三
僕と美守は並んで座ってタブレットで動画サイトを開き、百メートル走の動画を見てみた。肌の白い人も黒い人も皆一生懸命走って、皆速くて皆かっこよかった。
「すごいなあ」
「ちょっと貸して」
美守は真剣な顔で動画を巻き戻して何度も見ている。お母さんはせんべいをかじってドラマを見ている。美守はやがて何かに気付いたようだった。
「ねえ翔。思ったんだけど翔はかかとを着けて走ってるじゃない?」
「え? うん」
「かかとを着けて走るのが良くないんじゃないかしら? これ見て」
そう言って美守は動画をスローにして見せてくれた。確かに選手はかかとを付けていないように見える。
「そうかも」
「それに足のなんていうのかしら。運びっていうか……足が地面に着く場所が翔と違うわよね」
「うん。まるで上半身が飛んでるみたいに見える」
「それよ!」
「え?」
「きっとつま先で走ってるんだわ。それに翔は自分より前にかかとを着けてたけど、選手は自分の体の下に足を着地させてる」
「そっか。つま先で蹴って前に跳び続けてるんだ」
「きっとそうよ。幅跳びとかでやる足の蹴りを連続でやると速く走れるんじゃないかしら?」
二人で外に出て、庭で軽く走ってみた。かかとを着けない。つま先で蹴る。前じゃなくて体の下で着地……できた。自分の体重が足にかかる頃には僕のつま先が再び地面を蹴って、それを繰り返すと僕の体がどんどん前に飛んで行くような感覚を味わった。
「うわ!」
自分で思ってたよりも足が速く回転して、僕はバランスを崩しそうになった。腕を振って、どうにか転ばずにいられた。美守は嬉しそうに飛び跳ねた。
「凄い! 翔、今すごい速かったよ!」
「ほんと?」
「うん。これで少し練習してみましょう? きっと今までより速く走れるはずだわ」
僕が速く走れる? ドキドキしてきた。
僕は少し庭で新しいフォームを練習した。美守は野球のコーチみたいにうんうん頷いて僕を見守っていた。
「よ、よーし……いてて」
「大丈夫?」
「調子に乗ったらもう足が痛くなっちゃった」
慣れない動きをしたからか、僕の足は少し走っただけでもうプルプル言い出していた。
「また明日にしよう」
「うん。でも凄いわ。これで五十メートル走ったらきっと凄い事になるわよ」
「なんだか楽しみになって来たよ」
「ランドセル取って来る」
「うん」
僕は庭に座って、美守がお母さんに挨拶して家からランドセルを背負って玄関から出て来るのを待った。
「バイバイ」
「バイバイ」
美守が歩道に出た時、僕は美守をもう一度呼んだ。
「美守」
「なに?」
「ありがとう」
「ふふん。楽しみにしてるからね」
そう言うと美守は自分の家まで新しいフォームで颯爽と帰った。
運動会まではあと一週間だ。僕は放課後、美守と健と一緒に校庭に出た。
試しに新しいフォームで五十メートル走ってみると、全力で最後まではとても走れない。足の回転が速くなり過ぎて転びそうになるので途中でスピードを緩め、腕を振ってバランスを取りながら走ったが、それでも健は僕が昨日より三秒以上速くなった事に凄く驚いた。
「どうなってんだ翔! めっちゃ速くなったじゃん! 昨日言ってたリフォームか?」
「建て直してどうすんだよ。フォームだよフォーム」
「冗談だよ!」
「美守が直す所を見つけてくれたんだ」
「へえー。凄いな美守。俺のフォームも直してくれよ」
美守は神妙な顔で健を見ていた。
「え? 何? 俺は直してくんないの?」
「違うの。健と翔のフォームが同じだから驚いたの」
「え? マジ?」
「うん。スタートからゴールまで全部見たら同じようなフォームだった」
僕は感心した。健は生まれつきこのフォームで走ってたんだ。
