七
美守と白石さんが家にやって来るのがクーラーを点けた二階の僕の部屋の窓から見えた。本当は五分前からソワソワしながら見ていた。美守の家の方から歩いて来て、やがて下でピンポーンという音がして美守の声が聞こえて来た。
「お邪魔しまーす」
僕も階段を降りるとお母さんが麦茶を用意して出迎えた。
「いらっしゃい!」
「お、お邪魔します」
「おっす翔」
「おっす」
「はいこれ持って翔」
僕はお母さんから麦茶やコップが載ったトレイを受け取った。
「ちゃんと勉強すんのよ」
お母さんがニヤニヤしながら言った。
「そりゃそうだよ」
美守と白石さんは当たり前だけど私服で来た。美守は黒いTシャツとジーンズのハーフパンツ、白石さんは白いワンピースだった。
「どうぞ」
僕は階段を上がって部屋に入ると、部屋の真ん中にある四角い机の上にトレイを置いて二人を通した。
「わー……」
後から入って来た白石さんは僕の部屋を見回している。と言っても僕は別にポスターとか貼らない主義だし壁にはカレンダーくらいしか貼ってない。
「思ってるより男の子の部屋じゃないんだね」
美守がしきりにまばたきしながら白石さんみたいに優しい口調で言った。
「そ、そんなんじゃないよ」
白石さんは慌てて否定した。
「まあ見て面白い物は無いかも。ゲームはあるけど」
「男の子の部屋って初めてだから」
「そうなんだ」
「うん」
僕達はしばらく立ったままでいた。白石さんは親に何て言ってここに来たんだろう? そんな事を考えていると、美守が僕の部屋に勝手に置いている自分のドーナツ型の座布団に座って言った。
「ほらほら君達、早く座って! 今日は勉強しに来たんだからね!」
「あっうん」
言われて白石さんも用意された座布団に座った。僕も座って左に美守、右に白石さんという形になった。こういうの何て言うんだったかな? 僕は麦茶のトレイを自分の左に置き直した。美守が社会の問題集を出して、僕達にも出すよう言った。
「昨日まで社会やってたでしょうからまず復習ね。ここちょっとやってみて」
言われて二人は問題集の問題を解いてみたが夏期講習と同じ範囲なのに案の定半分も解けなかった。
「社会はやっぱり暗記だからさ、覚えればすぐある程度点が取れる科目だから、まず最初に成績アップしてやる気を上げるにはいい科目なのよ」
「そうなんだ、でも全然覚えられないんだけど」
「私も……」
「そもそもどうやって覚えてる?」
「どうやってって……」
そもそもそんなに必死に社会を覚えようと思った事が無いので何とも言えない。
「気合い?」
「あ、語呂合わせとか」
美守は頷いた。
「そういう人多いけどさ、語呂自体忘れちゃう事もけっこうあるよね」
「まあ確かに」
「早紀さ、自分の部屋のどこに何があるか覚えてる? ベッドとか机とか」
「え? うん」
「そりゃ覚えてるだろ。なんで?」
「語呂とか使ってないのになんで家具の場所を覚えてるか分かる?」
「いや……」
「人間てあの場所にこれがあった、みたいな記憶に関してはすごい強いんだって。狩猟時代の名残りだーとか色々説はあるんだけど」
「へえ」
「それを使って暗記すれば覚えやすさは全然違うの。場所法って言うんだけど」
「場所法……」
「それと強烈な印象がある事は覚えてるでしょ? 三日間女の子とずっと二人で仲良くおしゃべりしてた事とか」
げ。まさか見てたのか? 僕は思わず驚いたけど、白石さんがクスクス笑ったので誰からの情報か分かった。
「それを組み合わせます。じゃあ試しに徳川将軍十五人を今から十分で覚えてみよっか」
「ええ!? 無理だよそんなの」
「大丈夫。じゃあまず自分の部屋の家具に番号を振ってみて」
「ベッドが一番とか?」
「そ」
僕はベッドを一番、椅子を二番、机に置いてあるゲームのモニターを三番、モニターに繋がっているケーブルを四番といった感じで番号を振った。
「で、そこに将軍を割り振って。例えばその椅子が二番だとひでえただの椅子だから秀忠とか、モニターが三番だからモニターが失神するくらい光ってるから家光」
「お母さんが買った椅子にケチを付けないでもらえます?」
「いいからほれ。頑張って」
「はい」
僕は言われた通りに覚えてみた。モニターのケーブルが四番で家綱だったから頭の中でケーブルをぶっとい綱に変えた。家康はさすがに覚えてるけど覚えてる所からスタートしたほうが思い出しやすいだろうと思って、ベッドに家康が縛られているシーンから覚えていった。十五人覚える頃には僕の部屋は頭の中でメチャクチャな光景になった。
