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想造のファルマコン  作者: 源泉
第二章ガラスの靴を踏み砕く音

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23/28

2-1 鐘が鳴ったあとで

時刻は夜更け。

離れへと続く廊下は、灯が落とされきる寸前の静けさに包まれていた。


城全体が眠りへ向かう途中の、まだ完全には切り替わらない時間帯。

人の気配は薄いが、消えてはいない。

それでも、この離れのある庭に、誰かの足音が響くことはない。



「すっかり遅くなってしまったな」



アルヴィンは早足で部屋の入口までたどり着き、静かに扉を開けた。



――誰もいない。



その事実を認識した瞬間、思考が一拍、空白になる。

視線が、反射的に部屋の奥へ走る。


机。

椅子。

窓。


荒らされた形跡はない。

争った痕跡も、引きずられた跡もない。

それでも、胸の奥がひやりと冷えた。


一瞬だけ、最悪の想像が浮かぶ。

正体が露見し、連れて行かれたのではないか。


魔術師たちの研究室へ――。

だが、すぐに否定する。


もしそうなら、ここが無事で済むはずがない。

ヤドクが抵抗しないはずはない。


家具は倒れ、床は乱れ、毒の痕跡が残っているはずだ。

アルヴィンは、ゆっくりと息を吐いた。

机の脇に、服が置かれている。



――自分が用意した、あの服だ。



城の客人として通用するよう仕立てた装い。

そして、床。

ヤドクが貰ったという、あの白い花の花弁が、いくつか落ちている。


踏み荒らされたわけでもない。

投げ捨てられたわけでもない。


ただ、そこにあったものが、そこに落ちているだけだ。

アルヴィンは、無意識に目を伏せた。



「……」



深い溜息が、喉の奥から零れ落ちる。

無事だ。

少なくとも、強制的に連れ去られたわけではない。

だが同時に、別の事実が、はっきりと浮かび上がる。



――自分の管理を離れて、動いた。



その事実のほうが、胸に重くのしかかる。

制御できていると思っていた。


守れていると、思い込んでいた。

彼の衝動に、気づけなかった。


いや――


目を離していなくても、彼はきっと、動いたのだ。

アルヴィンは、しばらくその場に立ち尽くしていた。


怒りは、ない。

だが、安堵とも違う。


胸の奥にあるのは、焦りに近い感覚。

そして、それ以上に――


はっきりとした、恐怖だった。



扉が開く音がした。

微かな気配。

足取りは軽くないが、乱れてもいない。


アルヴィンは、振り返らなかった。

振り返る前から、誰が立っているか分かっていた。



「……戻ったか」



ヤドクは、何も答えない。

闇に溶けるような黒い服。


それは、ヤドクがアルヴィンと出会ったときに着ていたものだ。

露わになった肌に、赤と青の紋が浮かんでいる。


アルヴィンは、声を荒げなかった。

怒鳴る理由がないわけではない。

だが、怒鳴れば――この関係は崩れる。



「どこに行っていた」



淡々とした声だった。

問い詰める調子でも、詰問でもない。

事実を確認するための、静かな問い。


ヤドクは、少し間を置いてから、視線を伏せたまま答える。



「……塔に。ミオリのところへ」


(やはり、か)



アルヴィンの指が、無意識に強く握られる。



「自分が何をしたのか、分かっているのか」


「……うん」


「私に、許可も取っていない」

「……うん」



アルヴィンは、再び息を吐いた。

この場で怒ることは簡単だ。

だが、怒っても何も解決しない。



「理解しているか」



声を、わずかに低くする。



「お前が――無事で済まない可能性があった」



ヤドクは黙ったまま、視線を落としている。



「もし捕まっていたらどうなった」



言葉を選びながら、続ける。



「研究対象として扱われ、二度と外へは出られなかっただろう」



そこで一拍、置く。



「そうなれば……もちろん、ミオリに会うことも出来なくなる」



一瞬、ヤドクの指先が、かすかに動いた。



「……ごめんなさい」



ぽつりと、謝罪が零れる。

アルヴィンは、わずかに意外そうな表情を浮かべ、その先を待った。



「アルの立場も危なくなる可能性があったのに」



ヤドクの声は小さい。



「それでも、アルは俺のことを心配する言葉をくれた。

それなのに、勝手なことをして……本当にごめんなさい」



言い訳はない。

取り繕う様子もない。

その反応に、アルヴィンの胸は、かえって締めつけられた。



「……謝罪を求めているわけではない」



静かに告げる。



「理由を教えてくれ」



ヤドクは、少し考えるように視線を彷徨わせた。



「……白い花が、散ってしまって」


「花が?」



アルヴィンは、床に落ちた花弁へと視線を向ける。



「それと、昼間に聞いた結界の話が重なって」



ヤドクは言葉を探しながら続けた。



「このままだと、もうミオリに会えなくなる気がして……止められなかった」



アルヴィンは、黙って考え込む。



(衝動的ではある。

だが――私への影響や危険性を、理解していなかったわけではない)



無断で動いたにもかかわらず、

彼はあらかじめ、城の客人として与えた服を脱いでいた。


その事実が、すべてを物語っている。

アルヴィンは椅子から立ち上がり、ヤドクの方へ向き直る。



「……次は、何かをする前に、必ず言え」



強い命令ではない。

だが、懇願でもなかった。



「あまり勝手をされては、守りきれない」



ヤドクは、静かに頷く。



「わかった。アルは……本当に優しいね」



その言葉に、アルヴィンは小さく苦笑した。



「王家の者は、下々の者に優しくあるべきだと育てられたものでね」



皮肉のつもりだった。

だが、純粋な信頼を向けるヤドクには、通じない。



「俺、アルに出会えて良かった」


「……お前は、動揺すると言葉が幼くなる。まだ練習が必要だな」



そう言いながらも、

アルヴィンは目の前の――

賢く、純粋で、そして危うい存在を、いよいよ測りかねていた。


同時に。

それ以上の情を、すでに抱き始めていることにも。

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