第33話 久しぶりのアレ 1
足が地面につくたびに水が跳ねる。時々、運悪く水溜りに当たって水だけでなく足に泥さえ撥ねて、少しズボンが黒くなってくる。全身に横殴りの雨が打ち付けてきて服が濡れる
「ちょっと寒いな……」
傘は持っていない。持っている余裕なんてなかったし、僕の「変形」の能力によって作ることも出来ない。ただ、今は急ぐ
僕、空閑形真は今、突如として出現した積乱雲の下で周囲を駆けながら現状を確認していた。一応この積乱雲の下には優もいて、僕が作ったロードバイクで駆けながら遠くの方を確認してきている
落雷の危険もあるので、流石に僕ら以外で基本的に今現在出歩いている人は一人も見られない。更には車も走っておらず、僕は車道を駆けながらの確認をしている
僕と盾石優は青憂団からこの積乱雲の下の現状の確認と、必要に応じての救助が任務として出されている。正直言って、救助が本当に必要なものなのかどうかを結構悩んでる
積乱雲の中では何度も何度も稲妻が走り、その轟音がこの地上にも届く。僕からしたらそれが5分程度、あるいはそれ以上の時間続いているが、全く落雷するような気配がしない
まぁ、用心に越したことはないが……
走っていると時々、建物の出入り口付近で外の様子を見ていたり、軒下で雨宿りしている人を見かける
僕はそういう人に対して、外に出ないでくださいだの、すぐに近くの建物の中に入ってくださいだの、色々と当たり前の言葉を投げかける。僕が言えたことではないが、一応投げかけておく
大方の予想通り、10分くらい駆けていても救助が必要な人は特にいなかったしこの厚い雲がどこかに移動することはなかった。僕は少ししてあるものを見つけ、駆ける速度を緩めた
目の前には一本の木だけがポツンと立っている寂しい公園、その木の下に雨宿りをしている一人の男の子が居た。大体小学二、三年生ぐらいの背丈をしている。その手には何か物が握られていた
「ねぇ…君────あっ、待って」
僕がその男の子に対して声をかけて近寄ったが、その子は僕のことを一瞬見た途端、すぐに反対方向を向いて駆けて行った。逃げたようにも見える
少し追いかけっこが続いたが、流石にある程度の年齢差が存在するので簡単に追いついた。僕は男の子の片腕を軽く掴んで制止させた
何も雨具なしで木の下から突然出てきたからか、男の子の腕は濡れていて、全身の服もこの子の体にピッタリと吸着して少し肌が透けているように見える
「やめてっ、放して!」
目の前の子はそう言って僕が掴んでいる方の腕を力一杯動かして、振りほどこうともがく。僕は当たり前のように放さないが、そのまま問いかける
「いやちょ……まずなんで逃げるの…?」
「パウを…パウを化け物から取り返すのっ…邪魔しないで!」
「化け物…?」
今この状況で化け物と言えば、一つ当てはまりそうな生き物が一匹いる。しかしもしあの虎だとしたら、この子はあの虎の姿形を見ていることになるし、どこへ向かって言ったなども知っているかもしれない
僕は適当にその子に対して僕自身の思う最大限の優しい言葉遣いで説得した。ある程度落ち着いてもらってから元の木の下で、聞くべきことを聞くことにした
「パウって、君のペット?」
「うん…犬。僕が散歩してたの……」
僕は男の子の左手をチラリと見る。リードが握られており、本来首輪に装着するであろう金具は先端に存在せず、代わりに紐には途中から無理くり引きちぎられたような跡があった
多分、散歩中に積乱雲の出現、虎との遭遇、その瞬間に犬の連れ去りが起きたのかもしれない。改めて男の子の顔を見ると、目の周りが赤くなっていた
「その…化け物ってどんな感じだった?見た目がどんなのだった、とか」
「黄色みたいな色してた…」
黄色っぽい色、予想通り化け物は例の虎と同じもので間違いはなさそうだ。僕がそう頭の中で結論付けていると、その子は少し考えるようなそぶりをして、口を開いた
「あと…なんかバチバチしてた」
「バチバチか…」
