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 夜明け前の港町。

 潮風がゆっくりと吹き抜ける。

 漁師たちがまだ眠るこの時間帯、港には静寂だけが満ちていた。波の音だけが一定のリズムで打ち寄せ、石畳を濡らした。


 空は、深い群青。

 けれどその端が、わずかに白んでいく。朝が、確かに近づいている。


 俺と明は、並んで腰掛けていた防波堤の縁から、静かに立ち上がった。

 背伸びも、あくびもなかった。ただ、互いに無言で、腹の底に決意をためていた。


「……行くか」


 俺が小さく呟くと、隣に立つ明が頷いた。

 頬に触れた風が少し冷たい。だが、それが眠気を吹き飛ばす。


 俺はゆっくりと右手を胸の前に掲げた。手のひらに意識を集中する。

 深く、息を吸い――


「――〈ポータルシフト〉」


 小さな光が、手のひらから舞い上がる。

 その光が空中に浮かぶと、静かに、魔法陣が展開した。海の空気がざわめき、ほんの少しだけ、時間の流れがずれるような感覚。世界の縁をひとつめくるように、空間が開く。


 そこから見えるのは――

 丘の上の静寂。淡い朝焼けに包まれた、草の匂いのするあの場所。


 純子の墓のある、丘の上。


 音もなく、俺と明の姿がその中へと溶けていく。


 風が吹いていた。


 大河からの風は少し冷たく、岬の草花を優しく揺らしていた。

 高台から見下ろす水面は、朝靄にかすみ、まだ太陽は水平線の向こう。空と海の境が曖昧で、世界が夢の中にあるようだった。


 俺たちは、並んで立っていた。


 墓標の前に、ただ黙って。


 墓の周囲には、手向けられた花。白い小花に、野に咲くような色とりどりの花が混じっている。最近、誰かが来たのだろう。朝露が花弁を濡らして、光を散らしていた。

 風がその花を揺らす音だけが、耳に届く。


 俺はそっと前へ出て、墓石に手を添える。冷たい石の感触が、ゆっくりと掌に広がった。


「……やったよ、純子」


 低く、小さな声だった。

 けれど、その言葉は確かに、空気を震わせた。


「お前の両親をやった魔物。……ウニみたいなやつ。俺たちが倒したよ」


 その瞬間、背後でふっと明が鼻を鳴らした。


「正直、あんなでけぇ奴とは思わなかったけどな。……途中、マジで死ぬかと思った」

 明はぼりぼりと頭をかいて、少し苦笑いを浮かべる。


 その言葉に、俺も思わず口元をほころばせた。


「それでも、勝てた」


「ああ。勝てた。お前の分まで、ちゃんと剣振った」


 明は、まっすぐに墓を見つめたまま、ぐっと胸を張る。

 どこか誇らしげで、でもそれは照れ隠しにも見えた。


「だから安心しろ。お前の家族の仇は、俺たちで討った。……ああ、そうそう。その後、ウニ丼にして食ったぞ。すげぇ美味かった」


「……墓前で言うことか、それ?」


「事実だからな!」


 俺は小さく笑った。

 明のそういうところ、昔から変わらない。何気ないひと言で、ふっと気を抜かせてくれる。


「……ありがとな、明」


「ん?」


「お前が一緒に戦ってくれて、よかった。たぶん、ひとりじゃ無理だった」


 明は一度だけ目を伏せて、しばらく沈黙した。

 それから、大河を遠くに見ながら静かに口を開く。


「なぁ、卓郎。やることやったし、お前……これから、どうすんだ?」


 俺は空を見上げた。

 朝の光が、まだ淡い。空が白むのに合わせて、何かが自分の中でも、少しずつ変わっていくのを感じていた。


「旅に出るかな。……今度は、俺自身のための旅だ」


「……そっか」


 明は目を細めて、それを聞いた。

 どこか安心したようにも、少し寂しそうにも見えた。


 それでも、すぐにいつもの調子で笑う。


