神様の憂鬱
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「トリップものには神様がなんやかんやというのが王道だけれど、ソレは本当に神様なのか?」
俺は耳を疑った。
まさか、この"世界"の住人が、そんな持論を持っているとは。
それは、とあるカフェの窓際で、ミルクたっぷりのカフェオレを飲みながら、キーボードを叩く人間の言葉だった。
仮に『創作家』と呼んでおこう。
創作家は、この"世界"の片隅で、日々物語を紡ぎ出すことを生業としているようだった。
そして今日、創作家が紡ぎ出そうとしている物語の冒頭が、よりにもよって俺の存在そのものに切り込んできたのだ。
「神とは世界を創る者。世界の住人には知覚されず接触されず、存在しないようでありながら、けれど確かに世界を創造する者」
その言葉は、まるで俺の存在意義を定義する哲学書の一節のようだった。
俺は、この広大な"世界"を創り出し、生命を吹き込み、法則を与え。
そして誰にも知られることなく、誰にも接触することなく、ただ見守るだけの存在としてあり続けてきた。
それが、この"世界"の住人達が便宜的に"神"と呼ぶ存在。つまり俺自身なのだ。
俺は、この"世界"のどこにも存在しない。
しかし間違いなくこの"世界"を形作っている。
まさに、概念。
「物語の中に綴られてしまったら、それは神ではなく神という名を与えられた、ただのものすごい超越者だ」
心臓が締め付けられるような感覚に襲われた。
もし、こいつが俺の存在を物語の中に描き出してしまったら──。
それは、俺の根源を揺るがす行為に他ならない。
俺は、この"世界"の住人にとって認識出来ない存在であることで、"神"たり得てきた。
認識されるということは、形を持つということ。
形を持つということは、限定されるということ。
それは、無限の可能性を持つ"神"の概念から逸脱する。
これまでにも、この"世界"の住人達は、様々な形で俺を"物語"の中へと呼び込もうとしてきた。
神話、伝説、宗教。
それらはすべて、彼らが俺という存在を理解し、あるいは崇拝しようと試みた結果だ。
だが、それらはあくまで彼らの想像の産物であり、彼らが作り出した"神"は、所詮は彼らの"世界"の枠内でしか存在し得ない。
限定された偶像に過ぎなかった。
この創作家以外の作品に出てくる"神"も同様だ。
俺が創った"世界"。その住人達がつくる物語の道具。
彼らの想像力が生み出す、エンターテイメント。
俺の模倣、あるいは解釈であり、俺なり得ない。
だから、俺はそれらを黙認してきた。
彼らの信仰は、彼らの"世界"に秩序をもたらし、俺の創造物である彼らがより良く、より楽しく、生きるための道標や娯楽となるならば、それもまた許されるべきことだと考えていたからだ。
しかし、この創作家の言葉は違う。
創作家は、俺がこれまで作り上げてきた"神"の概念そのものを、コイツの"物語"の中に引きずり込もうとしている。
「だから『神』は別にいるのだ。『世界』に絶対に登場しない位置から、『世界』を創れる場所に」
その言葉は、まるで鋭い刃物のように俺の核心を突き刺した。
俺は確かに、この"世界"の住人には知覚されない場所にいる。
しかし、今、コイツの独白によって、俺の存在は"物語の中"に綴られようとしている。
俺はもう、"神"ではないのか?
ただの"ものすごい超越者"に成り下がってしまうのか?