その瞬間後ろからゴロゴロと雷の音がする。僕は驚いて、瞬間に背後を振り返って空を見上げる。たくさん枝分かれを繰り返している稲妻の跡が見えた
「あれ」
男の子は突如としてそう言った
「あれ?あれって何────」
僕はその発言に対し、再びその子に対して向き直った。その子は遠くを見ながら空の方に向かって人差し指を差していた
「あれとおんなじ感じになってた」
僕はそれを見て更に驚く。指の指す先は積乱雲の中を走る稲妻だった
まさか、虎の能力は雷関係…雷を操る能力だったりするのだろうか。となると今、この積乱雲の下にいるのは圧倒的に悪手なのではないか?と瞬時に考えがついた
「君の犬は僕らが助ける。だからまずはすぐに近くの建物の中に……」
「───い!────形!」
僕がそう言いかけた時、遠くから僕の名前を呼ぶ大きな声が聞こえた。僕がその方を見ると、優が立ち漕ぎの全速力でこっちに向かってきていた。当たり前だが、全身は雨で濡れている
長めの髪は濡れた重みで顔や服にピッタリとくっついて少し邪魔そうに見える。しかし優は、そんなことが眼中にないレベルの焦った顔をしている。僕は男の子の手を引きながら、優の方へ小走りで近づこうとする
「形!例の虎に追われてる。あいつ、電気纏ってる!まず、全速力で────」
僕は優の言葉を最後まで聞く直前に、男の子の手を瞬間に引いて抱き寄せ、すぐに優のいる方とは間逆の方向へ走り出した
男の子は急に引かれたからか、「わっ」と腑抜けた声を出した。僕は少し申し訳なく考えながら全速力で走るが、あっさりとロードバイクに乗っている優に追いつかれてしまった。流石に人一人を抱えながら、僕自身よりも体力がある優の漕ぐロードバイクよりも早く走るのは無理だった
背後からまるで電気がほとばしるような、奇怪な音がする
「形、あそこの間!」
優はそう叫ぶと漕ぐスピードを上げ、目の前の建物と建物の隙間の前で急停止した。そうして優がいる所へ僕もそのまま全速力で走る
そして優を通り過ぎてその隙間に勢いよく、滑るように入る。優はその直後にロードバイクを僕の後方へ勢いをつけて投げ、そうして隙間に入ってきた
「見えない……」
建物の隙間は結構狭く、横幅的には人一人しか通れない。そんな隙間に優も入ってきたので僕からしたら、優の体で遮られて外側の様子がよく見えない
そう思って背伸びしようとした瞬間、鉄がひしゃげるような轟音が周囲に響き渡った。それと同時に、背伸びした僕の視界を青白い稲妻のようなものが一瞬通り過ぎて行ったのが見えた
そのあまりの速さに、僕の顔面に強烈な風が吹き付けてきた。今この天気の風とは全く関係ない、あまりにも強い風。そしてそれと同時にビリビリといった、空気を電気がほとばしる音が聞こえた
少しの間、誰も口を開くことはなかった。だが、ただ黙っていても埒が明かないので、僕は優に質問した
「優…まさか今のが…?」
「多分、そう。あのめっちゃ速いのが例の虎だよ……もう行ったかな」
そういう優の声は、いつもの自信ありげな優の声とは打って変わって、あまりにも打つ手なしと心の底から言っているように聞こえた。優はこの隙間から顔を出して安全を確認し、完全に隙間から出た
「とりあえず大丈夫そうだから、その子は…そうだな……どっか人のいる建物とかに連れてってあげないと」
僕は優のその言葉を聞きながら、先に抱えていた男の子を出してから僕自身も隙間から出た。その瞬間に目に入ったのは、見るに堪えないほどに粉砕されたロードバイクであろうものの残骸だった
少しだけバチバチと電気を帯びているようにも見える。いったい、どれくらいの速さでぶつかればこんなことになるのだろう。背筋が凍った気がするが、すでに雨で濡れているので分からなかった
優はゆっくりと男の子に近づき、しゃがんでその子を見上げるような体勢になった
「ねぇ君。今からここから一番近い所に行くんだけど、まだ歩ける?」
