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村の広場に戻ると、すでに数人の騎士と斥候が井戸の周囲を囲んでいた。
石造りの古い井戸。その縁には、何かを封じるような奇妙な紋様が刻まれていた。
「……これ、聖印ですね」
セリアが膝をつき、表面の苔を払って露出した紋を指さす。
「聖印庁でも、あまり使われない古い様式だね」仁が呟く。「……いや、そもそもこの井戸が〈聖域〉の指定を受けていないのが変なんだよ。報告にも、地図にも載っていない」
リディアは、持参していた書物をめくりながら首を傾げる。
「これ、聖印というより……封印符式に近いかも。昔の神官が〈不浄〉を封じたときに使ったもの」
不浄……
その言葉に、俺と美里愛は思わず顔を見合わせた。
「封印はまだ生きてるかい?」
仁が問いかけると、セリアは小さく首を振った。
「かろうじて形を保ってますけど……浸食が進んでいます。時間の問題です」
その瞬間、井戸の底から、かすかな風のような音が聞こえた。
「今、聞こえた?」とキルシュが顔をしかめる。「……中から、誰かが囁いたような……」
「聞こえた」
俺もそう答えながら、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
と、そのとき。
「……っ……!」
美里愛が額を押さえて、よろめいた。
「美里愛さん!」
駆け寄ると、彼女は何かをこらえるように目を閉じ、必死に呼吸を整えていた。
「……声が、した……。井戸の中から……聞こえたんです」
震える声。額にはうっすらと汗がにじむ。
「どんな声だった?」
仁が低い声で問う。
「……私の名前を、呼んでた。……『戻れ』って……『継承者よ、還れ』って……」
美里愛の言葉に、その場の空気が一変した。
――継承者。
その言葉が意味するものを、俺は知っていた。
神聖フェルミナ王国第十三代聖女・由里と同じ『封印継承者』。彼女もまた、何かを継いでいる存在なのか。
「仁さん」
俺は思わず声をかけた。
「……ああ。これは偶然じゃない。美里愛がここで記憶を取り戻したのも、『還れ』という声も、すべてが……この場所に導かれていた」
仁の瞳が鋭く細められる。
「キルシュ、斥候班を展開。周囲に異常がないか確認を」
「了解!」
「セリア、リディア。封印の解析を。必要なら神殿と交信して」
「承知しました」
「卓郎、美里愛。君たちは……いったん休んで。でも、すぐ動けるようにしておいてくれ」
「はい」
俺は、美里愛の肩を支えながら、少し離れた木陰に腰を下ろした。
彼女はまだどこか顔色が悪いが、無理に笑おうとしていた。
「……怖いです。でも、知りたい。私がどうして狙われたのか」
俺は小さく頷く。
「大丈夫。俺がついてる。絶対に、守るから」
その言葉に、美里愛は少しだけ目を潤ませて、頷いた。
日が傾きはじめた頃。
セリアとリディアが封印の解読を終え、広場には再び緊張が走っていた。
「やはり、これは〈封印結界〉です。約百年前の式法……かなり古いものですが、まだ生きています」
セリアが説明する横で、リディアが巻物を巻き戻しながら補足する。
「下には神殿……というより、祭祀場のような空間があるはず。儀式に使われた痕跡も。おそらく、継承者のための」
「開けて、問題はないかい?」仁が問う。
「……問題はありますが、放っておけば、自然崩壊します。なら、我々の管理下で開けた方が安全でしょう」
その言葉に、仁は小さく頷いた。
「では、開けよう」
封印解除の儀式が始まった。
セリアが白い魔石を取り出し、地に置く。リディアがその周囲に浄化の紋を描き、古語で詠唱を重ねていく。
光が走り、井戸の縁がうっすらと光を帯びる。
そして、重い音とともに石蓋がゆっくりと横へ滑った。
中には、朽ちた螺旋階段がのぞいている。
だが、風は下から吹き上げていた。まるで、何かがそこから出ようとしているかのようだった。
「全員、準備を」
仁の声に、騎士団と勇者パーティが動く。
俺も、美里愛の手を取った。
「……行ける?」
「……はい。大丈夫。行きます。思い出さなきゃ……知りたいんです、私と封印の関係、封印の一族の役割……」
彼女の瞳には、確かな決意が宿っていた。俺たちは地下への螺旋階段を下り始めた。
*
思ったよりも深かった。
石造りの壁には、所々に祈祷文が刻まれ、古びた燭台が並んでいる。が、火は消え、重い沈黙だけが支配していた。
やがて、階段を下りきると、小さな広間に出た。
「これは……」
中心には、石の祭壇。そして、祭壇の周囲に描かれた円陣と、いくつもの壊れた神像。
仁が小声で呟いた。
「……これ、古神信仰の遺構だ。〈現神〉に取って代わられる前の、より原初の神々のもの……聖印庁が存在を否定した存在」
「そんなのが、どうして……?」
そのとき――。
「……あっ……」
美里愛が膝をつく。瞳が見開かれ、息が荒くなる。
「美里愛さん!」
俺が駆け寄ると、彼女の瞳は、目の前の光景を見ていなかった。
「……また、声が……。……継承の時、来たれり……って……」
その瞬間、祭壇の奥で、何かが反応した。
――カチリ。
まるで歯車が噛み合うような音とともに、床の一部が動き、さらに奥へと続く階段が現れる。
「下がある……」
キルシュが呆然と呟いた。
「反応したのは……美里愛さんの魔力です」
セリアが驚きの表情で言った。
「まさか……この遺構そのものが、継承者に反応するよう設計されていた?」
「それって……じゃあ、この村にいたのって……」
俺の問いに、美里愛が震える声で答える。
「……私は、ここで……何かを託された……気がします。忘れていたけど、確かに」
仁が小さく息を吐き、言った。
「先に進もう」
重い空気のなかで、俺たちは一歩を踏み出した。
階段の先に、冷たい風が吹き込んできた。
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