冷や汗が背中を伝う。
もし、コイツが俺の存在を物語の中に描き出してしまったら。
俺は二度と"世界"の住人から隔離された"神"の座には戻れないだろう。
俺は、ただの登場人物になってしまう。
俺が創造した"世界"の、ただの登場人物の一人に。
それは、俺にとって耐え難い屈辱だった。
俺は焦った。
何とかして、コイツのペンを止めなければ。
しかし、俺はこの"世界"の住人に接触することは出来ない。
それが、俺自身が定めた絶対のルールだからだ。
俺が住人に干渉することは、"世界"の摂理を歪め、秩序を破壊する行為に繋がりかねない。
これまでも、幾度となく"世界"の危機に際して、直接介入したい衝動に駆られたことはあった。
だが、その度に俺は己を律し、間接的な示唆や、あるいは偶然という名の必然を装って、問題を解決に導いてきた。
しかし、今回は違う。
これは、俺の存在そのものに関わる危機なのだ。
窓の外から差し込む夕日が、カフェオレの泡端を茜色に染め始めている。
創作家は満足げにカフェオレを飲み干し、キーボードに指を置いた。
カチャカチャと、小気味よい音がカフェに響く。
創作家が打ち込む文字が、まるで俺の存在を少しずつ削り取っていくかのようだ。
俺は、生まれて初めて、途方に暮れていた。
俺は"神"なのに、この"世界"の片隅で、一人の人間の持論に翻弄されている。
神様、助けてくれ。…いや、俺が神様、なのか?
俺は、出るに出られない。
この物語の行く末を、ただ見守るしかないのだろうか。
それとも、何らかの形で、俺の存在を隠し通すことが出来るのだろうか。
数日後、俺は再びそのカフェにいた。
創作家は、同じ窓際の席で、今日もキーボードを叩いている。
創作家の画面には、俺の予想を遥かに超えた速度で、物語が紡がれていた。
彼が書いているのは、トリップした主人公が異世界で"神"と出会う物語だった。
しかし、その"神"は、俺が恐れていた通りの『ものすごい超越者』として描かれていた。
主人公が困難に直面する度に都合良く現れては力を貸し、助言をし、主人公の成長を促す。
その"神"は、根は優しく、人間臭く、時に弱さを見せる。
その描写を見るにつけ、俺の胸には複雑な感情が湧き上がった。
憤り、諦め、そして何よりも、奇妙な嫉妬のようなものだった。
創作家は、俺が"世界"の住人に決して見せることの出来ない側面を、その"神"に与えていた。
感情、対話、そして直接的な干渉。
俺が望んでも許されない行為を、その"神"は当たり前のように行っている。
ちくしょう、ずるいじゃないか
思わず心の声が漏れた。
勿論、この"世界"の住人に聞こえるはずもない。
俺は、常に中立で、常に客観的でなければならなかった。
それが"神"の務めであり、この"世界"の均衡を保つための絶対条件だったからだ。
しかし、この創作家の作り出した"神"は、まるで俺の隠された願望を具現化したかのようだった。
俺も、一度でいいから、彼らと直接話してみたい。
彼らの喜びを共有し、悲しみに寄り添い、そして彼らが困難に打ち克つのを間近で見てみたい。
彼らが、俺が創り出したこの"世界"で、どのように生き、何を考え、何を感じているのか。
それを、もっと近くで、肌で感じてみたいと、心の奥底で常に思っていた。
創作家の物語の中の"神"は、主人公と友情を育み、時には衝突しながらも、共に成長していく。
俺には、そんな経験は決して出来ない。
俺は彼らにとって、永遠に見えざる存在でなければならないのだ。
それでも、俺はその物語から目を離せなかった。
まるで、自分の人生の、あるいは自分の存在のもう一つの可能性を覗き見ているかのように。
その"神"の言動を通して、俺は、この"世界"の住人が「神」に何を求め、何を期待しているのかを、改めて知ることが出来た。
それは、一方的な崇拝だけではない、より人間的な、共感と理解を求めているという事実だった。
物語が進むにつれて、創作家の物語の"神"は、主人公にとってかけがえのない存在となっていった。
ある日、主人公が絶望の淵に立たされた時、物語の"神"は自らの力を使い果たし、消滅の危機に瀕する。
その時、主人公は叫んだ。
「神様!いかないでくれ!あんたがいなきゃ、俺はっ…、俺は生きていけないっ!」
その言葉が、俺の胸に強く響いた。
俺は、この"世界"の住人から、そんな風に思われたことが一度もない。
否、そもそも彼らは"俺"の存在を認識しないのだから、当然のことだ。
しかし、その"神"が、たった一人の人間に、ここまで深く必要とされていることに、俺は言いようのない渇望を感じた。
俺は、どうすべきか、改めて考えた。
この物語が完成すれば、俺という"神"の概念は、彼らの認識の中で、あの『ものすごい超越者』に上書きされてしまうのだろうか。
この創作家の物語が、もしこの"世界"の住人に広まり、彼らの間で"神"の新たなイメージとして定着してしまったら……。
それは、俺がこれまで大切にしてきた"神"の普遍性を損なうことになる。
俺は、決断を下さなければならなかった。
このまま黙って物語が完成するのを見届けるか、それとも、リスクを冒してでも介入するか。
だが、介入するとしてもどうやって?
