5話 お兄様の友達なのでしょう⁉ だったら……!
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「……ということは」
私は口を開きました。
本当はなにかお水のようなものを飲みたいのをこらえ、かさつく声でルシウス卿に尋ねます。
「私のこの病の根源は呪詛だ、と。お兄様はそう考えて、私と魂の入れ替わりを行い、ルシウス卿に悪鬼退治を依頼した、ということでしょうか」
「そのようだな」
ルシウス卿の返事も随分と重たいものでした。
私たちはいま、場所を廊下から居間にうつし、互いにソファに座って向き合っております。
「俺は半信半疑というか……。ほぼ信じていなかった。さっきも言ったが、呪術師を信じるレインを信じたふりをしていただけだったから。まさか本当に入れ替わるとは」
ということは、とルシウス卿は独り言ちます。
「五日間のうちに俺が悪鬼を倒せば、君とレインは再び魂が入れ替わるのだろう」
たぶん、とルシウス卿は投げやりにつぶやき、ソファの背もたれに身体を預けます。
ぴたりと身体にあった軍服は、そんなときにも乱れはしません。対しての私はというと、いまだ寝間着のまま。私は知らず、寝間着の袖口を弄びます。
「レインは五日間の有給休暇を取っている。それに合わせて俺も有給休暇を取った。ずっとそばにいるつもりだから、なにも不安がることはない」
私のそんな仕草が不安からくるものと判断したのでしょうか。ルシウス卿は声をかけてくれました。さっきよりも幾分明るい声音で。
「その……大丈夫です、ルシウス卿」
私は少しだけ首を右に傾けました。
そんなとき、肩口に流れる長い髪はなく、ああこの身体はお兄様のものだったといまさらながらに思います。
「たぶん、お兄様は私に最期の5日間をくださるつもりだったのでしょう」
たぶん、と再度、私がつぶやきます。
「どういうことだ」
ルシウス卿が眉根を寄せられました。声が不機嫌になります。私はとりなすように笑いました。
「私の病の根源は、おなかにできた腫瘍だと聞いております」
右腹部に、こぶのように膨れ上がったできもの。それが悪さをしていると聞いております。
お兄様は呪詛だと思っておられるようですが……。単純に、悪性のなにかなのでしょう。
数年前から悩まされている悪夢についても、お医者様は、「不安によるもの」とおっしゃっていました。
不安。
そう。
死への不安があの悪夢と悪鬼を生んでいるに違いありません。
「私の病は、悪性腫瘍のものであると考えています。きっとこのまま死ぬのでしょう。ですが……死の間際にこのように魂が入れ替わる奇跡が起こったことだけで、私には十分です」
ルシウス卿はそれでも黙って私を見つめています。その沈黙を埋めるように私は喋りました。
「お兄様にはいつも驚かされてばかりですけど、今度ばかりは最大級でけた違いですわ。ですが、せっかくお兄様がくださった五日間ですもの。存分に楽しみたいのです。この……おしゃべりをしても、歩いても息が苦しくない身体で。だからルシウス卿。申し訳ありませんが、五日間、私にお付き合いくださいませね」
まったく、と不機嫌なまま、ルシウス卿はご自分の髪の毛を片手でかき回しました。
「兄といい、妹《君》といい……。なぜ俺の腕を信じないんだか」
「はい?」
「なんでもない」
小首をかしげる私の前で、ルシウス卿はいきなり立ち上がりました。
「腹はすいていないか?」
両腰に手を当て、見下ろすように問われました。
はい、と返事をする前に私の……というかお兄様の身体が「ぐぅ」と鳴ります。
反射的におなかを抑えたのですが、ルシウス卿が面白そうに笑うので、顔が熱くなりました。
「す……すみません。お恥ずかしい……」
「いや、腹がすくのは元気な証拠だ」
言われてみればそうかもしれません。
ここ数年は、ただ義務的に。お母様を喜ばせたいがために、嫌々喉にスープを流し込んだ日々でした。
ご飯をいただく。それがワクワクするなど、いったい、いつぶりでしょう。
「食堂に行こう。そもそもレインを朝食に誘おうとは思っていたからな」
そう言われ、私は頷いて立ち上がったものの。
はた、と気づきました。
「あの……。お召し物というのは……当然、軍服、ですよね」
「そうだな。休日でも王都にいる限り、軍人は軍服だ」
「侍女というか……執事のようなものはおりませんの?」
戸惑って尋ねますと、ルシウス卿はあっけにとられたように目を丸くし、それから愕然とした顔で私を見つめます。
「まさかと思うが……ひとりで着替えられんのか?」
なんと答えましょうかと思考を巡らせます。
今着ているような寝間着なら大丈夫だと思います。ボタンをはずし、ズボンを脱げばいいのですから。
ですが、軍服。
私はまじまじとルシウス卿を観察いたしました。
あの上着の下にはシャツを着ればいいのでしょうか。一番の問題点はズボンであると思いました。
……ベルトや佩刀など、したことがございません。
そしてなにより。
忘れていました……。
ベルトを意識した途端、切羽詰まった感覚がよみがえってきたのです……!
