2-2 許されなかった夜の後に
翌朝。
離れの庭は、朝靄に包まれていた。
城の中枢からわずかに距離があるこの一角は、いつもと変わらず静かで、鳥の声すら控えめだ。
アルヴィンは、小卓に並べられた朝食に目を落とす。
粥と、柔らかく煮た肉。刺激の少ない果実。
病を患っている客人のため、という名目で用意させたものだ。
正式に「客人」として迎えるまでは、この離れに給仕を呼ぶことはできず、
その頃はアルヴィン自身が簡単な料理を用意していた。
火を起こし、湯を沸かし、塩加減も分からぬまま、とにかく腹を満たすためのものを作るだけだった。
味も、見た目も、決して褒められたものではない。
だがヤドクは、それを疑いもせず口にした。
――今は違う。
料理人の手を経た食事が、正式な手順で、正式な理由を添えて運ばれてくる。
それは、保護の証であると同時に、
この城の「内側」に組み込まれたという合図でもあった。
アルヴィンは、卓に並んだ椀を見つめ、ほんの一瞬だけ、視線を伏せる。
本来、この庭の中にある離れは、たとえ他の王族であっても、アルヴィン以外は誰も立ち入らせない場所だった。
食事の際、料理人と給仕だけは、厳重な監視のもとで中へ入れている。
「……もう下がっていい」
短く告げると、使用人たちは深く頭を下げ、速やかに庭を出ていった。
人の気配が完全に消えたのを待ってから、アルヴィンは向かいに座るヤドクを見る。
「では、食べよう」
ヤドクは、少し戸惑うように椀を見つめていた。
だが促されると、覚えたての所作で匙を取る。
数日前とは、見違えるほどだ。
(……早い)
食べ方。
姿勢。
音を立てないこと。
視線を落とす角度。
どれも、完全に教えた通りというわけではない。
それでも、“思い出した”としか言いようのない身につけ方だった。
――最初の食事は、ひどいものだった。
熱い粥に指を突っ込み、驚いて椀を落とし、床にこぼれたものを拾おうとした。
食べ物と道具の区別も曖昧で、口に運ぶ前に匂いを確かめ、時には警戒するように睨んだ。
あの時は、時間がかかると思ったのだ。
人として振る舞うまでには。
(だが……)
今、ヤドクは静かに食事をしている。
ぎこちなさは残っているが、それでも“客人”として通用する程度には。
(何を、誰の動きを思い出しているのか)
それが、安堵と同時に、拭えない違和感を呼ぶ。
その時――
遠くから、微かな振動が伝わってきた。
庭の外、塔の方角。
アルヴィンは、無意識にそちらへ視線を向ける。
進められていた魔術塔の結界の作業が、確実に進行している。
早ければ、この日のうちに完成するだろう。
(ヤドクの懸念は、正しい)
完成すれば、塔へ近づくことは、これまで以上に困難になる。
ヤドクの脱出と侵入は、前例がなかったからこそ、成し得たことだった。
廊下ですれ違った魔術師たちの会話が、脳裏に蘇る。
「結界と警備が強化されれば、侵入だけでなく、塔からの脱走も難しくなるらしい」
「【想造士】を守るためだってさ。あの騒ぎの後だからな」
“あの騒ぎ”とは、ヤドクが生まれた日のことだろう。
塔からの脱走を防ぐ対策。
それは、おそらくミオリが逃げないためではない。
ミオリが【想造】した何者かを、逃さないためのものだ。
アルヴィンは、匙を置いた。
魔術師たちは、あの事件をきっかけに、ミオリを再確認し始めている。
“守るべき存在”としてではない。
“守るべき資源”として。
利用するためではない。
だが、管理し、囲い込み、決して失わないために。
それは正論だ。
王族として、研究を認めてきた立場として、否定はできない。
だが――
その正論の中に、
ミオリ自身の意思が、どれほど含まれているのか。
アルヴィンは答えを出さない。
出せない。
ただ、それを受け入れるしかない立場にいることが、
胸の奥に重く沈んでいた。
向かいで、ヤドクが食事を終え、視線を上げる。
「……アル」
その呼びかけに、アルヴィンは微かに笑みを作った。
「何だ」
「塔……もう、近づけなくなる?」
問いは素朴で、真っ直ぐだった。
アルヴィンは、一瞬だけ言葉に詰まり、
それから、曖昧に答える。
「……以前よりは、難しくなるだろうな」
それ以上は言わない。
期待も、絶望も、与えすぎてはいけない。
(私がヤドクにしていることも、
この国がミオリにしていることと、同じなのかもしれないな)
アルヴィンは胸の内の自嘲を押し隠すように、少しだけ明るい声を出す。
「だからこそ、表から堂々と入れるように立ち回るんだ。
今すぐには難しいが、確実な方法だ」
ヤドクは真剣な顔で頷く。
「承知致しました、アルヴィン殿下」
不意に見せた整った口調に、アルヴィンは微笑み、続けた。
「今日は城を歩こう。出会った者たちに、お前を紹介する。
今のように振る舞えれば、問題はない」
そう言って、アルヴィンは立ち上がる。
まるで、何かの迷いを振り切るかのように。




