悪女の中に入ってしまった私が、憧れの騎士様から重い愛を語られた話について
気が付くと、見知らぬ天井が視界に入った。どうやらベッドに寝かせられているらしい。
(先程までホールにいたはず……?)
綺羅びやかなドレスが目の前でくるくると回るのを眺めながら、壁の花に徹底していた私は、どうしてしまったのか。
今は社交シーズンで、私、マリー・エルガードは王都のタウンハウスにやって来ていた。
お姉様と違って、私は社交シーズンが好きではない。
お姉様はエルガード伯爵家の自慢の娘。この国の王太子の婚約者。
そのお姉様、アリーは中央で婚約者の彼と華やかにダンスをしていた。私は用意された軽食をつまみながら、自慢の姉を眺めていた。
王太子の婚約者である姉への羨望ならまだしも、嫉妬は妹である私の所までやって来た。
ただでさえ、いいところの家の結婚相手を見つけようとギラギラしたこの社交界の場が好きではなかったので、私はすっかり領地や屋敷に閉じこもるようになった。
王家主催のお茶会やパーティーは断れず、こうして渋々やって来て、料理を楽しみつつ、壁の花になっていた。
(なんでベッドに?)
「目を覚ましたか」
ぐるぐるとこうなった経緯を考えていると、部屋の奥から男の人の声がした。
「アシュイン……様?!」
黒い髪に、黒い瞳。逞しい体躯の彼は、マグノワ殿下の近衛でもある、アシュイン・ローネスク侯爵令息様。
姉の婚約者であるマグノワ殿下とはお会いする機会が多いため、必然と彼とも顔見知りだ。
いつも無表情で何を考えているかわからないけど、真面目で周りを気遣える方だ。
顔が良いため、ご令嬢がいつも色めき立っているが、マグノワ殿下付きのため近寄れない存在でもある。
マグノワ殿下の婚約者である姉は、彼の護衛対象でもあるため、それが更にご令嬢たちのやっかみの対象になっていた。
「あの、アシュイン様……、私、どうしてしまったんでしょうか?」
壁の花に徹底しながらも、姉と殿下のダンスを眺めていたことまでは覚えている。アシュイン様にどうして私がベッドに寝ていたのか尋ねようとすると、彼は眉間にシワを寄せた。
「お前に名前呼びを許可した覚えは無い!」
「えっ……!」
いつも無表情なお顔が、怒りで震えていた。
(おかしいわね、名前で呼んで良いとアシュイン様がおっしゃったのだけど……今更?)
今までもお名前で呼んでいたので、不思議に思い首を傾げる。
「今更、殊勝なフリはやめろ、この悪女!」
「悪女?!」
アシュイン様からとんでもない単語が飛んできて、私は飛び上がった。
(悪女? 私が?! この影の薄い私が?!)
「お前がマグノワ殿下をずっと慕い、アリー様を妬んでいたことは知っていたが、まさか入れ替わろうとするとは!」
「えっ?!」
さっきから話が見えない。
(私が? 殿下を慕っていて? お姉様と入れ替わろうと?!)
いやいや、いくら姉妹とはいえ、似ていないのにどうやって?とへらりと心の中で笑うと、アシュイン様にベッドに縫い留められてしまった。
「何がおかしい!!」
ベッドに倒された私の顔の横には、彼が抜いた剣がスプリングに突き刺さっている。
これはさすがに笑えない、と冷や汗が私の首筋まで垂れた。
「お前の計画は失敗した! だが、マリーが倒れて目を覚まさない! お前、一体何をした?!」
「え……誰?」
自分の名前を呼ばれた気がして、もう一度聞く。
しかしそのことが、更に彼の怒りの琴線に触れてしまったようで。
「ふざけるな! お前がやったことはわかっているんだ!」
怖い表情で迫るも、紳士なアシュイン様は絶対に手を出してこない。そんなアシュイン様に好意を持ってしまう。
「アシュイン様、落ち着いてください……」
「これが落ち着いていられるか! マリーが……」
両手を前に出して、アシュイン様を落ち着かせようとするも、逆に怒らせてしまう。
それでも笑顔を作り、アシュイン様を見れば、彼の顔が引きつっていった。
「お前……やけに落ち着いていると思ったら……そうか、アリー様ではなく、マリーが狙いだったか……」
納得するように独りごちるアシュイン様。
「エマリー・スランド伯爵令嬢、お前にはマリーが目覚める方法を吐いてもらう。覚悟するんだな?」
アシュイン様が鋭い眼差しで私にそう言った。
(エマリー・スランド伯爵令嬢? あの悪女で有名な?)