「俺は、じいちゃんのとこ行くわ。浪花の村の銀蔵じいちゃん。知ってんだろ?」


「ああ。自称、爆薬錬金術師で、天眼の名医で、元冒険者で、なんかめちゃくちゃなじいさんな」


「そう、それそれ。あの爺さんに弟子入りでもしようかなって。なんか楽しそうだからな」


 この前も言っていたその言葉に、俺は目を見張った。

 ……マジか。冗談じゃなかったのか。けど、すぐに納得する。

 明らかに、向いてそうだったから。


「俺、爆発系、向いてそうだしな?」


「あはは……うん。めっちゃ似合う気がする」


「だろ?」


 二人して、くつくつと笑い合った。


 朝風がまた、そよいだ。

 花が揺れる。空が明るくなり、鳥の声が遠くで聞こえる。


 墓前での別れの言葉は、俺たちには必要なかった。

 言葉にしなくても、伝わるものが、そこにはあったから。


 それぞれが、自分の道を決めていた。

 それだけで、もう十分だった。


 * * *


 再び〈ポータルシフト〉。


 空間がひずみ、足元が一瞬ふわりと浮く感覚――次の瞬間、俺たちは浪花の村に降り立っていた。


 ひんやりとした朝の空気が、肌を撫でる。


 土と木の香り。近くを流れる川の音。かすかに鼻をくすぐる薬草の匂い――この村にしかない、懐かしい気配が胸の奥をくすぐった。

 朝の陽射しはまだ低く、木々の合間から斜めに差し込んで、淡い金色の光が村を染めていた。


「よろしく! 浪花の村!」


 明が大げさに腕を広げる。背中には大きな荷物、腰には見慣れぬ道具袋が下がっていた。


「じゃ、ここで一旦お別れだな」


 俺は小さくうなずき、明に手を差し出す。

 明は笑って、それをがっしりと握り返してきた。手のひらから伝わる力強さが、なんだか妙に心に沁みる。


「次会うときは、お前がなんかすげぇことになってて、俺は爆薬で村ひとつ吹き飛ばしてる、みたいな展開にしようぜ!」


「……吹き飛ばすなよ! 村は」


「いや、たとえ話だって」


「信じらんねぇよ、お前だと」


 笑いながら、俺は手を離した。

 けれど、その笑顔の奥には、少しだけ名残惜しさが残っていた。


「達者でな、明」


「おう。行ってこい。気楽に世界を楽しんで来い」


 その言葉に、心が軽くなるような気がした。

 明は振り向き、迷いのない足取りで、村の奥――銀蔵じいちゃんの家へと向かっていく。


 その背中は、いつになく頼もしく見えた。

 少年の姿をしていても、もう子どもではない。

 別々の道を行く仲間として、ちゃんと背中で語っていた。


 ……さて。


 俺は深く息を吸って、あらためて背負い袋の紐を締め直す。

 装備の点検。財布の中身。水筒。地図。最低限の準備は整っている。


 だが、行き先はまだ決まっていなかった。

 けれど、不安はなかった。


 これから始まるのは、誰かに言われた旅じゃない。

 誰かの願いを叶える旅でもない。

 俺自身の足で歩く、俺だけの道だ。


 足元に、淡く光る魔法陣が浮かぶ。

 青白い光が石畳の上で広がり、風がひとひら、俺の肩をかすめていく。


 俺は静かに、ひとこと呟いた。


「そうだ! あれが気になるな。〈ポータルシフト〉!」


 視界が揺らぎ、光に包まれる。

 意志を持って、俺は一歩を踏み出した。


 



ここまで読んでいただきありがとうございます。


この小説を読んで、「続きが気になる」「面白い」と少しでも感じましたら、ブクマと↓の☆☆☆☆☆から評価頂けましたら幸いです 。


感想のお手紙をいただけると最高です!


お手数だと思いますが、ご協力頂けたら本当にありがたい限りです <(_ _)>ペコ




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