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偽りの境界線-町田の恋

町田限定ブルーライト文芸が書いてみたかったので。


挿絵(By みてみん)


「ねぇ、弘道。この街って、どこまで行っても東京のふりしてるだけだよね」


放課後の町田駅前。ペデストリアンデッキの広場のグルグルと回転するオブジェを見ながら、光野 舞(ひかりの まい)は少し寂しげな顔で言った。隣を歩いていた俺は思わず反論する。


「は?何言ってんだよ、舞。ここは正真正銘、東京都町田市だぞ。駅だってデパートだって、東京の最前線じゃん」

「でもさ、私たちがテレビで見る『東京』まで一時間くらいかかるじゃない?ここは、ニセモノの東京みたいな?」


俺と舞は東京都町田市生まれ。幼馴染だ。俺は小学生低学年の時に、川の向こうの相模大野に引っ越したが、今でも二人の家は、境川を挟んでわずか数百メートルの距離にある。


町田をディスるのは町田市民の定番のジョークだ。ことさら目くじらをたてるほどじゃない。そう思ってはいても、本気で町田を蔑むような舞の言いように明らかな苛立ちを覚えた。舞が、自分の住む街、自分が愛する町田が「偽物」だと否定することに同調を促しているような気がして。


「俺は、この街が好きだぞ。東京でも神奈川でも、どうだっていい」

「そういうところが、弘道はつまんないんだよ」


舞はそう言って、先に歩き出した。その背中までの距離に俺と舞の心の境界線があった。


☆★


翌日、高校の教室で「東京VS神奈川」の不毛な論争が巻き起こった。発端は世田谷 丈(せだがや じょう)のひと言だった。


「いや、町田は東京じゃねぇだろ。せいぜい『神奈川の東京エリア』。俺、世田谷から電車で一時間半かけて通ってるんだぜ。同じ時間で所沢まで行けちゃう。俺から言わせれば、町田は東京風神奈川だよな」

俺がカッとなって立ち上がるのを、神奈川側のムードメーカー、厚木唯(あつぎ ゆい)が笑って止めた。


「まあまあ、東京様。東京は東京でいいじゃないですか。私たち神奈川は神奈川で、横浜・湘南・箱根と、いろいろありますから。神奈川県町田市でも郵便届くんだから、町田は神奈川ってことで!」


教室に笑いが起こる中、舞はなぜか丈の隣に座って、少し楽しそうに笑っていた。


「ねぇ、丈くんは渋谷とか新宿でよく遊ぶの?」

「そりゃそうだろ。俺のエリアはあっちだ。町田なんて、スタバとカラオケくらいしかねーじゃん。なんであんなにスタバあるんだろ?あんなにいらなくない?そんなことより、今度、渋谷で遊ぼうぜ、舞」

「行く!」


舞の即答に、心臓がひやりとした。丈はわざと俺を見て、ニヤリと笑った。その余裕が「真の東京モノの証」だと言わんばかりに。


☆★


俺は焦燥感に駆られていた。丈と舞は、来週の土曜日に渋谷に行くらしい。

どうしたらいい?今更、町田の魅力を伝える?舞は、そんなものは求めていない。


放課後、苛立ちを抱えたままの俺は、いつしか一人で境川沿いを歩いていた。

東京と神奈川の境界線。俺と舞との境界線。本当にあるのかもわからない境界線。


「偽りの境界線か……」


自分のつぶやきで、ふと小学生の頃を思い出した。舞と秘密基地を作ろうとした場所を。

川沿いの少し奥まった場所。立ち入り禁止の看板がある、廃墟のような小さな水門の裏側だ。

あの日、二人は泥まみれになりながら、この水門の影に石を積み上げ、小さな国を作ろうとした。


「弘道の国は神奈川で、舞の国は東京だね!」 「違うよ、この国は東京でも神奈川でもない、二人の国だ!」


あの頃の言葉を思い出し、その場所へと向かった。雑草が生い茂り、完全に忘れ去られたその場所だ。この場所は県境が境川と一致してない、グレーゾーンのようなエリアだった。


町田市の県境は境川に沿っていると思っている人が多いが、実は、過去に行われた河川改修のため、境川と県境は一致しない。町田というグレーゾーンのさらにグレーゾーン。


「まるで町田の中の町田だな」


自嘲気味に呟くと、突然目の前が真っ暗になった。


「どーこだ?」

瞼の上に感じる体温。慣れ親しんだ匂い。舞が後ろから目隠しをしたのだ。


「そこは『だーれだ?』じゃないの?」

「弘道は声ですぐわかるから意味ないじゃん」


舞の小さな手を外しながら、振り返る。いつもより薄いメイクと少し泥がついたスニーカー。

「舞……どうしてここに?」


舞は、俺が立っている場所、境界線上のグレーゾーンをじっと見つめ、小さく笑った。


「弘道が、あんなに苛立ってたから。もしかしたら、ここにいるかなって思ったんだ」


一瞬言葉に詰まった。舞の、まるで自分の心を見透かしているかのような言葉にどきりとする。自分と舞が立っている場所がグレーになったかのようだ。


「ねぇ、覚えてる?小学生の時、ここで『町田は東京か、神奈川か』で大喧嘩したこと。それで、この水門の場所を、『どっちでもない、私たちの秘密の場所』って決めたんだよね」