そう言えば、着てきたはずのなるべく目立たない色のドレスがいつの間にか真っ赤な派手なドレスになっている。
ぺたんこの胸が豊満になっている。
お姉様とお揃いのピンクブロンドの髪は燃えるような赤い髪に……
私はガバっと起き上がり、近くにあった鏡に走った。
「エマリー……スランド……?」
きつくつり上がった緑色の瞳、赤くウエーブした長い髪。お姉様とは違ったタイプの、色気のある美人。
その容姿から、男を取っ替え引っ掛え弄んでいるとか。「社交場は男の狩場」と豪語する悪女。
本命はマグノワ殿下だったようで、同じ伯爵家から選ばれたお姉様を目の敵にしていた。
「ええええええ?!」
何故か鏡に映るのは、冴えない私じゃなくて、派手な悪女。
(何がどうして、こうなったの?!)
「化粧を直しても無駄だ。お前はこれから牢屋行きだ」
鏡の前で慌てふためく私に、アシュイン様が背後から近寄る。
鏡越しに目が合う彼は、剣に手をかけ、また抜きそうな勢いだ。
「あの、先程、入れ替わりとおっしゃっていましたが……?」
おずおずとアシュイン様に聞いてみる。
「はっ! とぼけるな! お前が裏ルートから闇魔術の薬を手に入れたことは押さえてある。実際にアリー様に使おうとした所を取り押さえたしな」
アシュイン様の説明に思わず息を飲む。
「じゃあ、お姉……アリー様はご無事なんですね?」
「そうだ、残念だったな!」
アシュイン様の言葉にホッとする。
(ええと、要約すると、エマリー様が姉と入れ替わろうと闇魔術の薬を使おうとしたけど、失敗した……と)
頭の中で整理して、ふと結論に至る。
(あれ?! これ、私が入れ替わってない?! 何で?! 薬は使われてないんだよね?)
鏡に映る目の前の自分は、エマリー様。
「薬を使おうとした所を抑えた途端、お前は倒れた! しかし、同時にマリーも倒れてしまったんだ! お前が何かしたんだろう?!」
私の身体は目覚めていないらしい。
(あれ、だとすると、エマリー様の意識は私の方に?)
アシュイン様が後ろで叫んでいるのを気付かずに考え事をしていると、今度は鏡に縫い留められてしまう。
「俺の! 愛しい人がこのまま目を覚まさなかったら、お前を許さない!!」
漆黒の瞳がギロリと私を縫い留める。
(あれ?)
アシュイン様の言葉を反芻し、つい口に出してしまう。
「愛しい、人?」
「マリーは俺の愛しい人だ! 殿下の結婚式が済めば婚約を申し入れる予定だった!」
「えええええ?!」
思わぬ暴露に私は素っ頓狂な声を上げた。
「お前は、俺にも色目を使ってきていたな。そうか、俺がマリーを愛していると知って、彼女に矛先を……」
ギリリと奥歯を噛みしめる音がこちらまで届く。
(いやいや、何も頭に入ってこないんですけど?!)
エマリー様と入れ替わってしまったこと。
突然のアシュイン様の告白。
(どうしたらいいの、これ?)
「お前にはたっぷりと自白してもらうからな」
混乱する私の腕を掴み、鏡から開放すると、アシュイン様は私を縄で縛りあげた。
「今夜は牢屋で反省するんだな」
冷ややかな瞳で私を見下ろすアシュイン様。
私は他の騎士に連れられて、牢屋に投げ入れられた。
「はあ……やっぱりパーティーなんて来るんじゃなかった」
鉄格子に手を付き、大きく溜息を吐いた私は、その夜を牢屋で過ごした。
次の日、両手を前で縛られ、騎士団の取調べ室へと連れられて来た。
先に部屋にいたアシュイン様は、ソファーに座り、膝の上で地味な女の子を抱えていた。
(あれ?! 私じゃない?!)
