世界のナイセストピープル②
「ここでバイク止めましょうか…………うう……お尻が痛い……」
ミリアはバイクから飛び降りるとすぐにお尻をさすっていた。CT125のリア(運転席の後ろ)にはクッションがないので、振動が直に来てしまう。自転車の2人乗りのような感覚だ。
「私、この街にアテがありますので……街に入る時は馬と同じでバイクは押した方がいい……かもです」
「なるほど……」私は言われた通りにバイクのエンジンを切った。そのままバイクを押してクレティアの市街地へと差し掛かった。
ミリアは前に曲がった背骨を少しだけ張り出しながら、何度か私の方を一瞬だけ目配せしつつ、レンガで敷き詰められたクレティアの市街地を迷うことも無く右へ左へと進んでいく。
「結構曲がりくねった道してますね」
「ここ50年で急速に市街地化が進んだので、都市区画開発の前にみんな勝手に住宅を作ってしまったんですよ。クレティアが『帝国指定港』として整備されたのもつい最近ですし。」
「『帝国指定港』?」
ミリアは私の方をまた一瞬だけチラッと見て、また目を逸らした。
「はい。ここは『帝国』。帝都カミヤールを中心とした絶対王政の君主国家です。そんな帝国の物資輸送強化のために、新しい港をいくつか開いた……そのうちの一つがここなんです」
「へぇ……じゃあ、経緯としては横浜とかに近いんですかね」
「ヨコハマ……?」とミリアは首を傾げてしまった。
「し、シンガポールとか…… 深圳とか……?」
「ああ!深圳!そんなところです」。とミリアは私の方を見た。やっとミリアと目が合ったが、すぐに逸らされてしまった。
いや、あなた東アジア担当の天使だったんだから横浜も知ってていいでしょ、と毒づきかけたが、やめておいた。
「『帝国指定港』というのは、まァ言ってしまえば軍港機能を持った街です。軍物資や人員を留め置けるものも港の近くにあるんですよ」
「なるほど、やっぱりここは私の地元に似ています」
「地元……ヒロシマ、でしたっけ」
「そこの近くです」。私はそう言ってミリアの方を見た。目が合ったと思ったら、すぐに逸らされてしまった。
しばらく歩いて、ある1件の建物の前でミリアは止まった。日本語じゃないはずなのに、なぜか読める文字であった。「宿屋パスティチョット……」
「ここです。……ちょっと待っててくださいね」
私が看板の文字を読み上げると、ミリアは私を何度か見た。その後、ミリアはドアの前で1度深呼吸をして、ドアノブに手をかけた。
ドアを開けると、そこには小太りな老婆がホウキを持って佇んでいた。
白いエプロンの下には色あせた緑色のスカートと、少し黄ばんだ白いシャツに身を包んでいた。
「あらあら!大天使サマじゃないのォ!今日も出張かい?」
「えっとその、あの、えっと……」
「……」
その老婆はミリアが言語をひねり出すまで、うれしそうな顔をしてミリアを見ていた。
「クビに、なっちゃって……」
「アタシはクラーラ・リットリオ。ま、クラレッタでいいわ」
「こく……あ、えっと、黒瀬馨と申します。よろしくお願いします」。私はクラレッタに深々と頭を下げ、着ていたスーツの内ポケットから名刺を取り出そうとした。「あら、あなた……まぁいいわ。あんたたち、金も住処もなくて困ってるみたいね」
私が名刺を取り出そうとする間もなく、クラレッタはひとつに結わえてある白髪混じりの髪の毛を振った。
クラレッタは宿のフロントと思われるカウンターの裏に入っていった。
「……多分大丈夫です。クラレッタさんは信用できる人なんです。私の存在も秘匿してましたから」
ミリアはクラレッタの方を見ながらそう私に呟いた。
「そうならいいんですが……」
と言いかけたその時、奥の部屋からホウキが2本こちらに飛んできて、続いて雑巾の束が飛んできた。
私とミリアがあわあわしながらそれを拾うと、クラレッタは水が入った缶のバケツを持って来た。
「とりあえずあんたら2人、2階の片付けしてきなさい」
「ここ、宿屋だったんだ……」
2階へ登ると、無数に続く部屋があった。ドアは両側に着いていたのだが、右側のドアには『208』と書いてあったので、恐らく8部屋以上ある。
私とミリアは201号室のドアを開けた。ミリアは控え室から新しいシーツを持ってきてベッドメイキングを、私はゴミの除去と床や物の清掃である。
「「終わった……」」
