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明と別れた後、俺は石畳の道をのんびり歩きながら、自宅へと向かっていた。頭上には雲ひとつない青空が広がっているのに、身体は鉛のように重かった。
途中まで一緒だった純子も、どこか疲れた様子で、歩く足取りがやや沈んでいた。無理もない。今回の旅は、あまりにも長かったのだ。
魔物を倒し、遺跡を踏破し、街と街を渡り歩いた。にもかかわらず、不自由なく過ごせたのは――あの『お取り寄せ』スキルのおかげだった。水も食料も、薬も、武器やその手入れ用品も、必要な物はすぐに取り寄せられる。便利すぎて、少し怖くなるほどだ。
その分、冒険はどこまでも続けられた。気づけば何日、いや何十日、家に戻っていなかったのだろう。
その成果か、今の俺には、百点ポイントが1万7500ポイントも貯まっていた。
スキルは増やそうと思えばいくらでも増やせる。だが、使いこなせなければ意味がない。すでに持っているスキルが多すぎて、実戦で完璧に扱うには経験が不足気味なのだ。だから、焦らず、必要なときに必要なものを選ぶ。それが俺の考えたやり方だった。それにしてもポイント貯まりすぎかな。
(……ま、悩むのは明日でもいいか)
自宅の扉を開けると、ほのかな木の香りが迎えてくれた。出発前に掃除したばかりだったから、埃もなく、どこか新鮮な空気が漂っている。昼下がりの光がカーテンの隙間から射し込み、床に淡い影を落としていた。
俺は靴を脱いで部屋に上がると、そのまま背伸びをするように大きく腕を広げた。
「ふあぁ……やっと帰ってきた……」
疲れがどっと押し寄せる。身体の芯まで重たくなって、気力がすぅっと抜けていく。
ベッドの傍までたどり着くと、もう何も考えずに、その上へと倒れ込んだ。ふかふかの布団が背中を包み込み、旅の間に張り詰めていた神経が一気にほぐれていく。
まるで体が布団に沈み込むように、視界がゆっくりと暗くなっていった。
(やっぱり、自分のベッドは最高だな。風呂に入って、ゆっくり飯食って……)
そう思ったところで、思考がふっと途切れる。
ベッドの上、まだ外は明るいというのに、俺はいつの間にか静かな眠りに落ちていた。
腹がすいて、目を覚ましたのは夜だった。まだ店は開いている時間。俺は久しぶりに、福佐山の繁華街に飯を食いに出かける。
福佐山の夜は、明かりと人の熱気に包まれていた。石畳の路地を歩くたびに、屋台の香ばしい匂いと、道行く人々の笑い声が風に乗って届く。旅の間に恋しくなっていた、活気と、平和の匂いだ。
「やっぱ……この街、好きだな」
そんなことを呟きながら、俺は横丁にあるお気に入りの飯屋を目指した。古びた木造の引き戸をくぐると、香ばしい焼き鳥の匂いが鼻をくすぐる。
「いらっしゃい!」
店主の元気な声に軽く会釈して、空いていたカウンター席に腰を下ろす。注文を伝えて一息ついた、そのときだった。
「おい、こっちは金払ってるんだぞ! さっさと酒持ってこいって言ってんだよ!」
怒鳴り声が、木の梁に反響するように店内に響き渡った。
静かだった空間に、ざわりと波紋が広がる。焼き魚を口に運んでいた隣の客が箸を止め、奥の席へ視線を送る。湯気立つ料理の香りすら、どこか遠のいて感じられるほど、空気が冷えた。
奥の一角、酔いに目を潤ませた中年の男が、若い店員に怒鳴っていた。着物の袖が乱れ、片方の肩がずり落ちている。顔は赤く、唾を飛ばしながら身を乗り出していた。
その前に立つのは、小柄で細身の少女。年の頃は十四、五。白い前掛けの上からでも分かる、硬くなった肩と引きつった顔。まるで、そこに立っているだけで精一杯のようだった。
「……またか、あの客」
カウンターの向こうで、店主が眉をひそめ、小さく吐き捨てるように呟いた。
どうやら、よくいる厄介な常連らしい。だが、店主も常連の機嫌を損ねるのが怖いのか、身動き一つしない。
少女は震える指で盆を持ったまま、一歩後ずさった。
「なぁに、気にするなよ。ちょっと飲みすぎただけだって!」
男が笑いを混ぜた口調で言いながら、乱暴にその細い腕をつかんだ。
その瞬間、俺は、立ち上がっていた。
自分でも、迷いがなかったことに驚いた。静かに食事をしていたはずの身体が、自然と動いていた。
椅子が軽い音を立てて後ろに引かれ、俺は奥の席に向かって歩き出す。
一歩ごとに、店内の視線がこちらへと集まってくるのを感じた。息を呑む音。誰もが気にはしているが、誰も止められなかった空気の中で、俺だけが歩いていた。
酔っぱらいの男が、女の子の肩に手をかけたまま振り返る。
「はぁ? なんだてめぇは?」
顔に浮かんだ不快そうな皺と、赤らんだ目。それでも、俺は一歩も引かず、まっすぐに男を見つめた。
「その子、困ってます。離してもらえませんか?」
声は静かだった。けれど、はっきりと通る声だった。怒りでも、威圧でもない。けれど、そこに揺らぎはなかった。
「関係ねぇだろ、ガキが!」
男が腕を振り上げかけたそのとき、俺はスキル『完全見切り』を発動する。
次の瞬間、男の動きが止まったように見えだす。男が殴りかかろうとするのを易々と躱し、女の子を後ろへとかばう。
「や、やめなさいよアンタ!」
背後で女の子の声が震える。
男が再び怒声を上げて詰め寄ろうとした、その瞬間。
「はい、そこまでにしましょうか」
店の奥から、屈強な体格の衛兵が二人現れた。どうやら、店主が裏でこっそり呼んでいたらしい。
「ちっ、覚えてろよ!」
男は連れられて店を出ていった。
店内に、ほっとした空気が戻る。
「……ありがとう」
か細い声がして、女の子が深々と頭を下げた。
「いえ、大したことじゃないですから」
俺は苦笑して席に戻った。
注文していた焼き鳥がちょうど届く。あつあつの肉にかぶりつくと、じゅわっと旨味が口いっぱいに広がった。
(やっぱり、こういうのも悪くないな)
騒ぎのあった店で、ふたたび人々の笑い声が戻ってきていた。
俺はその音を聞きながら、ゆっくりと、静かに箸を進めていた。
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