俯瞰的に見る自分の姿に不思議な気持ちになる。でもやっぱり鏡で見ようが、エマリー様の目で見ようが、地味である。
「彼女はまだ目を覚ましていないのですか?」
そう声をかけた所でアシュイン様に睨まれてしまった。
「お前には、アリー様と入れ替わろうとした罪も洗いざらい吐いてもらうが、彼女の目を覚ます方法が先だ」
「はあ……」
立ったまま騎士に挟まれた私は取り敢えず返事をした。
「ああ、アリー、早くその綺麗な瞳に俺を映してくれ」
私の身体を抱えるアシュイン様は、私の頬を撫でると、優しく語りかけた。
無表情なのに、どこか優しいその表情に、胸が跳ねる。
「あの、どうしてそんな地味な女なんか好きなんですか?」
アシュイン様とは何度も顔を合わせているが、好かれる要素がまったくわからない。素朴な疑問を投げかけたつもりだったが。
「悪女が彼女を愚弄するな! 彼女はお前と違って、綺麗な存在なんだ!」
アシュイン様の叫びに身体はびくりとしつつも、頭にハテナマークが浮かぶ。
「きれ、い?」
呟いた私の声が届いたのか届いていないのか。アシュイン様は早口でまくし立てる。
「マリーは、こんな無愛想な俺にいつも可愛い笑顔を向けてくれるんだ。しかもこんな俺のことを『周りを気遣ってくれる優しい人』だと言ってくれた。顔でもない、俺の本質を見ようとしてくれた彼女こそが俺の天使だ」
愛おしそうに私の顔を見つめるアシュイン様。
(これは一体、何を聞かされているのかしら……?)
自分への愛の告白をつらつらと聞かされ、顔が熱くなる。両脇の騎士たちも顔を赤くさせ、ソワソワとしていた。
(無表情なアシュイン様がこんな風に想ってくださっていたなんて!)
驚く私に、なおもアシュイン様は止まらない。
「マリーはいつも控えめで、清楚で、優しくて……」
「わ、わかりました!! わかりましたから!!」
面と向かって甘い言葉を吐くアシュイン様に耐えきれなくなった私は、彼を止める。
「はっ! アリー様と殿下の間にも、俺とマリーの間にも割り込めないことはわかったようだな?」
不敵な笑みを浮かべるアシュイン様。
(そもそも、私はまだ婚約を承諾してなくないですか?! いや、アシュイン様なら私は……って、何考えてるの?!)
すっかりエマリー様だということを忘れて顔を赤くする私に、アシュイン様が怪訝な顔を見せる。
「おい、早くマリーを目覚めさせる方法を吐け」
私の身体を丁寧にソファーに置くと、顔をしかめたアシュイン様に凄まれる。
(そそそ、そんなこと私も知りたいです!)
完全に私がマリーだと言いそびれている。
というか、あんな告白の後では言い出しづらいし、信じてはもらえない状況でもある。
「マリー!」
この取調べ室には続き部屋があり、奥から声がした。
「おねえ、さま?」
マグノワ殿下に支えられ、お姉様が続き部屋の奥から出て来た。
「ああ、マリー! 可哀想に!」
エマリー様姿の私に飛び付くお姉様。エマリー様の方が背が高いため、不思議な感覚だ。
「あれ、お姉様、どうして私だとわかったんですか?」
見下ろしたお姉様に首を傾げると、手を伸ばし、頭を撫でてくれた。
「続き部屋の奥で殿下と取調べを見させてもらっていたの。びっくりしたわ! 話し方や仕草がマリーなんですもの。薬のこともあったし、もしかしたら、って」
優しく微笑むお姉様に、私は思わず顔をくしゃりとさせた。
「おねえさま〜!」
半泣きな私をよしよし、と撫でてくれるお姉様。
(わかってくれる人がいて良かった!)
「マリー……だと?」
お姉様に再び抱き締められ安堵していると、私たちを見守っていたアシュイン様が震えていた。
(あ……!)
