1-5 算段と無垢の淵
王城の奥まった区画にある庭園の中、二つの影が細い小道を進む。
足音だけが石畳に吸い込まれていき、周囲の空気がゆっくりと静まっていく。
深い金の髪を持つこの国の第一王子――アルヴィンは、隣を歩く青年へと視線を向けた。
黒髪の青年――ヤドク。
その歩みは不安定で、痛みという概念そのものが曖昧なのか、足元をふらつかせても気に留める様子がない。それでもただ前へ進もうとする。
「もう少しだが、歩けるか?」
問いかけに、青年はこくりと頷いた。
だがその仕草もどこかぎこちなく、次の瞬間ふらりと身体が傾ぐ。
アルヴィンが咄嗟に肩へ手を伸ばした――
が、触れる寸前で青年は身をひねり、その手を避けて体勢を立て直す。
ヤドクは小さく首を振った。
「……たぶん、触るのは……よくない」
池を染めて揺らいだ赤紫の水面が、アルヴィンの脳裏を掠めた。
「……恐らく、毒。触れられぬ身体……か」
青年は答えず、ただ前を向いた。
廊下に入ると、空気がさらに静まる。
ここは王子の“私的区域”――侍従でさえ許可なく踏み込めない、閉ざされた空間だ。
やがて重い扉の前にたどり着く。
アルヴィンが鍵をまわし、静かに指し示す。
「入れ。ここなら危険はない」
アルヴィンは外套を脱ぎながら、ヤドクを振り返る。
中へ一歩踏み入れた瞬間、ふっとヤドクの膝の力が抜けた。
「……っ!」
アルヴィンはとっさに手に持っていた外套でヤドクの体を包むように抱えると、ベッドへと運ぶ。
そして運ばれた青年は触れた感覚も残さぬまま、糸が切れたように眠りへ落ちた。
彼の露出した肌に触れた布にはじわりと毒の色が移り、彼がやはり異形であることを静かに伝えてくる。
一方で、眠りについた呼吸は深く穏やかに整っていく。
肌に広がる毒々しい模様も淡く薄まり、まるで“危険ではない”と判断したかのようだった。
アルヴィンは椅子に腰掛け、しばらくその寝顔を見守った。
「……ここまで無防備になるのか」
逃走時に負ったと思われる傷は浅いが数が多い。
アルヴィンは掌に微弱な光を宿し、距離を保ちながら治癒魔法を施す。
「まるで……生まれたばかりの子どもだな」
ここ、ラドミア王国では他の国に比べて魔力を持つ者が少ない。
そのなかで、飛び抜けてというわけではないがある程度の魔法の才を持つアルヴィンは、治癒の魔法を身につけていた。
手に宿した癒しの魔力で見える範囲の治療を終えると、椅子に戻り深く息を吐く。
頭の中で、状況の整理が始まる。
(塔の魔術師たちは、王に匹敵する権力を持つ。
ミオリの扱いは、王族でさえ容易に触れられぬ領域。
恐らく、このヤドクという青年……塔の失態を示す材料にもなり得る。
ミオリと何らかの形で結びついているのは確実――)
魔力を持つ者が少ないこの国では、魔力を持たぬ民にも恩恵を行き渡らせるための研究が求められてきた。
その役割を担った魔術師たちは、国の発展と引き換えに権力を増していった。
やがて、この国にはある考え方が根を下ろす。
転生者――前の世界の記憶と強い魔力を持って生まれる存在が、
民の魔力を奪って生まれてくるのではないか、という考えだ。
もちろん、それが真実なのかどうか証明も否定もすることは出来ない。
確かなのは、その考えがどこかこの国に流れる霧のように静かに広がっているということ。
そして過去に現れた転生者たちは国のために力を使い、自由なく消費されるように消えていったこと。
そしてこの時代に現れた転生者、【想造士】ミオリ・エルナ。
アルヴィンは寝台の青年へと視線を戻す。
彼女に間違いなく関係しているであろうこの青年。
彼がこの国に広がる病を晴らすきっかけになるのではないか、という薄い希望。
「……どの道を選ぶべきか……一つだけ確かなのは、
今、お前を塔へ戻すわけにはいかない」
ここは王子の私室。
誰も干渉できない場所。
アルヴィンは思考の底へ沈み、
ヤドクは、何も知らぬ眠りへ落ちていった。




