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「仁!」俺は叫んだ。「方法はあるか!? この扉を、再び封じる方法は!」


 仁は歯を食いしばり、祭壇の符を見つめる。


「……一つだけある! この術式は継承の円環……意志を受け取るための構造だ! なら逆に、断ち切ることもできる!」


「どうやって!?」


「彼女の意志を、もう一度彼女自身の手で覆すんだ……! ただし――相当な覚悟がいる!」


 俺は頷き、彼女に――美里愛に向き直った。


「美里愛!」俺は叫んだ。「俺を信じろ!」


 そして、俺は走り出した。


 門の中から、黒き手が這い出てくる。世界の理が軋む音。


 その中へ――俺は飛び込んだ。


 彼女の手を掴む。


「君は君だ! 誰の継承者でも、器でもない! 君は美里愛だ!」


 次の瞬間、光が炸裂した。


 すべての音が消え、世界が、ただひとつの問いだけを残して静止する。


 ――自分とは、誰か。


 そしてその問いに、彼女が出した答えは――


 轟音とともに、地下殿の奥――かつて扉などなかった石壁が、裂けるように開いた。


 黒い靄が、深淵から這い出す。重い、圧倒的な何かが、こちらに向かって目を開いたかのようだった。


「これは……! 存在そのものが――世界の理を、侵食してくる……」

 リディアが顔を歪める。

 魔術師である彼女ですら言葉を詰まらせるほどの悪寒が、全身を貫いた。


 そしてその中心に、美里愛がいた。


 彼女の身体から立ち昇る光は、もはや聖なるものではない。古すぎて名もない、世界の記憶――いや、世界そのものの根源的な意思。それが彼女に語りかけていた。


 〈原初の意思〉――すべての始まりにして、選定者。


「――受け入れなさい。おまえは、ここに還るべき存在」

 声ではない。概念に近い呼びかけが、空間全体に響く。

 それは抗いがたい懐かしさと、圧倒的な支配の誘惑を帯びていた。


「美里愛……!」

 俺は叫んだ。けれど、彼女は応えない。いや――目の奥で、必死に戦っているのが分かった。


 両手で頭を抱え、歯を食いしばっている。

 背後では、神聖結界が軋みを上げ、騎士たちが剣を構える。


「ここで……帰ったら……楽になれるって……!」

 美里愛が呻くように呟いた。


「でも……!」


 彼女の視線が、こちらを向いた。


「でも――私、もう逃げないって決めたんです……! 私は、私のままで……!」


 その瞬間だった。

 彼女の胸元から、蒼白い光が爆ぜた。


 それは〈原初の意思〉の導きを拒絶する、意志の力だった。

 世界に刻まれた最古のプログラムに対し、一個人が「ノー」と突きつけたのだ。


「私は、美里愛です。卓郎さんと出会って、ここまで来て――今ここに立ってる、それが私の全部なんです!」


 叫ぶように放たれたその声が、空間を断ち切った。

 〈原初の意思〉の靄が、ぐらりと揺らぐ。


「選定は無効となる」

 無機質な声が、静かに言った。

「意思、拒絶を確認。継承は破棄される」


 次の瞬間、地下殿全体が光に包まれ、封印の門が――逆に、音もなく閉じていく。

 螺旋の符が再び重なり、古の鍵が重なり、深淵が閉ざされる。


 重苦しかった気配が、すうっと引いていった。


 そして、美里愛はその場に崩れ落ちた。


「美里愛っ……!」


 俺が駆け寄ると、彼女は微笑んでいた。

 汗で濡れた額。震える肩。でも――その顔には、確かな安堵があった。


「戻って……これました、私……」


 俺は彼女を強く抱きしめた。


「……おかえり」


 封印の門が完全に閉じた後も、しばらく誰も言葉を発せなかった。

 あの何かの残滓が、まだ空気に微かに混じっている気がして――誰もが息を潜めていた。


「……ほんとに、終わったのかな?」

 俺はあたりを見回し、ぼそりと呟いた。けれどその声にも、実感と安堵が滲んでいた。


 そして、俺は立ち上がり、美里愛の肩を支えながら、振り返った。

 地上から降りてきた騎士団の副長が、険しい表情で報告に現れる。


「卓郎殿、リディア殿。至急、ダルフェリア西方の瘴気濃度異常についてご確認を願いたい」


「西方……って、まさか」

 リディアが顔を強張らせる。


「……はい。先日、〈黒刺狼〉の王が現れたと報告のあった、あの瘴気地帯です。

 数時間前から、結界石が反応しなくなりました。

 先遣隊も交信を絶っております」


 ――黒刺狼。七つの災厄の一つにして、この地に封じられているとされるもの。


 美里愛を助けた時の戦いで、ただならぬ力を持っていたあの王。

 黒刺狼の王は倒したはずのだが、奴らを呼び出した黒衣を纏って顔を覆面で隠した魔族は、あの時消えたままだった。やつが黒刺狼の王に変身したと思っていたが、生きていて、再びこの世界に牙を剥こうとしているのか。


「やるべきことは、まだ終わってないってことかな?」

 俺は静かに息を吐いた。


 そして、美里愛をリディアに託し、鞘に納めていた剣をゆっくりと引き抜いた。


「向かおう。……瘴気の向こうに、何がいるのか確かめる」

 勇者・仁も、口元に笑みを浮かべながらパーティの仲間を見回す。


 地下殿を背に、俺たちは再び地上へと歩を進めた。

 そこに待ち受けるのが、再誕した〈黒刺狼〉の王か、あるいは――その背後にいる真なる敵・黒衣を纏い、顔を覆面で隠した魔族なのかは、まだ分からない。


 けれど、この世界に危険な変化が起こっているのは確かだった。







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