先程の愛の告白を思い出し、顔が赤くなる。アシュイン様もそれに気付いたのか、お顔が赤い。と同時に青くなる。
「俺……は、君に酷いことを……!」
頭を下げるアシュイン様に、私も慌てて言った。
「ア、アシュイン様が私を大切に想ってくださってのことなので……その、ありがとうございます?」
恥ずかしく、しどろもどろになりながらも言うと、アシュイン様の瞳が優しく緩められる。
今はエマリー様の身体のはずなのに、心臓がドキドキと煩い。
「じゃあ、マリー嬢を元の身体へと戻そうか」
「「えっ?!」」
見つめ合っていた私達は、マグノワ殿下の言葉にぐりんと顔をやる。
「殿下は、戻れる方法をご存知なんですか?!」
私の言葉に殿下はにっこりと笑う。
「うーん、エマリー嬢の顔に話すのは不思議な気分だねえ。ああ、もちろん最初はわからなかったよ? 王族の伝手ですぐに調べさせたんだ。わかってここに来たら取調べが始まっていたからアリーと聞いていれば、彼女がエマリー嬢の中は妹だと言うじゃない?」
「待ってください、殿下、じゃあなぜすぐに出て来なかったのです?!」
殿下の説明にアシュイン様が珍しく焦った顔をしていた。
「え、だってアシュインがマリー嬢を好きなことは私たちにはわかっていたからねえ。ついでだから告白させてあげようと。どうせアシュインは私たちの結婚式が終わるまで〜って考えていると思ったから」
ふふ、と笑って答えるマグノワ殿下。アシュイン様のことはお見通しだったようで。
「だからといって、こんな形で俺は……」
戸惑うアシュイン様にお姉様がソファーに寝かせられている私の身体に手をやって言った。
「早くしないと妹も目覚めなくなりますわ」
「も?」
「エマリー様は私と入れ替わりが失敗した時のために、呪いにまで手を出していたみたいなの。その呪いのせいであなたは眠りについた。意識がエマリー様に乗り移ってしまっていたのはびっくりしたけどね。あなたが元に戻っても呪いの反動でエマリー様は目覚めないでしょうね」
「そうなの……」
お姉様の説明にモヤモヤとした。
禁忌に手を出したエマリー様にはそれ相応の罰があるのはわかるが、罪を償う機会もなく、眠りについたままなんて。
「それで?! どうやってマリーを戻す?」
アシュイン様が私の身体に走り寄り、お姉様に尋ねた。
「キスだよ」
「「は?」」
マグノワ殿下の言葉にエマリー様の身体の私とアシュイン様の声がハモる。
「だから、マリー嬢のことを想う、アシュインのキス」
「ななな?!」
マグノワ殿下がしれっと言うので、アシュイン様の顔が赤くなる。
「本当にそんな方法なんですか?!」
思わず私も殿下に意見する。
「古今東西、愛する人のキスは目覚めを呼ぶものだよ、マリー嬢?」
唇に手を当て、片目をつぶったマグノワ殿下は本気なのか、茶化しているのか。いや、こんなことで茶化したりしないだろうけど。
「マリーの意識が離れて時間が経ちすぎているから早くした方が良いわ」
殿下とは対照的に深刻な顔のお姉様に、私たちは覚悟を決める。
「マリー、いいだろうか?」
伺うようなアシュイン様に、私は返事をする。
「はい…、お願いいたします」
視線を交わしたアシュイン様は、私の身体に向き直ると、ソファーに手を埋めた。そしてーー
(うう、自分のキスシーン見るなんて!! あれ?)
恥ずかしさで顔を覆っていた私の意識はぐにゃりと曲がる。
「マリー、愛している」
一瞬飛んだ意識を覚醒させると、目の前にはアシュイン様のお顔。
「?!?!」
どうやら自分の身体に戻ったらしい。
地味な色のドレスに、ぺったんこな胸。
お姉様とお揃いのピンクブロンドの髪。
「マリー! 良かった!」
ソファーの上で上半身を起こされ、私はアシュイン様に抱き締められた。
「心配、おかけしました?」
本当にキスで目覚めるなんて。まだぼんやりとする頭で話す。
「ああ、マリー、本当にマリーだ。あのときは気付けなくてすまなかった」
「あ、あ、あのアシュイン様? もうわかりましたから」
至近距離で悲しい顔で謝るアシュイン様から離れようとするも、強い力で抱き締められ、逃れられない。
お姉様とマグノワ殿下はいつの間にか部屋にはいなかった。エマリー様の身体も。
「一生かけて償うから、俺と結婚して欲しい、マリー」
熱い眼差しで見つめられて動けない。
アシュイン様がこんなに重い愛を持った方なんて。いつも無表情なので驚きっぱなしだ。
「マリー? 返事はくれないのか?」
「ええと……」
私ももちろん、アシュイン様のことは好きだ。憧れに近かった気がするので、いきなり結婚という単語に頭がついていかない。
言い淀んでいると、無表情を崩したアシュイン様が甘く微笑んだ。
「俺の気持ちをこんなにも揺さぶる君は、俺にとっては悪女かもしれないな……」
「ええ、何ですかそれ」
ふ、と笑い返した私に、アシュイン様のキスが降り注ぐ。
今度は私のままで。マリーとしての意識があるままでのキス。
「マリーとキスがしたかった」
「私もです」
アシュイン様との婚約が結ばれたのは、すぐ次の日のことだった。