第30話 母を追って
僕はUターンして、目の前の青憂団の扉のドアノブに手をかける。そして両手でゆっくりとその重々しい扉を開ける
ここは青憂団の主要拠点、及び青憂団員の休憩所としてもよく使われるらしい場所。ついさっき僕はこの場所から出てきたばかりだというのに、始めて来たところのように周囲をキョロキョロと見てしまう
僕の悪い癖だ。毎回毎回来ているところでもこういうことをしてしまう。何かに興味があるわけでもなく、ただ適当に目や首を動かして周囲を見る
最近は学校とかでも自称ADHDだとかなんだとかが流行ったりしていた。今となっては僕は全く学校なんぞ所には行っていないので、それが今でも流行っているかは分からない
この周囲を無意識で無意味にキョロキョロと見てしまうのはそういう多動症の一種なのかは、今の僕は知る由もない。多分これからも
そうしながら僕はとあるソファの後ろについた。そのソファからは、後ろからでも分かるような煙草による白煙が立ち上っていた
ソファに腰掛けて、口からその白煙を吐いている人を確認すると、僕はそのソファの後ろから回ってその人の視界に僕の姿が見えるところまで移動する
「あの、加楽苦郎さん……」
ソファに腰掛けているのは要害加楽苦郎。この青憂団の幹部にして参謀もしているような、結構凄い人らしい。僕からしたらその人のそういうような行動を見ていないので、半信半疑ではある
「おぉ…空閑形真か、何か忘れ物でもしたのか?」
加楽苦郎さんは僕の顔を見ると、少し驚きながら煙草を目の前の灰皿に押し付ける。加楽苦郎さんはすぐに真剣な顔になり、そうして僕に問いかけてくる
「いや、別に忘れ物ってわけでもないんですけど……」
「ん?じゃあ何なんだ、その顔の感じだとこの青憂団に入る決意をしたわけでもなさそうだが…」
僕は言葉を続けようと口を開こうとする。しかしこんなことを言う権利が僕にあるかどうかが分からず、少し言い淀んでしまう。だが意を決して話す
「手伝ってほしいことがあって」
「手伝い、なんのだ?」
「調べてほしいんです。僕の母、空閑明日香について」
僕のそういう要求を聞き、加楽苦郎さんは不思議そうな顔をした
「調査か…別に大きな任務が近々あったりはしないから別にやってもいいが、どういうことなんだ?母について調査したいなんて」
「えっと……」
そうして僕は色々なことを加楽苦郎さんに言った
僕の母、空閑明日香は僕がしっかり物心がつく以前からいなかったこと、僕が一緒に住んでいた叔母からも中々聞くことができなかったこと、そしてこのOWAという組織には、母のことを知るために入ったということ
「なるほどな……分かった。ちょっとついてこい」
加楽苦郎さんはそう言ってソファから勢いよく腰を上げて身を翻す。そのままどこかへ歩き出したので、僕はそれに続く
そうして、この部屋の奥の一角についた。そこには少し大きめの鉄の扉があった
「えっと、この扉は…」
「この奥は地下への結構長めの螺旋階段になってる。とりあえず諸々は降りながら話そう」
そう言って加楽苦郎さんはドアノブに手をかけて、ゆっくりと開ける。加楽苦郎さんは「足元が見えにくいから気をつけろ」と言い、そのまま扉の先にあった螺旋階段を降りていく
僕も駆け足でそれに続く。加楽苦郎さんの言葉通り、ここの壁には螺旋階段の足元を十分に照らすような明かりがなく、僕は一歩一歩足元を確認しながら降りていく
「この先に青憂団の誇る研究所がある。俺ら青憂団員が活動場所としている所の1つだ。さっきの説明でした通り、そこで主な研究を行ってる」
目の前の加楽苦郎さんはそう言いながら、金属音を鳴らしてゆっくりと螺旋階段を降りていく。僕はそんな加楽苦郎さんを追うために激しく金属音を鳴らして降りる
そして僕はふと疑問に思ったことを加楽苦郎さんに聞いてみる
「そういえば、加楽苦郎さんがOWAに入った理由って何なんですか?」
「俺がか…?」
加楽苦郎さんはすぐには答えず、少しうつむいた。僕は後ろに見えるので分からないが、多分答えにくそうな表情をしているのかもしれない
「あ…すいませ────」
「きれいごとが嫌いなんだ」
僕が質問を訂正しようとした瞬間、加楽苦郎さんはそう言った
「きれいごと…?」
「あぁその通りだ。誰もが良く知るような、その『きれいごと』で合ってる。きれいごと自体を聞くのは別にいいが、それを俺自身の口から発するのが嫌いなんだ」