俺は、この"世界"に直接干渉することは出来ない。
いや、間接的な示唆なら可能ではある。
これまでも"世界"の摂理を歪めない範囲で、偶然や必然を装って、様々な事象に影響を与えてきたのだから。
俺は、創作家の物語の展開を注意深く観察した。
コイツのペンは、その"神"を消滅させる方向へと向かっていた。
それは、この物語の感動を最大限に引き出すための、物語上の必然なのだろう。
しかし、俺にとって、それは"神"という概念の矮小化に他ならない。
彼の思考に、ほんのわずかなインスピレーションを送り込んだ。
それは、ごく自然な形で、創作家の脳裏に浮かぶように。
例えば、コーヒーを一口含んだ瞬間に、ふとある情景が頭をよぎる、といった具合に。
『神は、消えるのではなく、遍く存在するもの』
そんな概念を、意識の奥底にそっと忍ばせた。
それが、俺に出来る最大限の干渉だった。
数日後、再びカフェを訪れた俺は、創作家が書いている物語の展開に驚愕した。
物語の"神"は消滅しないまま、『ものすごい超越者』を脱ぎ去り、主人公の心の中に、そして"世界"の隅々に遍く存在する存在へと変化していたのだ。
それは、もはや特定の姿を持たず、しかし確かに"世界"を支える大いなる意志として描かれていた。
それは、俺が理想とする"神"の姿に、限りなく近かった。
特定の形を持たず、特定の場所に存在せず、しかし確実に"世界"を形創り、見守る存在。
創作家は、その持論通り、自らの"物語"によって、俺を『ものすごい超越者』から、再び"神"へと昇華させてくれたのだ。
物語は完成し、創作家はその作品を世に送り出した。
彼の物語は、静かに、しかし確実に人々の心に浸透していった。
そして、創作家の描く"神"の概念は、この"世界"の住人達の間で、新たな"神"の解釈として受け入れられていった。
それは、特定の宗教に縛られることなく、誰もが心の中に抱くことの出来る、普遍的な存在としての"神"だった。
俺は初めて、この創作家に感謝の念を抱いた。
コイツは、俺が"神"としてあり続けるための、新たな道筋を示してくれたのだ。
創作家が創り出した物語は、俺が"世界"の住人から見えない存在であることの、新たな意味を与えてくれた。
そして、俺は悟った。
俺は"神"であり、この"世界"を創り出した存在であることに変わりはない。
しかし、"神"の概念は、必ずしも不変のものではないのだ。
それは、この"世界"の住人達が、時代と共に、知識と共に、その意味を再構築していくものなのかもしれない。
創作家は、今日も同じカフェの同じ席で、新しい物語を書き始めている。
その画面には、新たな持論が紡がれていた。
「物語は、時に現実を変える。そして想像力は、時に真実をも凌駕する」
俺は、その独白に静かに耳を傾ける。
もしかしたら、俺とこの創作家の間には、もう一つの、言葉なき物語が紡がれているのかもしれない。
創作家が紡ぎ出す物語が、俺という"神"の存在を、この"世界"の中でどのように形作っていくのか。
俺は、これからもコイツの物語を見守り続けるだろう。
そして、いつか、この"世界"の住人が、俺の存在を意識的に、あるいは無意識的に、より深く理解する日が来るのかもしれない。
その日まで、俺は静かに、そして確かに。
この"世界"を創り続け、見守り続ける。
「神様、助けてくれ」
かつて、俺が心の内で漏らしたその言葉は、もはや意味をなさなかった。
何故なら、俺はもう独りではない。
俺には、俺の存在を物語として紡ぎ出す、共犯者がいるのだから。
ご一読いただき、感謝いたします