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想造のファルマコン  作者: 源泉
第二章ガラスの靴を踏み砕く音

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2-11 異国の幌馬車

アルヴィンとヤドクはノートの返却を終えたところだった。

塔から続く回廊を抜けると、石壁に反響していた声がすっと遠のく。

アルヴィンは歩きながら、軽く息を吐いた。



「よし、用事は済んだ」



ヤドクは一歩遅れて、その背を追う。



「もう、殿下の部屋に戻るのですか?」



部屋の外用の、堅い口調のままヤドクは問いかける。



「いや」



アルヴィンは肩越しに振り返り、どこか気軽な調子で言った。



「今から、外に行く」


「……外?」


「城下だ。堅苦しい用事じゃない」



アルヴィンはそう言って歩調を緩め、ヤドクの隣に並ぶ。



「なにも大げさなものではない。

お前に、街を見せたいだけだ」



ヤドクは一瞬、言葉を探すように瞬きをした。



「……俺が、ご一緒しても?」



問いというより、確認に近い声音だった。



「当然だろう」



アルヴィンは迷いなく答える。



「それに、今は異国のキャラバンが来て街が賑わっている。私もそれを見たい」



最初からそのつもりだったのだろう、よく見ればアルヴィンは普段よりも服装が軽い。

王子というよりも少し身なりの良い青年、といった感じだ。


そこでヤドクはふと思い出したように言った。



「リゼリア様は、ご一緒されなくてよいのですか?」


「ん?」


「昨日、お話した際にそのようなことを話していたので」



アルヴィンは足を止めず、ほんのわずかに口元を緩めた。



「ああ、その話か」



一拍置いて、淡々と続ける。



「人が多いし、今回は非公式だ。護衛も最低限にする。

婚約者を連れて行くような場じゃない」



それは説明というより、判断の共有だった。



「リゼリアは、また改めて正式な形で行けばいい。城下の催しに出る機会なら、いくらでもある」



それに、とアルヴィンは続ける。



「リゼリアが本当に行きたかったら私の誘いなど待たずに自分で行くさ、彼女のことは幼い頃から知っている」


「でも……」



ヤドクの迷うような言葉に、アルヴィンは足を止めて待つ。



「アルと、一緒に行きたかったんじゃ?だって、婚約者って恋人と夫婦の間の関係で……」



少し砕けた口調になったヤドクの言葉に意外そうな表情を浮かべたあと、アルヴィンは声に出して笑う。



「その認識は間違ってはいないだろう、一般的にはな。

だが私はこの国の王子。

我々の婚約は、産まれる前からほとんど決まっていたようなものなんだ」


「……アルたちは好きあってる訳では無いの?」



ヤドクの問いかけにアルヴィンは立ち止まり、はっきりと言い放つ。



「少なくとも私はリゼリアのことは尊敬している。

この国には彼女以上に私の伴侶に相応しい女性は居ない」



通りすがりの城の者たちに、会話が漏れ聞こえたのか冷やかすような視線や、咳払いが聞こえた。


人通りが増えていたことに気がついたアルヴィンは慌てたように城の外へと向かう。

 

