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試験当日の朝。東門前の石畳には、朝露がうっすらと残っていた。
まだ陽が昇りきらない時間帯。人気の少ない街道沿いに、ひときわ鋭い気配を纏う男が立っていた。漆黒の軽装鎧に身を包み、顔の下半分を布で隠し、銀髪をひと束にして背中に流す――彼が、Sランク冒険者〈黒風のゼルド〉。
俺が集合時刻の少し前に東門に着くと、彼はすでにそこにいた。
「……Sランク昇格試験受験者の卓郎か? 俺は試験官のゼルドだ」
低く抑えた声が、布越しに響く。
「はい。今日の試験で同行していただく、Sランク冒険者さんですよね」
俺がそう返すと、ゼルドはうなずき、ひとつだけ言葉を添える。
「予定通りだ。すぐに出るぞ。準備は?」
「万全です」
それだけ確認すると、ゼルドは振り向いて歩き出した。街道を外れ、岩の多い丘陵地帯へと向かう。背に双短剣を背負ったその後ろ姿からは、一切の隙が感じられなかった。
話しかける隙も、なんとなく空気で読めてしまう。静かすぎる空気の中、俺は自分の鼓動を意識しながら後に続いた。
目的地は、東方にある〈月影の岩窟〉。そこに巣食うAランク魔獣〈鉄殻獣ギラント・オルス〉の単独討伐が、俺に課されたSランク昇格試験の本題だ。
途中、何度か険しい岩場や細い獣道を抜けながら、ゼルドは最小限の言葉で要点だけを伝えてくれた。
「今回の試験は“評価”だ。俺は見ているが、手は出さない。魔獣見つけ出し、倒す、それだけでいい」
「……分かっています」
「だが、忘れるな。生き延びることが第一だ。命を無駄にする者に、Sの資格はない」
ゼルドの口調は冷静だったが、その言葉の奥にあるものは真剣だった。俺は軽く頷き、腰の剣に手を添える。
やがて、岩場を抜けた先に、霧がかかり始めたくぼ地が現れる。地形は迷路のように入り組み、岩壁の影に何が潜んでいてもおかしくない。
ゼルドが立ち止まり、わずかに手を上げた。
「ここから先は一人で行け。目標はこの谷の奥――日が差さないくぼ地に巣を作っている」
言われた方向を見やると、確かに地面はうっすらと掘られた跡が続き、岩陰の合間に大きな爪痕のようなものも見える。
「了解です。……行ってきます」
ゼルドは無言でうなずく。その姿を背に、俺はゆっくりと岩場を踏み出した。
湿った空気の中、剣を抜き、気配を研ぎ澄ませる。俺はすでに魔獣の気配を感じ取っていた。
……数分後。
乾いた岩を滑るような音。空気が震えるような、低く鈍い唸り声がひびいた。
視界の先に、〈鉄殻獣ギラント・オルス〉が現れた。
その巨体は、岩壁と見まごうほどの重厚さ。全身を覆う鉄のような殻が、霧の中で鈍く光る。赤黒い目がこちらを睨み、ゆっくりと前脚を地に叩きつけた。
――ズンッ。
地面が揺れる。……その威圧だけで、空気が変わった。
俺は、深く息を吐く。
これは――本物の、命のやり取りだ。
(やるしかない……!)
剣を構え、足を踏み出す。
ギラント・オルスが、咆哮と共に地を蹴った。
その巨体からは想像もできない速度で、鋼の塊が迫ってくる。
(速い……っ!)
「――完全見切り!」
スキルを発動。世界の動きが一瞬、遅くなる。巨体が振るう前脚の軌道を読み、すれすれで横に飛ぶ。砂煙と岩片が吹き飛び、さっきまでいた場所が砕けていた。
(とてもまともに受け止められない……!)
ギラント・オルスは全身が鋼の殻に覆われており、弱点らしい部位はほとんど見当たらない。だが、目や関節部、背面の排熱孔のようなスリットは装甲が薄い。そこを突くしかない。
「ブリンクステップ!」
獣の背へ瞬間移動。
ミスリルソードに力を込めて、獣の背中に振り下ろす。
だが、ギラント・オルスは即座に身をひねり、硬い殻で剣を受け止めた。
「ぐっ……!」
弾かれた衝撃で、手が痺れる。
(ダメだ、ただの斬撃じゃあ刃が通らない……)
獣が前脚を振り上げる。着地の隙を狙ってきた!
「ヒール!」
直前に回復をかけつつ、地を転がって回避。その途中、地形の傾斜を利用して背面に回り込む。
霧の中、ギラント・オルスの排熱孔がわずかに開き、白い蒸気が吹き出す。
(今だ……!)
「セラフレイム!」
ミスリルソードに魔法の力が流れ込む。剣が淡く光り出し、剣の強度と切れ味が爆発的に増幅される。
俺は剣を高く構え、一気に跳んだ。
「たー!」
排熱孔へ突き立てる。
ギラント・オルスが凄まじい悲鳴を上げ、全身をのたうたせる。黒煙とともに殻の内部が爆ぜ、鈍く金属音が響いた。
それでも――まだ、終わっていない。
「……こんなもんじゃ、やられないのか!」
獣が怒りにまかせて体当たりを繰り出す。俺はすかさず跳び下がり、再び構え直す。
(もう一撃、あの排熱孔を潰せば――)
ギラント・オルスが突進してくる。
正面から。
(……!)
ギリギリのタイミングでステップを踏み、獣の横腹に滑り込む。さっき突き刺した孔が、開いたまま熱を吹き出していた。
「もう一度、セラフレイム!」
剣が光を帯びる。
そのまま――渾身の一撃を、突き立てた。
爆音。閃光。
ギラント・オルスの動きが止まった。
しばらくの沈黙の後、巨体が、ゆっくりと地に崩れ落ちる。
静寂。残響。そして、湧き上がる湯気とともに、確かに聞こえる「終わり」の気配。
俺は大きく息を吐き、ゼルドのほうに振り返る。
はっきり言って余裕だった。
攻撃魔法も使うことなく、剣のスキルも使ったのは一部だけ。
「……終わりました」
小さな拍手の音がした。
「想像以上の実力だ。余裕がありすぎだね。まだまだ手の内をさらしてないだろう。君の実力はこんなもんじゃない」
ゼルドの声には、はっきりとした評価の色があったが、中身は辛辣だった。
「これでは、君の実力が全然見えないし評価を書くことができないよ。もう少し実力を示してくれないかな」
ゼルドは肩をすくめるように言った。
「この先で、もう少し君の戦いを見せてくれ」
俺は苦笑しながら頷いた。
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