68
午後の陽が傾き始めたころ、俺たちは湖へと足を踏み入れた。
水面は鏡のように静かで、まるで時間が止まったかのような景色だった。風もなく、鳥のさえずりさえない。
「……音が、消えてる」
有紗がぽつりとつぶやいた。
「魔力の濃度が変わってる。これ、自然じゃない」
純子が指先に触れた空気を感じ取るようにして言う。確かに、ピリッと肌を刺すような感覚がある。魔物の気配――それも、ただの獣じゃない。
「……水面、見て。歪んでる」
沙耶の指さした先、湖の一角に、わずかに波紋が揺れていた。けれど風はない。鳥も飛んでいない。
まるで、誰かがそこにいるかのような揺れだった。
「明、飛び込むなよ?」
俺が釘を刺すと、
「……わかってるよ。今日は泳ぎに来たわけじゃないからな」
と、珍しく慎重にうなずく。
俺たちは湖畔を回りながら、痕跡を探した。岩陰には靴の跡。折れた草には、うっすらと粘性のある液体が残っていた。
「これ……水に似てるけど、水じゃない」
有紗が指先ですくった液体を調べる。
「これは、単体の魔獣じゃない。群体の可能性があるわ」
「群体!?」
明が目を見開いた。
「つまり、あの影は一体じゃないってことよ。周囲の水そのものが、奴らの一部かもしれないってこと」
純子は喉を鳴らし、湖を見やった。
「……夜までに、準備を整えましょう。完全に暗くなる前に、迎撃陣を敷くのよ」
俺たちは、正体不明な魔物に対して迎撃陣を敷いて夜を待った。
月が雲に隠れ、村の灯火が心細く揺れる。空気はひどく冷たく、湖面は黒い鏡のように静まり返っていた。
――そのときだった。
「っ……来た!」
昼間に設置しておいた警報鈴が、小さく、だがはっきりと「チリン」と鳴る。その音に、俺たちの全身が一斉に緊張した。
湖の中央、ゆらり、と水面が揺れる。
――人の形をして、それは立ち上がる。
いや、人ではない。形だけを模した何かだ。輪郭は水が波打つように揺れ、顔のような部分には、目の代わりに赤い光点がふたつ浮かんでいた。そして、それが一体、二体……いや、五、六……もっとだ。闇に紛れて、数えきれないほどの影が湖面を這い出してくる。
「くるわよ! 配置について!」
純子が短く叫び、矢筒を背負って走る。その声に、有紗と沙耶もすぐ反応し、高台や木の上へと跳ね上がった。俺と明は前線に立ち、剣を構えて影を睨みつける。
「精神干渉がくるわょ! 心を保って!」
有紗の声が、警告のように響いた。直後――
脳内に、声が流れ込んできた。
『キミは……誰?』『キミは……なぜ剣を持つ?』『なぜ、戦うの?』
それは囁きのような、夢の中のような声だった。誰かの記憶を覗き込み、それを引きずり出そうとするような気味の悪さがあった。
足元が、ぐらりと揺れる錯覚。頭の中で遠い記憶がざわめき出す。
けれど――
「うるせえぇぇぇっ!!」
明が吼え、剣を大きく振るった。刃に炎がまとわりつき、赤々と燃え上がる。
「『フレイムバスター』ッ!」
炎の一閃が影の一体を焼き裂き、爆ぜるように水飛沫となる。だが、それは一瞬で形を取り戻した。
「効いてる! でも回復が速い……!」
純子の矢が、今度は一体の胸部に正確に突き刺さる。矢は水をすり抜けることなく、影の中心にある青い光を打ち抜いた。
「ギィィィ……ッ!!」
金属をこすり合わせたような異音とともに、その影は崩れ、霧となって散る。
「弱点がある、水の中に核があるのよ!」
「了解っ!」
俺は呼吸を整え、剣に魔力を込める。刃が青白く光り出し、空気が震える。
「『斬光断』!」
剣から閃光を放ち、一直線上の敵すべてを高速で切り裂く光属性の中距離技。
風のごとく踏み込み、一閃。剣が影の身体を引き裂くと、透明な水のなかに、淡く輝く宝石のような核が姿を現す。
「今だ、沙耶!」
「任せてっ!」
沙耶の矢が空を舞い、月明かりを切り裂いてコアを貫いた。影は小さく悲鳴を上げるような音を立て、崩れ落ちる。
「……2体目、3体目、撃破!」
だが、次の瞬間――湖の奥から、再び水の影がぞろぞろと這い出してくる。
「マジかよ! どんどん増えているぞ!」
明が叫ぶ。湖は、まるで無尽蔵の影の製造工場のようだった。
「こいつら、夜に活性化するタイプだ! 時間との勝負になるぞ!」
俺は奥歯を噛み締め、両手に魔力を集中させる。
「ファイアバレット! ファイアバレット! ファイアバレット! ファイアバレット! ファイアバレット! ファイアバレット!」
無数の炎の弾丸が、宙を走り、影たちの体を次々に焼き裂いていく。が、また立ち上がる。
「むやみに撃っても数を減らすのは無理だわ、コアを狙い撃って!」
純子、有紗、沙耶の三人がそれぞれの視点から矢を放ち、空を切り裂く。次々と光が走り、影たちは断末魔のような悲鳴を上げながら霧へと戻っていく。
俺と明は、その霧の中をかきわけるようにして戦い続けた。
刃と炎、矢と魔力が交錯し――そして、ついに。
すべての影が消えた。
俺たちは、湖を見下ろす高台に立ち、深く息をついた。
足元が重い。肩も腕も、ズキズキと痛む。けれど、誰ひとり倒れることなく――全員、生きてここにいる。
月が再び顔を出し、湖面を銀色に照らす。もう、そこに影の姿はなかった。
「……やっぱり、俺たち。強くなってるよな」
明が、濡れた前髪をかき上げながら言った。顔には笑みが浮かんでいるけれど、その目には、確かな疲労と達成感が宿っていた。
「あれがBランクの敵……Aランクに片足突っ込んでたわよね」
純子が矢をしまいながら言い、有紗もうなずく。
「精神干渉と自律再生……どれかひとつでも対処を誤ってたら、たぶん誰か死んでた」
「でも、誰も死ななかった!」
沙耶が胸を張って言い、ふふんと笑った。
そうだ。俺たちは、やり遂げた。
確かに『フォーカス』は、チームとして成長していた。
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