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 ……その階段の先には、闇が広がっていた。風はもう吹いてこない。だが、不思議なことに、誰も松明を掲げようとしなかった。それでも進めたのは、祭壇の奥から、ほのかに蒼白い光が漏れていたからだ。


 俺たちは慎重に足を進める。階段は滑らかで、手すりもない。まるで、誰かに導かれるように。


「美里愛さん、無理はしないで」

 そう声をかけると、彼女は小さく頷いた。だが、その目はまっすぐ前を向いていた。怯えているはずなのに、そこには確かな意志があった。


 やがて、階段の終点が見えてきた。

 広がっていたのは、石造りの巨大な空間――地下祭祀殿だった。


 天井を支える柱の一本一本に、古代語の祈りと〈封印術式〉の符が刻まれている。中央には、浮かぶように配置された環状の壇。そしてその中に、何かが眠っていた。


「……これは……」


 誰ともなく、そう呟いた。目の前にあるのは、人の形をした何か。だが、それは生きているとは思えない。布のようなものに包まれ、数重の魔法結界で封じられている。


「これは……生体封印?」リディアが目を見開いた。「これだけの術式を維持するには、相当な魔力が……」


「いや……違うな」仁がゆっくりと前に進み、周囲の符を見ながら言った。「これは……継承者のための記録媒体……意識の器だ」


「意識……?」


「ある種の記憶装置だよ。言葉や知識じゃなく、感情や体験ごと継承するためのものだ。これに接続すれば……美里愛が忘れた過去のすべてが、流れ込んでくるはずだ」


 俺は美里愛の横顔を見る。彼女は迷っていた。

 怖いに決まっている。知らない記憶、自分の中に別の自分がいるような感覚――そんなもの、耐えられるわけがない。


「……私、やります」

 そう言った美里愛の声は、震えていなかった。


「本当に……?」


「うん。私、逃げてた気がするんです。自分が何者か知るのが怖くて。でも、今なら……卓郎さんが一緒にいてくれるなら、向き合える気がします」


 俺は無言で頷き、そっと彼女の手を取った。


「準備ができたら、術式を開くよ」と仁が言う。


 セリアとリディアがそれぞれの位置につき、祭壇を囲むように結界を調整する。騎士たちは離れて見守り、キルシュも緊張の面持ちで手を腰の短剣に添えていた。


 やがて、光が環のように浮かび上がり、空間が震える。


 ――そして、美里愛が一歩、前に出た。


 次の瞬間、視界が白く染まった。


 風のような感情が押し寄せる。声、泣き声、祈り、怒り、希望、絶望、そして――誓い。


 美里愛の身体が小さく震える。足元から淡い光が立ち上り、彼女の髪がふわりと浮かんだ。


「……私は、ここで……」


 かすれた声が漏れる。


「……祈っていた……願っていた……誰かが……この封印を……」


 ――そして、彼女の目が開かれた瞬間、その瞳には別の輝きが宿っていた。


「……いらっしゃいませ、封印の継承者たちよ」


 その声は、確かに美里愛のものだった。だが同時に、別の存在が語っているかのようにも思えた。


 仁が息を呑む。


「……記録だけじゃない。人格の一部を受け継いでいる……?」


 そのとき――


 地下殿の壁が、一斉に呻いた。


 ズズズ……と石が動く音。

 螺旋状に刻まれた封印が、ひとつ、またひとつと砕けていく。


「これは……!?」


「起動したんだ……! 〈古神の封〉が……!」


 空間が振動し、魔力が逆巻く。


 そして、美里愛――いや、彼女の中にいる何者かが、静かに言った。


「――門が、開かれます」


 その言葉と同時に、祭壇の奥、地下殿の壁が音を立てて崩れた。まるで空間そのものが軋みを上げ、裂けるように。


 蒼白い光が噴き出し、風が逆巻く。それはもはや自然の風ではない。意志を持った何かの鼓動だった。


「後退しろ!」仁が叫ぶ。だが、足がすくんで動けない。重力のような魔力の圧が、全身を押しつぶすように圧してくる。


 空間の中心――かつて〈意識の器〉が眠っていた場所に、黒い亀裂が走った。それはゆっくりと縦に広がり、扉のような形を成していく。


 扉の中から、何かがこちらを見ていた。


 否――視られているという感覚だけが、皮膚の奥に直接流れ込んでくる。


 〈原初の意思〉。


 それは言葉ではなかった。だが、確かに知ってしまった。


 言語や概念の前に存在した何か。すべての文明の根源。封印されていたのは、単なる存在ではない。存在そのものを定義する存在。


「っ……ぐ、あぁ……!」リディアが膝をついた。セリアも歯を食いしばり、額から血のような汗を流している。


「だめだ……このままじゃ……精神が……!」キルシュが叫び、懐から護符を投げつけるが、それすらも空中で霧散した。


 だが、その中で、美里愛――いや、彼女の中にいる誰かだけが、微笑んでいた。


「懐かしいわ……。ずいぶん、長く眠っていた気がする」


 その口調は、明らかに別人のものだった。高貴で、静謐で、そして――圧倒的な威厳があった。


「誰だ……お前は……」仁が苦しげに問いかける。


 その問いに、彼女は一歩、門に向かって進みながら答えた。


「私は《第一の継承者》……いや、今は彼女と融合している。ならばこう名乗りましょう」


 少女は静かに手を胸に当てた。


「――私は《アエリス》。始原の記録者。語られざる最初の声」


 空間が揺れる。門の向こうから、次元の裂け目のような渦が生まれ、そこに何かが現れかけていた。


「止めなきゃ……! あんなものが完全に出てきたら……!」仁が叫ぶが、足は動かない。魔力が、恐怖が、理性を奪っていく。


 そのとき、俺は見た。


 美里愛――アエリスが、ゆっくりとこちらを振り返った。


 だが、その瞳には、苦悩と迷いがあった。


「卓郎さん……私を、止めて」


「……!」


「私が開くことが使命だった。でも……今の私は、美里愛でもある。だから……あなたにだけは、拒まれたい」


 そう言って、涙を一粒、零した。


 俺は、その声に――その願いに、応えなきゃいけないと思った。



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