「どう?」
「ほんとだ。覚えやすいかも」
「私も全部覚えちゃった」
「一週間に一回は思い出してね。さすがにずっと放置していると忘れちゃうから」
「うん」
美守はこの一連の話の間に夏休みの宿題を解いていた。
「あ、ずるい」
「ホッホッホッ」
「じゃあこれで今日は宿題の社会の部分をやりながら百個くらい大事な事覚えていきましょうか」
「ひゃ、ひゃく……」
白石さんは入れ歯が外れたおばあちゃんみたいな声を出した。美守はペンを振りながら言った。
「私、家がパン屋だからたまに手伝うんだけどさ。色んなパンが並んでるでしょ? ああいうのにも全て勉強の知識を関連付けてあるから。もうこの教科書の重要事項は全部覚えちゃった」
「げ、マジ?」
「うん。後は問題解きながら思い出してればおっけ。だから普段は数学や国語や英語に力を入れて勉強してるの。伸ばすのに時間がかかるから」
「はー……」
白石さんは長いため息をついた。
「うちのパン屋さんは武将と偉人でいっぱいです」
「すごいな美守」
「翔もできるよ。一緒にやろ」
「うん」
美守は僕達に覚えて欲しい所を羅列し始めた。
「口で言われても分かんない」
「ちょっと教科書貸して」
美守が立ち上がって僕の机に行き、社会の教科書を取り出して戻って来ると、勝手にシャーペンで丸を付け出した。僕は素早くページをめくってせっせと丸を付けていく美守を見ていた。美守は頭の左側をゴムでまとめている。まとまった部分が美守の動きに合わせてぴょこぴょこ動く。短いのに何の意味があるのかな? 美守はよく動いてよく笑う。明るい奴だ。お転婆な印象がある割には勉強ができる。勉強も普段からこうやって機敏にこなしてるんだな。しばらく美守を見ていたけど白石さんがこっちを見ていたのに気付いた。
「ん? 何?」
「え? ううん」
僕はプラスチックのピッチャーからコップに麦茶を入れて美守の前に置いた。
「ほい」
「ん」
「白石さんも飲む?」
「あ、うん。ありがとう」
白石さんにも麦茶を入れたコップを渡した。
「今日どうやって来たの? 自転車?」
「うん。美守ちゃんの所に置いてある」
「へえ」
「できた。早紀のも貸して」
「うん」
美守は僕の教科書を横にずらして麦茶をくぴっと飲み、白石さんの教科書を受け取ると再び同じ作業に戻った。
僕は机の左角にある自分の教科書をパラパラとめくってみた。丸が付いている。たまに丸じゃなくて猫みたいな印もあった。
「お、猫がいる」
美守は顔も上げずに言った。
「それ犬です」
「マジ……?」
「どれ?」
白石さんも覗き込んで来たので僕は教科書を持ち上げて白石さんに見せよると、覗き込んで来た白石さんが思ったより近くにいて、教科書が美守から僕達二人の顔を遮った。白石さんの息の吐く音が聞こえる。
「いぬ……?」
白石さんがすぐ近くで呟いた。その吐息が混じった声にドキッとした。教科書がくにゃっとなって向こうに傾き、教科書が机と平行になると美守の丸を付ける一生懸命な様子が見えた。
「美守ちゃんの弱点見つけた」
白石さんは可笑しくなってクスクス笑った。美守は顔を上げて不思議そうに言った。
「え? そんなにひどい?」
「これは猫だよ美守ちゃん」
「ええ〜……」
それから少し勉強して、三人でお喋りして、白石さんがトイレに行きたいって言うから僕は出て左にあると教えた。白石さんが出て行くと美守は僕を見つめた。
「どうしたの美守?」
「楽しそうだね翔」
「ん? うん」
「あ、お菓子食べよ。何か取って」
「うん。ポッキーでいい?」
僕が用意してあったお菓子の中からポッキーを取ろうとしてビニール袋に手を入れた時、袋のガサガサ音に重なって美守が何か言った。
「……っちがいい?」
「え?」
聞き直そうとして動きを止めた時に僕のスマホがピロンと鳴った。
「誰だろ?」
美守にポッキーを渡しながらスマホを見ると健だった。
「あ、健が今から遊びに来るって……ん?」
美守を見たら顔が真っ赤だった。
「どうしたの?」
「え!? な、何が!?」
急に美守が高い声を出した。
「あ、け、健が来るのね。了解了解」
そう言って美守はポッキーを前歯でカッカッカッと素早く食べ出した。何で照れてるんだ?戻って来た白石さんが美守を見て笑った。
「美守ちゃんリスみたい!」
「全部食うなよ」
「やだ。私、全部、食う」
「おいおいマジかよ」
しばらくリスみたいになった美守とそれを見て笑う白石さんを交互に見ていた。