14室あった。その一つ一つをひたすらに片付け続け、終わる頃には太陽が沈みそうになっていた。
私とミリアは掃除用具を持って1階に降り、片付け、食堂に座った。
「おつかれさん。ほら飲み物。確認してきたけど初めてにしちゃ中々やるじゃないか。特にベッドメイキングは丁寧で素晴らしかったよ。どっちがやったんだい」
「ミリアが」。私がミリアの方を向いたら、ミリアは「えっえっえっ……」と困惑していた。
「やっぱり手先は本当に器用ねェ。前も宿のカーテンのほつれ直してもらったし」
「え、へへ、へへへ……」ミリアは頭をぽりぽりとかいた。フケが舞った。
2人でグラスに並々注がれた飲み物を見た。「セルボワーズと呼ばれる飲み物です。蜂蜜を水で溶かしたものです」
2人は思いっきりそのセルボワーズを飲んで、飲んで、飲み干した。今日は色々あって気づいてなかったが、とんでもなく水を欲していたし、とんでもなく栄養を欲していた。
「ほれ、飯。今日で兵隊さんはみんな違う港にはけちまうからね。この街もしばらくは落ち着くし客入りも悪いさね」
私とミリアの前に2枚のプレートとスープが出された。黒パンだろうか?と何か付け合せの……これはなんだろう? それと野菜がゴロゴロ入ったスープ。
「いいんですか!?こんなものまで」
私がクラレッタにそう問いかけた。クラレッタは不思議そうな顔をして言った。
「えぇ?だってあんたら、この『ロテル・パスティチョット』の従業員でしょう?」
「すみません、服も筆記用具も、何から何まで……」
「なァに、気にするこたァないわ。それよりアンタに話があってね」。クラレッタに言われて、私は食堂の真ん中の列の、右端の椅子に座った。
いただいたこの世界の服……木綿のちょっと着心地が悪いYシャツと薄茶色のスラックス、茶色いベスト、そして古びた黒いハットをテーブルの上に置いた。
クラレッタが向かいに座ると、グイと顔をこちらに近づけた。
「アンタ、この世界の人間じゃないね」
「えっ」
「……図星みたいね」クラレッタは顔を引っ込めた。引きつっている私を見かねたのか、「何も取って食うわけでも、追い出す訳でもないわよ。そうじゃなくて」
「……?」クラレッタは急に神妙な面持ちになった。
「あなた、前はなんていう国で何をしていた人なの?」
「私、ですか……日本、という国で官僚をしていました」
「へぇ官僚!そりゃ相当な家柄ね」
そう言われて、私は少しムッとした。「家柄の区別は私の国にはありません。……いや、名目上は。少なくとも私は、れっきとした試験と官庁訪問……面接を突破してきました」
「ふ〜ん、優秀なのね」。途端にクラレッタの声から興味が薄れていった。
「……いや、私の夫のことが聞きたくてね。私の夫は『いたりあ』?っていう国からなにかの節で来た人なのよ」
「イタリア!有名な国です。私も知っています」
「あら、そうなの!」クラレッタは少し驚いたような顔をしていた。
「もしアンタが『いたりあ』から来た人なら、もしかしたら夫の昔のことを知ってるかなって、思ってね」
「そうですか……ご主人は今どちらに?」
「死んだわよ、とっくにね。このホテルだけ残して」
「……失礼しました」「いいわよォ、もう10年も前の話」。クラレッタはそう言って私の肩を叩いた。
「ありがとね、今日は寝なさい。明日からは『ギルド』とここでビシバシ働いてもらうんだから」
クラレッタはそう言って食堂のドアを閉めた。私はそのまま座って、クラレッタからいただいた皮の便箋袋から、A4くらいの便箋を1枚取り出した。
2024年9月18日 天気:晴れ
今日は色々ありすぎて疲れた。本当はこんなことを書いている場合ではないのだが、とりあえず筆と紙を頂いたので、この「異世界」でのことを綴っていくことにする。
私は死んだらしい。そして異世界に転移して、今はクレティアという軍港の街に滞在することになった。これもミリアさんのおかげだ。本当に感謝しかない。
それにしても、弟のことが気がかりだ。弟の結末は聞いているのだが、それまでに弟の心が死んでしまわないかが不安だ。
母さん、親に先立つ子の親不孝をどうかお許しください。いつまでもお元気で。また「こちらの世界」で会いましょう。
穂、迷惑をかけてしまって申し訳ない。母さんのことをどうかよろしく頼む。みかんの事、覚えてくれたんだね。ありがとう。