」
「許される、許されない――」
ベリオンは淡く笑う。
灰金の髪がゆるく揺れ、
薄い金灰の瞳は相変わらず温度を欠いたまま。
「あなたはまだ、そういう言い方をするんですね。」
「お前の発想は倫理に欠けている。
ただそれだけだ。」
アステルの姿は氷で彫った彫像のように静かで、
しかし胸の奥に熱だけがひそんでいた。
ベリオンは軽く手を上げた。
「ここで、話し合っていても仕方がありません」
あっさりとした態度。
だがその瞳の奥では、静かな興味の炎が消えていなかった。
退室しかけて、ふと振り返る。
灰金の髪が淡く揺れ、薄い金灰の瞳がアステルを射抜いた。
「……いずれ必要になりますよ。
彼女が“選ばれた存在”である限り」
ベリオンは微笑みを深め、
音もなく扉の向こうへ消えた。
再び、静寂。
アステルはゆっくりとミオリの傍へ歩み寄る。
淡金の髪が揺れ、薄氷のような青い瞳が結界越しに少女を見つめる。
無意識に伸ばした手が、彼女の髪に触れる寸前で止まった。
触れてはいけない。
研究者としての立場が、それを押しとどめる。
しかし、止めた指先はしばらく空中で震え、
やがて静かに降りた。
結界の光が淡く揺れ、
少女は深い眠りの中で小さく息をする。
アステルの胸の奥で、
理性と感情の境界が静かに軋み始めていた。