男の子はしゃがんだ優に対して特におびえる様子もなくその言葉を聞きくと、静かにうつむいた。優はそんな男の子の顔を覗こうとする。その瞬間、その子は急に顔を上げた
「パウは!ほんとにパウのこと、助けてくれるの?」
「大丈夫、パウは私たちが助ける。だから君には安心して、今から行くところで待っててほしい。出来る?」
男の子は静かに頷く。それを笑顔で見た優は、そのまま立ち上がって僕の方を見てきた。そうして口を開く
「形、アレ……久しぶりに作れる?」
僕は驚いた。久しぶりに優がアレを作るのを僕に要求してきた、まさか今要求してくるとは思わず、僕は目を大きく見開いて困惑した
「アレ…え、アレ?まさか、さっきのとやり合うわけじゃないよね…?」
「いや、それはしないよ。まぁ相対することにはなるだろうけど……あくまでも時間稼ぎだよ。私が時間を稼いで、その間に形がここら辺にいる人を遠くに避難させる。そして状況報告も兼ねて応援を読んでほしい」
「分かった」
僕はそう了承すると、すぐ真下の小石を拾ってアレである長い鎖に変形させる。大体5mくらいの長さにしてから優に手渡した
「ありがと。これで…よし」
優は受け取るとすぐに盾を出現させ、鎖にしっかりと引っかけた。優は鎖を持ってそれをブンブンと回す
「結構久しぶりだけど。うん、行けるね」
僕は優のそんな台詞を聞くと、男の子の手を引いて移動を始めた。男の子は心配そうに優の方を向きながらついてくる
「じゃあ優、最低限気を付けて」
「うん、形もね」
僕と優は別々の方向に向かって走っていった
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鎖が回され、空を切る音が何度も何度も響く。しかしそんな音も、まるで永遠に降りしきるかのような雨音とついに止まらなくなってきた雷の轟音によってかき消される
鎖に繋がれた青白く透明な盾の縁が、鎖が回されるごとにまるで刀で切りつけられたような傷跡を地面にいくつも残し続ける
「やっぱり、久しぶりに振り回すと爽快感あるなぁ……」
優はそう一つつぶやくと、鎖を回している勢いのまま右腕にジャラジャラと巻き付け始めた。盾の縁が掠らないようにだけを気を付けて巻き、巻き終えると盾と鎖の繋がっているところを掴んだ
「ちょっと寒いか。傘…はたしか作れないんだっけか」
瞬間、近くで電気がほとばしる音が聞こえ、優は少し拳を前に構えて瞬時にその方向を向く
しかし警戒とは裏腹に、そこにあったのは例の虎ではなく断線された電線。それの断面が水溜りに着水している様子だけだった
周囲の建物は、まだ昼間であるというのに内部の電気が一切点灯していないことから、恐らくこの断線によって停電が起きているのかもしれない
「なんだ、ただの電気漏れか……いや安心するものではないけど」
優はそのまま軽く地面を蹴って走り出した。周囲を見渡しながら走るが、建物にすらすでに人はいない。一応、今いる側の方向のほとんどの建物の人の避難は、優自身が済ませておいた
優はとあるビルを見つけると、そのビルに顔だけ入れて階数表示板をじっと見つめた
「このビルの上か……屋上ありそうだし」
優は少しだけ開けた扉にねじ込むように入ると、そのまま急ぐようにして階段を駆けあがった
湿りに湿った服から滴る水滴とぐっしょりと濡れた靴で何度も滑って転びそうになりながらも、優は最上階に到着した
階段の終わりには屋上へ続く扉がどっしりと構えている
優は扉を開けるためにドアノブに手をかけた。しかし、それが回せても扉は開かなかった
「あれ、鍵かかってる。ここの屋上だったら色んなとこの屋上経由しながら周囲見渡せそうなのに……強行突破しかないか」
優はドアノブから手を放し、階段を降りて半階下の踊り場に足をつける。そうしてその場で何度か軽く跳ねる
「服が重い…でも、まだ…楽っ!」
優はそう叫ぶと、勢いよく階段を駆け上がる。駆け上がると、前進しながら低い前宙を何度も決める