「ルシウス卿……!」
「な、なんだ」
「ぜひ教えていただきたいのです……っ!」
「なんだ。軍服の着かたか? 佩刀の着用方法か?」
「そんなことより……!!!」
「おう!」
「トイレってどうすればいいのですか……!」
「トイレ……とは?」
真顔で尋ねられ、私は再び顔が熱くなります。
その様子を見、察するところがあったのでしょう。ああ、とルシウス卿がぽんと手を打ちました。
「おしっこか!」
この方、お兄様のご学友でなければ口もききたくない!!!!
「トイレの場所がわからんのか?」
「そ……そもそも、トイレの仕方がわからないのです!」
「トイレの仕方?」
顔が熱いだけでなく、全身が燃えそうです。
私は額に汗をにじませ、拳を握り締めました。
「と、殿方はどのようにトイレをなさいますの?」
「……ああ、そういう……。あー………」
ルシウス卿はようやく私の困り感に気づいてくださったようです。ほっとするやら泣きたくなるやら……。
「立ってすればいい。〇×をつかんで」
殺してやりましょうか、この男は!!!!!!!!!
「お兄様のものであってもそのようなこと、私はできません!!!!」
「できませんって……」
「す、座ってできませんの⁉」
「そりゃできるだろうが……」
「じゃあそういたしま……。え、そのあと、どうすれば……。やっぱり紙でふくのですよね?」
「気になるんなら、振れよ」
「もう最悪!!!!」
顔を覆ってしゃがみこみますが、頭の上に降って来るのは軽快な笑い声です。
「五日間、レインの身体なんだから仕方なかろう。慣れろ慣れろ」
「慣れません!!!」
「立ってすればラクだぞ。ズボンのチャックを下げて、そこから出せばいい」
「はあああああああああ!?!?!?」
あのチャックから⁉
「ぬ、濡れないのですか⁉ お召し物が!」
「だから、しっかり前に」
「聞きたくなあああああい!!!!!」
私は耳をふさいで首を横に振ります。
「まあ、座ってやっても立ってやってもいいが……できそうか?」
しゃがみこんだまま、おそるおそる顔を上げました。
「ルシウス卿」
「なんだ」
「手伝ってください」
「なにを」
「トイレ」
「どうやって⁉ なにを手伝えと言うんだ!」
「ルシウス卿が、それを持ってくださればいいのです!」
「レインのを、か⁉ バカ言うな!」
「お兄様のお友達なのでしょう⁉」
「入れ替わった時にそんなことが知れたら、俺が殺される!」
「私にはできそうにありません!」
「よ……よし、だったら俺が隣で見本を見せてやるから、同じように……」
「お兄様のものでも見るのが嫌なのに、他人のそんなもの!!!!!!」
「汚物のように言うな!」
「同じようなものです!」
うわああああん、と気づけば私は絶叫したものの……。
生理現象にはあがらえません……。
泣く泣く……。
本当に泣く泣く、トイレに向かうのでした……。