加楽苦郎さんは懐から煙草を一本とライターを取り出して火をつけ、煙が出ている煙草を口に咥えた。静かに息を吸う音が聞こえる
そして加楽苦郎さんは大きく、白煙を伴う息を吐く。煙が一本、とてもゆっくりと上に立ち上る。そうして言葉が続けられる
「このOWAという組織は、きれいごとを吐く必要がない。だから俺はここにいる。それ以上に理由はない」
加楽苦郎さんはそう言うと、まだ少し煙が登っている煙草を片手に降り続ける。僕は少し鼻につくようなにおいがしながらも、特に何も言わずに降りる足を止めない
そうして長く続いた螺旋階段は終わりを迎えた。そこには大きな白い扉があった。螺旋階段があるこの少し灰色な空間には全く合わないような、とても白い扉だった。僕がそれを口をポカンと開けながら見上げていると、大きな音を立ててその扉は開いた。どうやら自動ドアの様だ
そうして奥の白い空間が目に入る。そこが、加楽苦郎さんが言った研究所であることは明らかで、僕は「ほわ~」と少し驚いたような声を出す
加楽苦郎さんが特に何も言わず、すぐにそこへ入っていく。僕はそれに少しして気付き、再び駆け足で加楽苦郎さんについて行った
「────あっ、加楽苦郎さん。お疲れ様です!」
「あぁ、お疲れ」
加楽苦郎さんは挨拶をした青憂団の人へ手を軽く上げてそうつぶやく。その人を始めとして、他の人達も加楽苦郎さんに対して挨拶をする。加楽苦郎さんはその挨拶に対して結構適当に返す
そして加楽苦郎さんは歩いていくと、とある人の後ろに行って足を止めた。その人は後ろにいる加楽苦郎さんに気付かず、一心不乱にキーボードを打ち込んでいた
作業着を着て、ベルトが太いゴムで出来ている大きめのゴーグルをつけている。髪は短く、首が見えているので男の人っぽかった。加楽苦郎さんはその人に声を掛ける
「シミ、今ここに究診はいるか?」
加楽苦郎さんの問いかけにも気付かず、その人は夢中にキーボードを叩き続ける。加楽苦郎さんは1つため息をつき、その人の肩に手を置く。そうするとその人は身体をビクンと一瞬震わせる
流石に気付いたようで、後ろを向く。ゴーグルは黒っぽいガラスで、その人は装着したままだった
「あれ、どうしたんすか?加楽苦郎さん、身体黒っぽくなってますけど。煙草吸い過ぎじゃないっすか?」
加楽苦郎さんは額に手を当ててその発言に対して呆れる。そして加楽苦郎さんはゆっくりと口を開く
「あーっと…シミ、お前は早くそのゴーグルを取れ」
「え?あっ」
その人は自分のやらかしに気付き、装着しているゴーグルを両手ですぐに取る。そうしてその人の顔が露になる。なんだか、中性的で美少年とも美少女とも取れるような顔立ちをしていた。しかしその体躯はれっきとした大人に見える
多分、童顔なのかもしれない。よく分からないが、この組織には性別不詳の人が多い感じがする。僕がそう考えているとその人は口を開く
「すいませんっす、またやらかしてしまって。んで、何の用なんすか?」
「今ここに究診がいるかを聞きたいんだが。お前のその暴れようだといなそうだな」
「はい、究診さんは今日はここにいないっすね。あれ?加楽苦郎さん、その子誰っすかね。新しくOWAに入ったやつっすか?」
「あぁ、こいつは空閑形真。無所属だが、今は試験的に青憂団を体験しているところだ。多分これからお前も何度か合うかもしれん」
加楽苦郎さんにそう言われると、その人は身体を傾けて僕の顔を覗いてきた。そして満面の笑みで手を差し出してくる。少し黒っぽく汚れている手で、まさに仕事人の手のようだ
「僕は樋熊シミ。青憂団の研究所、ここの開発者で開発部門責任者を勤めてるんす。とりま、よろしくお願いするっす」
「あ…よろしくお願いします」
僕は差し出された手をゆっくりと握る。シミさんはそうすると、急に腕を上下に振る。あまりにも勢いで一瞬肩がなくなったかと思った
そしてシミさんは突如として手を握るのを止め、加楽苦郎さんに向き直る
「究診さんの所在を確認するってことは、あのスパコン使うってことすか」
「あぁ、この形真に頼まれてな。その頼みを叶えるためにそいつを使って調べるものがあるんだ。究診から何か鍵を預かってないか?」
「預かり物……あっ、ありますよ。はい、これっすね」
そう言うとシミさんは即座に鍵を加楽苦郎さんに渡した。そうするとすぐに後ろを向き、キーボードに向き合う
