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――空が、燃えていた。
〈大火翼獣ラグノス〉。全長十数メートル。漆黒の翼を広げ、全身を炎の鱗で包み込んだ魔獣が、空間そのものを焼き焦がしていた。
「気を抜くな! 一撃でも直撃すれば即死だ!!」
明が叫び、炎を裂いて突撃する。だが、ラグノスの尾が風を切り、地面を抉るように彼をはね飛ばす。
「明っ!」
「無事だ! ……チッ、硬い上に速いッ!」
沙耶、有紗、純子が一斉に矢を放つ。三方向からの連携射撃が、ラグノスの側面を穿とうとするが――
「無駄ですッ! あれ、弾いてる!」
「物理無効化の炎装甲……!?」
ミリアが目を見開く。
ラグノスの全身を包む炎は、高位の魔法障壁と同じ効果を持っている。通常の攻撃では触れることすらできない。
「じゃあ、俺が道を開く! 明、援護!」
「おう!」
卓郎が飛び出す。〈完全見切り〉で視界を確保し、〈鋼壁斬〉で正面から斬りかかる。その刃がラグノスの首筋に届く――が、炎の障壁がギィンと高音を立てて弾いた。
「なら……〈セラフレイム〉ッ!!」
炎の剣に、さらに聖なる火を重ねる。
双重の火がラグノスの防御を貫き、鱗を焼く――
グオオオオオオオッ!!
咆哮が、空を裂いた。
その瞬間、炎が地面から噴き出し、あたり一帯が灼熱の地獄と化す。回避行動をとったはずの沙耶が一瞬で倒れ、俺が彼女をかばうようにヒールを放つ。
「だ、だめだよ! この熱、止まらないっ!」
「遠距離は下がって! ミリア、有紗、沙耶、今は補助に徹して!」
純子の指示が飛び、仲間たちが散開して再編成を試みる。
「純子、右の翼狙えるか!」
「任せて! ……〈炎の矢〉ッ!」
信徒の矢筒が炎の魔力を帯び、巨大な矢となって発射される。翼膜を貫き、ラグノスが初めてバランスを崩した。
「効いたぞ!」
「いまだ、卓郎!」
「――終わらせるッ!!」
卓郎が地を蹴り、〈ブリンクステップ〉で距離を詰め、〈斬光断〉からの〈断空輪〉で斬撃を連ねる。ラグノスの胸元が裂け、大量の炎が逆流する。
仲間たちの連携、スキルの重ね掛け、そして攻撃の最適解の共有――戦況は確実に、こちらに傾いていた。
だが――
「……あれは……!」
ミリアが叫ぶ。
ラグノスの口元に、魔法陣が収束していた。
「ブレスの詠唱だ! 来るぞ、全力の一撃――!!」
そして、卓郎は見た。
紅蓮の魔法陣。その中央に、すべての熱量が凝縮されていく。
これはただの炎ではない。文明を焼いたそのもの。
〈滅炎核砲ブレス〉――。
直撃すれば、誰であろうと即死。それはわかっていた。
卓郎の足元に、ふらつくように立ったのは――純子だった。
「卓郎……逃げて……!」
「バカ! お前こそ下がれ!!」
だが、ラグノスの咆哮とともに、世界が焼かれた。
光。
轟音。
そして――何もかもが、消し飛んだ。
何も見えなかった。
何も聞こえなかった。
焦げた風が、焼け落ちた地面をなぞるように吹き抜ける。大地は溶け、空は赤く、音もなく崩れた岩塊が転がる。
爆心地の中央に、焦げた土の上で倒れている二つの影。
一人は少女――純子。
もう一人は、少年――卓郎。
二人とも、焼かれた。防御など意味を成さない圧倒的な魔炎の奔流の前に、皮膚も衣も鎧も意味をなさず、その命は、確かに――
「……う、あ……」
――だが、一つだけ違っていた。
卓郎の胸元。そこに、微かな光が灯っていた。
青白い、命の残り火のような光。
それが、揺らめくように卓郎の全身を包む。
「……っ、ハア、ッ……!」
卓郎の指先が、ピクリと動いた。
次いで、呼吸が戻る。潰れかけた喉から、炎の残り香を吐き出すように、かすかなうめきが漏れた。
彼のステータスには、奇跡の一文が浮かんでいる。
【加護:約束の灯火】
一度だけ死亡ダメージを受けた際、HP1で耐え、短時間の無敵状態を得る。
「……ヒール」
卓郎の体が、ぐらりと起き上がる。
「……純子……!」
俺は隣に目をやった。そこには、うつ伏せで倒れたままの純子がいた。
衣服も、肌も灰色。それでも、すぐに回復魔法を――そう思い、ヒールを唱える。
が。
「……ダメだ……回復、通らない……!」
瘴気ではない。焼かれすぎた肉体に、もう蘇る余地がない――
それが、〈死〉の現実だった。
「く、そ……!」
卓郎の手が震える。
「……なんで、俺を……かばって……!」
ラグノスの咆哮が、再び空に響く。立ち上がった彼にとって、まだ戦いは終わっていない。だが今、彼の足元にあるのは、最も守りたかった仲間の――
「……っ……」
弱々しい声が聞こえた。
卓郎が顔を上げる。
「純子っ……! 生きて……!」
「……違うよ。……たぶん、死んでる……けど……一瞬だけ、目、覚めたみたい……」
微かな奇跡。意識だけが、残っていた。
卓郎が涙をにじませながら、手を握る。
「……オレ、また……守れなかった」
「ううん……最後に……あんたの顔……見られてよかった……」
純子の唇が、微かに笑った。
指先が、力を失っていく。
風が吹いた。
灰と炎の間で、ひとりの少女が、静かにその灯を消した。
卓郎は立ち上がった。
炎の中で、静かに剣を構える。
その足元で、仲間たちが、倒れながらも立ち上がろうとしている。
明が血を吐きながら笑う。
「まさか……」
有紗と沙耶も、涙をこらえながら矢を構える。
ラグノスが再び咆哮を上げ、炎をまとい、翼を広げる。
だが、卓郎の目はもう、迷わなかった。
「――絶対に、終わらせる。ここで、お前を倒す。純子の、命に誓って!」




