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瘴気の濁流がうねりを上げ、黒き影が地中から這い出した。
――瘴縛兵団。
それは人の形を保ちつつも、肉体は腐敗し、瞳は空ろ。かつて栄えた王国の騎士、兵士、魔導士たちの骸が、呪いによって再び戦場に現れたのだ。しかもその数は、十や二十ではない。数百とも思える黒き群れが、祭壇を囲む仲間たちへとじわじわと迫ってくる。
「来るぞ……!」
卓郎が叫ぶと同時に、仁が剣を抜いた。
神剣レイガルドが蒼白く輝き、刹那、仁の足元に結界陣が展開された。
「《魔封結界》」
彼の静かな声とともに、祭壇を中心に広がる聖なる領域。瘴気を遮断し、瘴縛兵の動きを一瞬鈍らせる。結界の効果は短いが、その間に主導権を握るには十分だった。
「後衛、撃てッ!」
純子の号令とともに、有紗、沙耶が矢を放つ。鋭い三連の矢が、瘴縛兵の額、喉、心臓を貫いた――だが、崩れた骸はまた立ち上がる。
「無効じゃないけど、足りてない……!」
沙耶が歯を食いしばる。が、すぐにセリアが次の浄化の矢に呪印を重ねた。
「今度は『浄化』を上乗せ二乗よ――!」
光る矢が放たれ、瘴縛兵の胸を撃ち抜いた。骨が砕け、瘴気が光に飲まれて霧散する。ようやく一体が完全に沈黙した。
「弱点は光・神聖だよ!」
後方のリディアが魔導書を掲げ、解析魔眼で魔力の流れを読み取っていた。
「各個撃破は非効率。術式、展開――《雷鎖の陣》!」
雷の鎖が地面を這い、瘴縛兵たちの足元を絡め取る。動きを封じられた骸たちに向かって、バルドが突進した。
「吠えろよ、《烈風の断》ッ!!」
豪腕の斧が横薙ぎに振るわれ、数体をまとめて吹き飛ばす。その衝撃で骨と装甲が砕け、地に散った。
明がそれに続くように前へ飛び出す。
「燃えろ……《フレイムバスター》!!」
炎の刃が渦巻き、バルドの斧で浮いた骸たちを炎の奔流が飲み込んだ。瘴気が灼かれ、断末魔さえも焼け落ちる。
「回復、急ぎます!」
セリアが手を掲げ、バルドと明の傷を癒す。由里もまた、仁の支援のために光の球を展開していた。
瘴気が渦巻く中、卓郎は一歩、祭壇の中心に進み出た。
「――来させるもんか。《セイントシールド》!」
光の円陣が純子を包み、彼女の身体が温かな光の盾に覆われる。その直後、瘴縛兵の放った暗黒の魔矢が直撃――だが、盾がそれを弾き、かすり傷すら負わせなかった。
「助かった……! 卓郎、そっちは任せたよ!」
矢を番えながら叫ぶ純子に、卓郎は微笑んで応える。
「『ピュリファイ』!」
淡い金色のドームが祭壇を中心に広がり、瘴縛兵の突撃を受け止める。忌まわしい瘴気が境界線に触れた瞬間、ジュゥッと音を立てて霧散した。
「――光よ、癒しと裁きを!」
卓郎が天に手を掲げると、空が割れた。
「『ホーリーレイン』!」
光の雨が戦場に降り注ぎ、仲間たちの傷を癒すと同時に、瘴縛兵たちを灼き払う。霊的な痛みに耐えかねてか、骸たちは呻きながら地に崩れ落ちる。
「明、左からくるぞ!」
「おう、任せとけ!」
卓郎の声に応じて、炎を纏った明が右腕を振り下ろす。燃え上がる斬撃と、卓郎の魔法が重なるように放たれる。
「『シャインウェイブ』!」
地面を這う光の奔流が、瘴縛兵の列を一掃した。骨の破片が空を舞い、瘴気は霧となって消えていく。
「さすがだな、坊や!」とバルドが豪快に笑い、重斧を肩に担ぐ。
だが――。
「……来るぞ」
仁が呟いたとき、空気が一変した。
祭壇の奥――ヴェルト=アナマスが、瘴気を凝縮し始めたのだ。
「滅びの言葉を……我に、力を……」
無数の死語が空に浮かび、禍々しい紋様が彼の背後に現れる。触れただけで精神を焼くような呪詛。空間そのものがねじれる。
「止める、今だ――!」
卓郎は一歩、踏み出した。
「《ピュリファイ》!」
淡い金色のドームが祭壇を中心に広がり、呪文陣が一部破砕する。ヴェルト=アナマスが苦悶の声を漏らした。
その隙に、仁が駆けた。
「卓郎、いけ!」
「……終わらせる!」
卓郎の周囲に、五つの光輪が浮かぶ。それは彼が使う、最も強力な魔法の兆し。
「『ジャッジメント』『ジャッジメント』『ジャッジメント』『ジャッジメント』『ジャッジメント』!!」
天空から巨大な大剣型の閃光が落ちる。第一撃がヴェルトの肩を貫き、第二撃が瘴気の核を穿つ。第三、第四――光の裁きが立て続けに叩き込まれ、そのたびにヴェルトの身体が崩れていく。
「我は……王……呪いの……支配者……!」
「それがどうした!」
止めの連撃。
「『ジャッジメント』『ジャッジメント』『ジャッジメント』『ジャッジメント』『ジャッジメント』『ジャッジメント』!!」
天空の雲が割れ、純白の巨大な光の剣が降り注ぐようにして直撃しつづける。
閃光が爆ぜ、闇が霧散する。
そこに、もうヴェルト=アナマスの姿はなかった。
祭壇を包んでいた瘴気もまた、静かに、完全に消え去っていた。
沈黙が戻る。やがて、それを破ったのは沙耶の声だった。
「……やった、の?」
卓郎は息を整えながら、仲間たちを見渡す。
「うん。勝ったよ」
仲間たちの表情に、安堵と誇りが交錯する。
勇者・仁がそっと卓郎の肩に手を置いた。
「見事だった。君の力がなければ、奴を倒せなかっただろう」
「……ありがとう。でも、僕だけじゃなかった。みんながいてくれたから」
そう言って笑う卓郎に、光が降り注いだ。