しっかりと見ていなかったので気付かなったが、どうやらノートパソコンで打ち込みをしているようだ
パソコンの画面には1つの拳銃が映し出されていた。それに対して加楽苦郎さんはシミさんに問う
「シミ、今度は何をシュミレーションしてんだ?」
「前言ってたじゃないっすか、ver.Sっすよ」
「バージョンシミのことだな」
「総合的な性能面はあの伝説の名を冠するver.1には劣りますけど、結構良い性能してんすよ。ほら、この弾倉なんて────」
「少し止まれ、シミ。というよりお前、そのPCは自作か?」
何だか話が暴走しそうになったシミさんに対し、加楽苦郎さんはそう言って話題を変え、暴走するのを止めた
「そうっすね、最近作ったばっかなんすけど。まぁ、ある程度の性能はあるんでよく使ってるっすね」
加楽苦郎さんはそれを聞くと、まじまじとそのシミさん自作のパソコンを覗く
「CPUは?」
「インテルCoreのi9、メモリは16GBで、ストレージ容量は1TBっす」
「グラボは?」
加楽苦郎さんのその言葉で、シミさんのキーボードを打つ手がピタッと止まる。額から滝のような汗が流れている。そんなシミさんを加楽苦郎さんは訝しむような目で見る
「まさかお前、内蔵GPUとかじゃないよな?」
「いや…まぁ、別に僕だけしかシュミレーションで使わないし、ノートなんで…」
「お前…あれだけ専用グラボを後付けでもいいから付けろっていったのに……前回内蔵GPUだった時にどうなったか覚えてるよな?シュミレーションの目測確認で内蔵GPUだと映らないようなミスがあって、そのまま欠陥品が大量製造されて資源がほとんどパーになった。もう一度そんなミスをするようなものだったら、役職を即下げるって釘を刺したと思うが……」
その話を聞くとシミさんは乾いた笑いを浮かべる。加楽苦郎さんは頭を掻いて呆れる
「まぁ、それについては後だ。まだこれといった問題を起こしてもいないし、今は形真についてのが先だ。運がよかったな、寿命が延びたと思え」
「は…は、おけっす」
シミさんはそう言うと人生の終わりかのような顔をして天を仰ぐ。加楽苦郎さんは特に気にすることなく隣を通り過ぎて奥へ進む。とりあえず僕もそれについて行くことにした
そうして僕と比べて少しだけ大きめの扉があった。ガラスなのかは分からないが透明で奥の方が見えるようになっており、その部屋の中にある箱型の大きな機械の列が見えた
機械の一部はライトが点滅しており、機械のシュー、という音が壁越しであれど聞こえる
加楽苦郎さんはシミさんから受け取った鍵を使ってその扉を開ける。そうして開けられた扉を通って部屋の中に入る
「ここは…?スーパーコンピューター?」
この部屋には大量のスーパーコンピューターが並べられて列を成していた。部屋は結構涼しく、涼しすぎて少しだけ寒さを感じるほどだった。多分というか確実に、この目の前のスーパーコンピューターを最大限活用するため、その専用の部屋だろう
「見ての通りだ。ここにあるスパコンで新しく製造するもののシュミレーションをしたり、その強力なまでのスペックを使って各国及び数々の企業のデータベース等に気付かれないように入り込み、全ての情報を複製して盗むことが可能だ。まぁ、正しくはスパコンじゃないが……」
そうして加楽苦郎さんはそのスーパーコンピューターの列を通り過ぎ、とある机の目の前においてある椅子に腰かけた。その机にはスーパーコンピューターに繋がる配線に繋がれたキーボードが1つ、その奥の壁にテレビよりも大きなモニターのようなものがかけられている
「本来は私的目的で利用するもんじゃないが……ま、俺の権限であれば最低限の許しは得れるだろう」
「えぇ…」
なんだか心配しかないが、加楽苦郎さんは特に気にする様子もなくキーボードを素早く打ち始めた。英語、日本語、記号だったりを大量に使って打ち込んでいく
「条件は…日本人と日系人、女性、40代から50代、家族あり……こんなもんか。そうだ、一応著名人は外しておくか。それでお前の母親。空閑明日香だったな。多分これで出ると思うが……」
そう言うと加楽苦郎さんは力強くエンターキーを押す。そうするとスーパーコンピューターが動き出し、さっきよりも大きな音を立てる。そして少しの熱風が僕を襲った
「出てきたぞ」
僕はその言葉によりモニターを瞬時に見る。ものすごい速度で、「検索件数」という文字の隣の数字が増えていく。さっきまでは10万くらいだったのが、一回の瞬きのうちに10億とかいう恐ろしい数値になっていた
