1-18 白い花となる前に
夜。
城内の灯は、まだすべてが落ちきってはいなかった。
人の気配が消えきらない刻。
それでも、昼とはまるで違う沈黙が、回廊や庭に滲みはじめている。
机の上には、もう白い花はなかった。
音もなく散った、あの瞬間から――
理由のない焦燥感だけが、ヤドクの心を締めつけている。
ヤドクは、アルヴィンが用意した服に手をかけた。
品の良い、城の客人に見えるための装い。
それを脱ぎ捨て、
生まれた夜に着ていた、闇に溶けるような黒い服を身にまとう。
露わになった肌に、赤と青の毒の紋がゆらりと揺れた。
隠していない。
誤魔化してもいない。
それは、毒も含めた、確かにそこにある自分自身だった。
ヤドクはそっとアルヴィンの部屋を出る。
アルヴィンは、まだ戻らない。
呼び止める声も、止める理由も、今はない。
計画はなかった。
「行く」と決めた実感すら、はっきりとはない。
ただ、立ち止まってはいけない、という衝動だけが、胸の奥に残っている。
城内の通路を使わずに、アルヴィンの庭を抜け、
低い壁を越える。
木と建物の影を選び、
灯の届かない場所だけを渡って、静かに塔を目指した。
この数日で、ヤドクは理解していた。
ミオリに会うことは、簡単ではない。
失敗すれば、自分だけでは終わらない。
アルヴィンの立場すら、危うくなる。
それでも、足は止まらなかった。
巡回の足音。
遠くで交わされる声。
監視の気配。
息を殺し、気配の隙間を縫う。
危険だということは、わかっている。
だが、それ以上に――
会いたい。
その想いだけが、ヤドクを前へと押し出していた。
塔が近づくにつれ、空気が変わる。
人の立てる音が減り、気配そのものが鈍っていく。
昼間、リゼリアと呼ばれていた女が口にしていた、結界の強化。
その影響なのか、塔の外には人の気配がほとんどない。
だが、塔の入口や内部には、確かに人影がある。
低く交わされる声。
巡回の足音。
分かってはいた。
正面から入れるはずがない。
窓の少ない、高い塔。
その分、外壁そのものは、手薄のようだ。
だが――
ヤドクという“例外”が現れたことで、
外から侵入されたと判断され、新たな結界が張られようとしているのだろう。
それが完成すれば、
ミオリに会うことは、さらに難しくなる。
焦りが胸を刺す。
ヤドクを動かしている理由のひとつ。
どう越えるかは、考えていない。
考える前に、体が動いている。
塔の裏手へ回り込み、
外壁に触れる直前で、ヤドクは一瞬だけ動きを止めた。
石肌の上を、薄く光の筋が走っている。
張られたばかりの結界――
まだ、完全には安定していない。
——時間は、残されていない。