城門が近づくにつれ、外の音が少しずつ混じり始める。


人の声。

馬の蹄。

荷車の軋む音。


門を抜けた瞬間、空気の温度がわずかに変わった。


あの白い花をもらった日。

“正式”に客人となるために城壁の外へ出たあの日には、

まだ気がつかなかった違い。



「……いろんな音が聞こえる」



ヤドクが呟く。



「そうだな。城の中はどうしても変化が少なく単調になる」



アルヴィンは周囲を一瞥しながら言った。



「街はいい、来るたびに人や音や匂いが変わる」



石畳を踏む足音に、人々の会話が重なる。

笑い声。

呼び声。

売り子の声。


ヤドクは、自然と視線を巡らせていた。

誰もが、こちらを見ているわけではない。

気づいても、すぐに関心を失う。

それが、城内との決定的な違いだった。



「……人が、多いですね」


「今日は特に賑やかだ」



アルヴィンが指差す先に、色とりどりの布と簡易な舞台が見えた。



「芳華の国キャラバンが来ている。ラドミアよりも南にある大国だ」


「外の、国」


「あの国の演舞は見応えがあるぞ。

速くて、派手で、理屈より先に目を奪う」



アルヴィンは、少し楽しげに言った。



「こういうものを見ておくのも悪くない」



人の流れに乗りながら、二人は屋台の並ぶ方向へ歩いていく。

ヤドクは後ろから付いてくる数名の護衛が気にかかった。


それに気がついたのか、アルヴィンが決まりのようなものだから気にするな、と声をかける。



太鼓の音に導かれるように、人の流れが一段と濃くなる。


屋台が並ぶ通りに足を踏み入れた瞬間、

城下に出たときとも違う匂いが鼻をくすぐった。


甘い果物の香り。

乾いた花。

舌に残りそうな香辛料。

焚かれた香の、どこか重たい甘さ。



——どれも、ミオリの記憶にはない匂いだった。



ふと、アルヴィンが立ち止まり、屋台の一つを指さす。

色鮮やかな果実が籠に積まれていた。



「向こうの国の果物だそうだ。甘いらしい」



そう言って、銀貨と引き換えに躊躇なく一つ手に取り、ヤドクに差し出す。



「いいの?アル……」


「構わん、解毒の魔法なら心得ている」



ヤドクの心配そうな表情に、アルヴィンは笑いながらそう答える。


周囲に控えているはずの護衛も、止めに入る様子はなかった。



——何かあっても、殿下なら対処できる。

そういう前提が、ここにはあるのだろう。


受け取った果実は、指先に少しだけ粘りを残した。

皮を剥くと、さらに甘い香りが立ちのぼる。


一口かじると、舌の奥で知らない味が弾けた。



「……甘い」


「そうだな。こういうものは、城の中では分からん」



アルヴィンはそう言って、楽しげに通りを見渡す。


ヤドクは飾られた花の列に、ふと視線が引き寄せられた。

白い花。


あの日、城壁の外で渡されたものと、同じ花がそこにあった。

形も、色も、記憶の中のそれと重なる。



(……同じ、花だ)



そう思った瞬間、太鼓の音が一段大きく鳴った。



「お、ちょうど演舞を披露するところだ」



アルヴィンがそう言って、ヤドクの手首を軽く引く。


人の波を縫うようにして、二人は観客の後方に立った。

前に出ることはせず、あくまで流れの端に留まる位置。


舞台の上に、演者たちが現れる。


剣を携えた者。

火を操る者。

身体を大きく使い、間合いを切り裂くような動き。



「見事だな」



アルヴィンは素直に感心したように呟く。



「剣も、足運びも、無駄がない。遊芸にしては鍛えられている」



だが、ヤドクは剣よりも、火よりも、

別のものに目を奪われていた。


舞台の中央を横切る、銀色の光。

まるでそれすらも衣装の一部かのように舞う長い髪。


太陽を反射して揺れるその色に、なぜか胸の奥がひっかかった。



(……どこかで)



思い出そうとするより早く、

その人物がふと顔を上げた。


視線が、重なる。

一瞬。浅黒い肌、銀の髪。


ほんの一瞬だけ。

男は、笑ったように見えた。



——気がしただけかもしれない。



次の瞬間、舞台の動きに視線は攫われ、

観客の歓声がそれを押し流した。


速い。

綺麗だ。

理屈よりも先に、目が追ってしまう。


だが。


理由は分からない。

説明もつかない。


胸の奥に、ほんのわずかなざわつきが残った。


追われている、

というほどはっきりしたものではない。


ただ、

一歩遅れれば何かが変わってしまうような、

そんな感覚の原型だけが、静かに沈んでいた。



太鼓が鳴り、

人の波が揺れる。


ヤドクはその中心へ近づいていく感覚に、

なぜか視線を逸らすことが出来なかった。



城への帰り道、楽しげに話すアルヴィンに相槌を返しながらも、ヤドクはどこか上の空だった。

演舞を見ていた時に胸の奥に残った、あの妙な感覚が、まだ離れなかった。


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