そうして約1分後、数値の増え方が徐々に少なくなっていく
「なんだ…一向に1つもヒットしない……?」
加楽苦郎さんは口に手を当て、目の前の様子に驚きながらそうつぶやいた。そうして完全に数値の上昇が止まり、モニターに検索終了という4つの文字が浮かぶ
目の前のモニターには、検索件数が10垓を超えているということを示す数字、そして加楽苦郎さんが打ち込んで検索させたものの合致結果が0という数字が表示されていた
「え、加楽苦郎さん。ヒットしないってどういうことなんですか…?」
僕は恐る恐る質問する。しかし、大体の意味は分かっている。しかしあまり信じたくなかった
「このスパコンは、一度得た情報を3重4重にも確認して検索内容に照らし合わせるからこんなにも検索件数が大量になる。今までで検索内容に似通っているというだけで合致判定にすることはないし、また合致を免れた情報は1つも存在しない。い、今までに…ないってことだ」
加楽苦郎さんはそう言って困惑した表情を僕へ向けてくる。そんな加楽苦郎さんの顔を見て僕もより一層困惑してくる。そうして加楽苦郎さんは再び口を開く
「多分、空閑明日香という人物はこの世に存在しない」
「えっ……いや、そんな…僕が一緒に住んできた叔母も絶対に空閑明日香って言ってました!」
「まあ、分かるが…目の前に映っている情報が全てだ。残念ながら受け入れるしかない……」
僕は何も言葉が見つからず、その場でただただ棒立ちするしかできなかった。僕がOWAに入る理由だったものが、追い求める意味がないものだと知ってしまったからだ。いない人は知ることも追うこともできない
じゃあなんで僕はOWAに入ったのだろう
「…ただ、お前がそう容易くバレるような嘘をつく人間だとは思えない。勘ではあるが、参謀をやっていると大体そう言うことが分かってくる。一応お前のことを信用して、俺自身でもある程度調べておく。ただ、優先度は低いことを前提にだ」
「え…あ、ありがとうございます」
僕はそう言われるとは思わず、反射的に感謝の言葉が出てしまった
「とりあえず教育機関を漁ってみる。お前の年齢から鑑みるに、お前の母親の時代は教育機関での個人情報管理が紙面上、データ化なんてものは一切手をつけていないはずだ。であればこのスパコンの検索にヒットすらしなかったのはうなずける。あまりいい手段ではなさそうだが…」
加楽苦郎さんはそう言うと、懐に入っている煙草の箱を出した。しかしすぐに何もせずに懐にしまう
「とりあえず情報を仕入れ次第、俺名義で情報をお前に流す。もし俺名義の連絡が来たときは…そう言うことだと思ってくれ」
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「いや〜、形がついに1人で任務をこなせるようになった。やっと私に並んだってことかぁ」
「何言ってんだ?優もそんなこと言える立場じゃないだろ」
「……正吾もじゃない?」
優の発言に正吾さんがツッコみ、さらに正吾さんのツッコみに優里さんがツッコむ。ちなみにこれ以上のツッコみが繰り出されることはなかった
僕はそんなくだらない、いつもの会話を聞きながら、あの日、青憂団の主要拠点において青憂団の説明を聞いた後にて、加楽苦郎さんと話したことについて思い出していた
優の言う、僕が初めて1人でこなせた今回の任務。それは実は加楽苦郎さん直々の任務の連絡によってやった任務だった。それはつまり今回の任務での確保相手である、藤原晴という男の人は僕の母である空閑明日香に繋がる人物であったということである
その後の連絡によると、どうやら加楽苦郎さんの予想は的中。とある教育機関の過去の個人情報の中に空閑明日香という名前が1つだけあったらしい。しかも小学生の記録、中学も高校も大学もなく、小学だけだった
藤原晴は母と同じ学級の児童の中の1人で、丁度今回コンビニ強盗を起こしたことで完全に居場所が割れることとなった。そうして僕が任務で確保することとなったということに至る
どうやら他の児童も所在を確認するのは、しようと思えばできることらしいが、スパコンを使わずに加楽苦郎さん単体で調査するには限界があるらしい
そうして藤原晴を確保して4日後、尋問においてその本人と会話する時間を取ることが出来た
今から僕は、藤原晴に僕の母について聞くことになるのである