優は駆け上がった勢いと前宙の勢いの全てを右足に乗せて、扉を蹴破った。あまりの勢いに、扉は轟音を立てながら大きく吹っ飛び、屋上のフェンスに激突した
その衝撃でフェンスは大きく歪み、フェンスが壊れるギリギリで保っている
「あちゃ……普通に蹴破ったほうがよかったかな…?」
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優がマットに倒れた音が響く
「痛った……何で優里はそんなにアクロバティックな動きが出来るの?意味なくない?」
「ん?意味はちゃんとあるよ」
優を倒した張本人である志田優里は優の質問に対し、人差し指を立ててまるでマウントを取るような口ぶりで返した
「アクロバティックな動きができるってことは、身体が柔らかいとも言える。身体が柔らかいのは悪いことじゃないし、色々と便利だからね。出来ておいたほうが都合いいよ?」
その返答を聞いた優は、少し不服そうな顔をした
「なんか、無性に腹立ってくるなぁ……」
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「いや、だとしてもこんなことに使うわけではないか」
優は以前の優里との会話を思い出しながら、歪んだフェンスに近づき、周囲を見渡した
上から見ても、人の気配は全くない。ただ雷の音が上空で鳴り響き続けるだけである
「そういや、ここある程度の高さあるから落雷するか…?いやないか」
優はそういうと後ろを向こうとする。しかしそれは止めた。後ろからバチバチと電気の音が聞こえる
(さっき形と合流する前、あの虎と接敵した時に盾の縁を掠らせておいたから、私を探して襲ってくると踏んでたんだけど……)
「思ってたより、お早いご到着のようで」
優は振り返り、構えを取る。右腕に巻き付けておいた鎖も腕から外して、使える用意をしておく
屋上の出入り口の扉、その上にその例の虎は居座っていた
眼光は鋭く、あまりの威圧に優は軽く後退してしまう。まるで避雷針のように全身に自身の体躯の倍ほどの青白い電気を帯び、時々太陽フレアのような挙動を示している
そんな虎は優に対して一回り大きいくらいの体躯をしている。しかしあの大きなカラスと比べたら結構小さい
「律義にお座りしちゃって……」
(結構瞳孔開いてる……あれは確か、暗いところで光を取り込もうとしてるか、標的を観察してる時のやつだったはず。今は雷雲が空に浮かんでいると言えど暗くはない、ってことは……)
「まぁ、妥当か」
優は左肩で鎖を抱え、右手で盾をつけている方の鎖を振り回し始めた。盾の縁が屋上の地面に掠るごとにその跡が浅く残る
近くで落雷が起き、周囲が青白い光に包まれた。それを合図として優は盾の付いた鎖を虎に向かって投げつけた
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「あっ、傘ないけど大丈夫?今更だけど……」
「ちょっと服が気持ち悪い……」
「ごめん」
僕は男の子の手を引きながら、男の子を避難させる場所を探していた。僕は水を反射するものの性質だったりが分からないので、今は傘などの雨具なしで探している
思っていたより周囲に人が居ない。恐らく、優がすでに避難させているのかもしれない。しかし付近に人がいないのであれば、この子を預ける人がいないということになる
僕的には、早く預けて優の元に行きたいと思っているのだが、この状況であればかなり遠くに行かなければならない
「どうしよう、遅くなるな……」
次の瞬間、後方で大きな雷の音が響いた。男の子は驚き、僕の手を強く引きながら肩をすくめた。結構大きかったので、上空で雷が轟いたか、あるいは下手したら落雷かもしれない
僕はゆっくりと後ろを向く。すると思ってもみないものが目に入った
「ごめん形、足止め無理だった!」
優が空から落ちてきている。その後ろには、青白い電気のようなものを帯びた虎がいた




