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「くるぞっ!! 構えろ!!」
俺の叫びと同時に、黒の触手が天井と床を裂きながら暴れ回る。柱が砕け、社の一角が崩れ落ちた。
「有紗! 沙耶! 後ろに下がって!」
「う、うん!」
「わかったっ!」
俺は身を翻し、一本の触手をギリギリで避ける。その直後、地面を打ち砕いた黒い塊が破片を飛ばし、視界を遮った。
「ぐっ……!」
左肩をかすめた衝撃。痛みを押さえつけながら、俺は再び光の詠唱に入る。
「――閃光、貫け……ジャッジメント!!」
裁きの光が放たれ、うねる触手の一本を焼き払った。断面がじゅうじゅうと音を立てながら蒸発し、触手の根元にわずかなひるみが走る。
「効いてる……! ロメオ、もう一度光の言葉を!」
「わかった……! これで最後だ!」
ロメオが叫び、光の書を再び掲げた。ページが自動でめくられ、最後の一節が発せられる。
「――聖なる秩序よ、闇を収束せよ!」
眩い閃光が社を包み込む。地面に刻まれた紋章が拡張し、今度は全域を浄化するかのように、触手の根元を飲み込んでいく。
「ギイイイィィィィィ!!」
その悲鳴は、もはや人のものではなかった。黒き影の本体はもがき苦しみ、そして――砕けた。
闇は光に引き裂かれ、霧は晴れていく。
俺たちは、静まり返った社の中心で、ようやく呼吸を整えた。
「……終わった、のか?」
明が剣を下ろしながら言う。
「たぶん、ね。でも……」
沙耶が、影の残滓が消えた場所を見つめたまま、声をひそめる。
「さっきの『助けて』って、やっぱり……」
「……影に喰われた、古代の誰かかもしれません」
ロメオが、重たい声で答える。
「言葉を探し、力を得ようとした者が、闇に取り込まれた……そんな気がする」
俺たちは無言で頷いた。
黒霧が晴れ、静寂が社を包む。崩れた柱と焼け焦げた床、そして光の名残がゆらゆらと漂っている中で、俺たちは言葉もなく立ち尽くしていた。
「……これから、どうします?」
沈黙を破ったのは俺だった。声が少し掠れていたのは、さっきまでの戦いの余韻のせいか、それとも影に呑まれた者の声が胸に残っているからか。
ロメオは眉をひそめ、慎重に言葉を選ぶように答える。
「『光の書』は、この社に留まるべきでしょう。封印の中核であることは、今回で明らかになりました。これを持ち出せば、また黒霧が目覚めるかもしれません」
彼の視線が、元の台座を見据える。そこは、いまだ淡く光を放つ『光の書』が元々置かれていたところだ。
「うん、そうよね……」
純子も頷く。
「最初に触ったときには何もなかった。でも、本を取り出した途端、黒霧が現れた。因果は明白だわ」
仲間たちも次々と頷いた。有紗も沙耶も、真剣な眼差しで光の書を見つめている。
「戻すよ」
ロメオはそっと本を持ち上げ、台座の中央にそっと置く。光の文様が一度だけ明滅し、まるでそれが『よし』と言っているかのように静まった。
俺たちは、一息つく。だが、気は抜けなかった。次に進むべき場所、それを決める必要がある。
「このことを教会に報告しよう。黒霧には、光魔法が効くみたい。俺も『ホーリーレイン』で押し返せたし、ロメオさんの『光の言葉』も明確に効果があった。教会と聖女様に伝えれば、きっと何か分かるはずだよ」
「そうね。教会なら『光の言葉』についても何か知ってるかもしれないわね」
有紗がしっかりと頷く。
「うむ。聖女様がどこまで知っておられるか分からぬが……この『光の言葉』は、扱いを誤れば危険だ。封印されていた理由を探るにも、教会の知識が必要だろう」
ロメオが口調を引き締めて言った。
「じゃあ、決まりだな。聖都へ向かおう」
明が剣を軽く肩に担ぎながら言う。
俺たちは社を後にし、『白火の峰』を脱出した。崖の上に出ると、空はもう茜色に染まりはじめている。
そのとき、ふと俺は振り返った。
社の扉はすでに閉じられ、まるで何事もなかったかのように、そこに静かに佇んでいる。だが、確かにあの中で何かが終わり、何かが始まったのだ。
「……絶対に無駄にはしない。助けを求めた声も、『光の言葉』も」
そう心に誓いながら、俺は仲間たちのもとへと歩き出した。
数日後、俺たちは、街へと戻ってきた。疲労は濃かったが、歩調はどこか軽かった。理由ははっきりしている。あの闇に打ち勝てたこと。そして、次に進むべき道が見えているからだ。
ギルドの扉を開けると、いつもの喧騒が耳に飛び込んでくる。剣士たちの笑い声、受付前に並ぶ冒険者たち。そして、受付には凛とした佇まいの礼子がいた。
「礼子さん、ただいま」
俺がそう声をかけると、受付のカウンターから顔を上げた彼女の目に、ほんの一瞬だけ、安堵の色が灯った。
「……帰ったのね。全員無事で、よかったわ」
「ありがとうございます」
そう言いながら、俺は報告書代わりに、光の書に関する一連の出来事を口頭で説明した。黒霧の発生、影との戦闘、『光の言葉』の効果、そして、書を元の位置に戻したこと。
礼子は途中で何度も眉をひそめ、時折確認するように問いを差し挟んだ。
「……言葉が封印を解いた……本当にそんな力が?」
「ええ。ロメオさんが確認してます」
「厄介ね。じゃあ、その場しのぎの解決では終わらなさそうね」
礼子は、机にひじをつき、考え込むように視線を落とした。
「……で、どうするつもりなの?」
「聖都の教会へ行こうと思ってます。『光の書』や『光の言葉』のこと、あっちの知識のほうが深いはずだし、聖女様にも伝えたい」
「そう。……あんたたち、もう普通の依頼じゃなくなってきてるわね」
礼子の口元がかすかにゆるむ。その目は、ただのギルド職員ではなく、仲間の旅立ちを見送る者のまなざしだった。
「道中、気をつけて。教会関係は……いろんな意味で、気を張らないと飲み込まれるわよ」
「忠告、ありがとう。気をつけます」
「それと……もし報告に聖都のギルドを使うなら、ギルマスの鉄馬や私の名前を出してもいいわ。何かと便利だから」
「助かります。頼りにしています」
俺は軽く頭を下げると、振り返って仲間たちに合図した。純子、有紗、沙耶、明、そしてロメオがうなずく。
「それに、聖女様に会うのなら、今、軽部村にいるはずよ。勇者パーティもね」
「軽部村の事件は、まだ解決してなかったのですか?」
「そうなのよ。あれから、ずっと聖女様と勇者パーティが張り付いてるんだけど、あのあとも、断続的に魔物が出てるみたいなの」
「それって、『光の言葉』と関係があるんじゃない。あの黒霧、あの感じ」
純子が俺を見つめる。
「きっとそうだね」
「じゃあ、先に、軽部村へ行った方が良いんじゃねーか?」
明が身を乗り出す。ロメオも腕を組んでうなずいた。
「そのようですね。先に聖女様にお会いしてから教会に行った方が無駄がない」
俺たちは、教会より軽部村に向かうことにした。
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