「ああ、覚えてるよ」俺は崩れた石積みを指差した。

「俺は、お前が町田を悪く言うのが、ずっと嫌だった。俺の、俺たちの、育った街を否定されるみたいで」


舞は手を後ろで組んで、視線を落とした。

「ごめんね、弘道。私、町田が嫌いなんじゃなくて……自信がないんだ。町田って、東京なのに、どこか東京になりきれない場所じゃん?それって、私みたいで」

震える声に舞の本当の気持ちを感じる。


「丈くんは、自分が『東京』であることになんの疑いももってなくて……そこに憧れちゃたんだよね。『渋谷』が東京じゃないなんて言う人いないじゃない?それと一緒で」

舞の言葉に安堵と同時に、新たな苛立ちを覚えた。


「じゃあ、俺はなんだよ?神奈川に住んでるけど、町田生まれの俺は、偽物の『東京』か?」

「違う!」舞は顔を上げた。その目には涙が滲んでいた。「弘道は……弘道は、東京でも神奈川でもない。この町田そのものだよ。ごちゃまぜで、どこか不器用で……だから、余計に悔しいんだ。私が町田を嫌ったら、弘道まで嫌いになっちゃうみたいで!」


そうか……おれは町田そのものなんだ……グレーゾーンのグレーゾーン、町田の町田に立つ俺はいわば「町田の町田の町田」だ……そう思うと、わだかまりがすっと溶けていった。


「あのさ、舞。来週の土曜、丈と渋谷に行かなくてもいいだろ」俺は思い切って一歩踏み出した。二人を隔てる境川をまたぐように。

「どうして?」

「渋谷なんて、いつでも行ける。それより、行きたいところがあるんだ」

俺は舞から目をそらして、川の水面を眺めながら、でも強い決意を持って言った。


「久しぶりに『まちだリス園』に行こう。タイワンリスにヒマワリの種をあげようぜ」

「なにそれ。『リス園』だっていつでも行けるじゃない。でも…フフッフ…ハハハ!」

突然、笑い出す舞。そんな変なことを言っただだろうか。

舞はしゃがみ込んでもまだ笑っている。

「でもいいね。行こう『まちだリス園』」

顔を上げた舞の笑顔は晴れ晴れしていた。

「何がそんなにおかしいんだよ」


舞は、立ち上がりながらさもおかしそうに言う。

「さっきね。丈くんと話してて、町田のことで喧嘩になっちゃって。『町田なんて何も無いだろ』っていうから『リス園がある』って答えたの。そしたら丈くん『町田にはリスしかないのかよ!』って馬鹿にするもんだから、本投げつけて、ここに来ちゃったの」

舞が、半歩の距離に近づいて俺の両手を握る。

「いいね!週末はリス見に行こう!」

舞の光るリスのような可愛い目があまりにも近くて照れて、俺は目をそらしてしまった。


★☆

舞と手をつなぎながら夕方の町田駅前のペデストリアンデッキを歩く。

眼の前にはグルグルと回転するオブジェ。

「いつも思うんだけどこのグルグル回ってるの何なんだろうね……こういう意味わからないところも町田っぽいなって思うんだ」

舞の目線は、前回、このオブジェの前で会話した時とはちがって、どこか暖かかった。

「あれ?舞はこれ何か知らないの?」

「知らなーい。弘道は知ってるの?なんでこれグルグル回ってるの?」

その舞の笑顔は、俺が昔から知っている無邪気なものだった。

そのことが嬉しくて、つい笑みがこぼれた。

「……ふふっ」

「なによ。知ってるなら教えてよ」

「いや、俺達も町田で育ったけど、まだ色々知らないことってあるってことだよ」

「なにそれ。答えになってなくない?」

幼馴染らしい悪態をつきながら、回るオブジェに目をやる。


俺はこのオブジェの名前と由来を知っている。


造型家伊藤隆道の動く彫刻(キネティック・アート)

作品名『光の舞』


俺の大事な幼馴染と同じ名前のオブジェ。


町田市の永続的な発展を願って建てられたこの彫刻は、赤い夕日を受けて時計回りに回っている。


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