「凄いや健は。初めからこれができるなんて。それに僕より全然速いし。僕なんかちょっと走っただけで足が痛くなっちゃう。健はやっぱり天才だよ」
「へへっ。そんなに褒められてもな」
「あとはバトンを受け取る練習をするだけね」
「ああ。俺が翔に渡す役だからちょっとやってみっか」
そう言って健はバトンをポンと上に投げて回してからキャッチして、口笛を吹いて向こうに歩いて行った。
「健は凄いね」
「翔だって凄いわ」
「え?」
「凄い所を凄いと素直に言えるのだってなかなかできないじゃない?」
「そうかなあ?」
「おーい! 行くぞー!」
十メートル先から健がバトンを振って叫んだ。
僕は今までよりは速く走れるようになったが、今度はバトンを受け取るのがなんだか難しくなってしまった。足が痛くならないように、僕はゴールまでは行かず、走り出してバトンを受け取る所、加速する所を何度も練習した。
先生も途中で僕達が練習しているのに気付き、こまめに様子を見に来てくれた。
「頑張ってるな翔。お前は偉い」
「何ですか急に」
僕は恥ずかしくて頭を掻いた。あんまり先生に褒められた記憶は無かったし。
「頑張る時に頑張れる奴は偉い。お前を選んで正解だったな!」
「先生が選んだ訳じゃないでしょ」
「そうだった! はっはっはっ! まあ無理はするな。ちゃんと暗くなる前に帰れよ」
「はい」
先生が校舎に戻って行くと、健も美守も僕を見ていた。僕は二人に向かって頷いた。
「いよいよ明日ね」
前日の夕食の時にお母さんが僕に言った。
「うん」
「怪我しないでね。お母さんそっちの方が心配だから」
「ん? 何のことだ?」
「明日運動会なんだ」
「うむ。そうらしいな」
「翔はリレーのアンカーなんですって」
「なっなに!? そうなのか!?」
お父さんは驚いた後、首を傾げた。
「あれ? 翔ってそんなに足速かったか?」
「いや四人目どうしようってなって、くじで決まっちゃったんだ。でも練習して来たから頑張りたいなって」
「そうか……。いいね。そういうのいいぞ翔。貴重な経験だ。楽しんで来い」
「うん」
「あ、これは翔を舐めている顔ね」
「え? い、いやそんな事は無いぞ」
「毎日練習してたんだから。ちゃんと応援しなさいよ」
「う、うむ」
「明日は二人とも応援に行くからね」
「うん」
なんだか緊張して来た。僕はご飯を食べ終わると、いつもするようにお風呂に入る前に足をマッサージした。今日しっかり寝ないと今までの練習が無駄になってしまう可能性がある。お風呂の中でも僕はモヤモヤした。寝られるのかな? 明日転んだらどうしよう? たった十秒の話だ。気楽に走ったらいい。でも抜かれたらどうしよう? お風呂を出た後テレビを見ている時もそんな事を考えていて、ドラマも上の空だった。
電話が鳴った。
「翔、ちょっと出てくれる? 翔!」
「え? ああ、うん」
僕は立ち上がって電話を取った。
「もしもし、浦山です」
「翔?」
電話の相手は美守だった。
「美守?」
「翔は何歳まで生きるつもり?」
「へ?」
突然の質問に僕はポカンとした。
「何歳?」
「えーと、百歳かなあ」
「これから翔が大人になっておじいちゃんになるまで、きっと何回も緊張する事があると思うわ」
僕は急に美守が言いたい事が分かった。
「うん」
「明日はその最初の一回だから。失敗したって気にする事は無いわ。これからも何度も起きるんだから。ただ一回速く走れるか挑戦するだけ。いい?」
「うん」
「頑張って」
「ありがとう美守」
僕は電話を切った。僕はキッチンに行って麦茶を飲んだ。挑戦か。そう言われると僕は急に明日が楽しみになった。
僕は布団に入ってRから始まる英語の単語は何があるか考えている内に眠りについた。




