……大丈夫です、私は貴方と共にいますから。
「貴様と交わした婚約を破棄する!!」
ディオルの高々と言い放った言葉が、会場にどよめきをもたらした。
あの普段は無表情で生意気な侯爵でさえ、目を見開いて、眉根を上げているのが実に気分がいい。
いつも俺を舐めているからこんな事になるのだ。思い知ったか!
得意気に鼻を鳴らすと、隣にいる小柄な容姿に似つかわしくない、派手な薄紅色のドレスを纏った少女が腕に絡み付いてきた。
それにディオルは少しだけ目を向け、舌打ちをする。
(なんだコレは――うっとうしい)
だが、我慢だ。全ては婚約者の俺を差し置いて、成績優秀者の欄に名を連ねている高慢なあいつに、自分の立場を分からせるため。
さあ、跪け! 泣きながら這いつくばり、赦しを請え! そうすれば婚約の破棄を撤回してやらないでもないぞ。
「わかりましたわ。話はそれだけですか」
「は?」
「ではわたくしは挨拶回りがありますので、失礼致します」
くくっ……――何処かで堪えようとして失敗したような失笑と、クスクスと嗤う貴族たちの声が聞こえた。なんだ。なんでそんな目に見るんだ。悪いのはあいつだ。あいつが全て悪いんだ! やめろ、そんなふうに俺を見ないでくれ!!
「王族の方が婚約を打診してきたくせに、なんておこがましいんでしょう」
「やはりあの王太子は所詮庶子、跡継ぎが生まれるまでの繋ぎに過ぎないからな」
「本当に。一時でもあの方が、私達の王になるなんて。耐えられないわ。ねぇ、リーレルーナ様」
やめろやめろやめろ……!!! 俺は期待ハズレの傀儡王太子なんかじゃない! 誇り高きメルティ王国の次期王、ディオル・ド・メルティだ!
「ええ。無事、婚約を破棄して下さって良かったわ」
微かに此方を向いたあいつが、どうでも良さそうに目を細め、去っていった。周りの奴らはそれに伴い、姿を消していく。最後には隣にいたピンクの少女までもがいなくなっていた。
***
「――っ、は、っ」
ディオルは息を吸う方法すら忘れたかのように息を切らし、服の上から心臓を締め付けるように掴んだ。
胸焼けがするような気持ち悪さに襲われたかと思えば、いきなり見知った天井が現れ、混乱する。ちらりと視線だけで辺りを伺った。
どうやらここは、自分の寝台のようだ。昨日は公務で疲れて、着替えずに眠ってしまったらしい。
王族の服は正式な式典で着る服ほどではないが華美で、悪く言えば堅苦しい。体が軋むのに顔を顰め、着替えようと手を持ち上げ、そこで漸く自分の手が小刻みに震えていることに気がついた。先程の光景が瞼に蘇り、ディオルはああ、とようやく現実を直視するように唸り声を上げた。
「――……夢」
そう。あれは夢だ。あの悪夢より一回り小さい自分の手を見てそれを実感し、安堵する。だがそうと分かっても、僅かな震えは消えてくれない。
まるで、起きたらあの夢のようにディオルの周りから全て消え去っているのではないかと、危惧しているかのように。
カーテンの隙間からちらりと覗いた、アーチ状の窓の外はまだ暗く、しかし目が冴えて眠れもしない。体も疲労で満足に動かないこの状態で、あの夢の事を考えてしまうのは当然のことなのだろう。
脳内で先程見た光景が有りありと浮かんでいるのに苦笑して、もう一度ディオルは横になった。
あれは、夢だ。
(だが、正夢だ)
この国――メルティ王国の王族は、予知夢を見ることが出来る。昔魔女とかいうのと契約したとか、遺伝的な病のようなものだとか、はたまた他愛のない幻覚だとか、諸説あるが――たまに、怖い程的を射る夢を見るのだ。
それは大抵当たってほしくない内容で、だからこそ王族の裁量が問われる。
夢に見たからと友好国の隣国との戦争を危惧し、見事回避して見せた王も居るのだ。一笑は出来ない。しては、いけない。
現に、ディオルは庶子で器量良しでも何でもなく、剣も勉強もあいつには敵わない。もし劣等感を煽られ、乗せられれば、あの様な行動に出る確率だって、少なくないだろう。
『無事、婚約を破棄して下さって良かったわ』
より鮮明にあの夢を思い出すため、目を瞑るとあいつ――婚約者殿の顔が脳裏を過ぎった。
いつも無表情で感情が無いとさえ揶揄され、畏怖と敬意を込めて氷の女王と呼ばれている彼女。その蒼の瞳は美しく冷徹な色を映しており、まるで生命が宿っていないかのような錯覚を起こさせる。それと調和するように織りなす白銅色の髪は、かの守り神氷竜を連想させた。
落ち着いた色がよく似合う彼女はいつも大人びていて。
愛想が悪いこと以外は非の打ち所がない、完璧なお嬢様だ。その唯一の欠点すらも守り神を思わせ、崇め讃えられるのだから、やってられない。
夢の中でも本当に無表情でどうでも良さそうな顔をしていた。
俺はあの顔が苦手だ。どんなときでも無表情で、何を考えているか分からない、あの顔が――。
大抵の奴は俺を見ると、媚を売るか侮蔑を向けるか、鬱陶しそうに眉を寄せるかだった。
だが、あの婚約者殿だけは違う。あいつは、ただ淡々と俺の相手をする。俺が王太子の仮面を付けているときも、そうでないときも、同じように。
腹立たしい。心の中ではどうせ、他の貴族達と同じように俺を嘲笑っているに違いないのに。
だがだからこそ、俺は。傀儡の王太子と言われても庶子と嗤われても、完璧で穏和な王太子の面を被ることが出来ている。
内面がその面と真逆だなんて、誰も気づかない。
全ては彼女の無表情を崩すため。
あの婚約破棄をしたときでさえも崩れなかった『氷の女王』の無表情が崩れるのは、一体どんなときだろうか――。
***
朝早く目覚めたので、王宮の庭に出てみた。といっても最近は毎日こうして均等に長さを揃えられた芝生に腰を降ろし、木陰で涼みながら読書をしているのだが。
リーレルーナは息をつく。カーディガンがあるとはいえ、やはり薄手のワンピースは早すぎたらしい。まだ朝は少し肌寒く、白い肌がピリと痛みを訴えていた。
さて、と一息ついたところで書物を開く。
王太子妃に必要な知識は山ほどある。将来の王を支えるための手段は、少しでも多いほうがいいのだ。休んでいる暇はない。
一枚、二枚……ページを捲り、本の世界にのめり込んでいく。
忙しなく動かしていた目を、リーレルーナは、ある一点で止めた。
(そう……、だから王族の方々は予知夢を見るのね)
それは、古代の歴史。とうに忘れられた、祖先の苦渋の決断。
初代陛下は、今はもうお伽噺の中でしか登場しない、『魔王』と呼ばれる災厄の象徴を倒すため、魔女と契約した。
『メルティ王家一族は、これから降りかかる災難を予知出来るようにし、それによって魔女はその一族から未来永劫生気を吸い取ることができる』
それは、もはや魔法というよりは呪いだ。
生気を全て搾り取られた者は、体中が変形し、皮のようになり死ぬ。生気、即ち生命力を吸い取るということは、その人の寿命を縮めるのも同然の事だ。
故に『魔女に願い事を言う』ということは幼い頃に聞かされるお伽噺に必ず出てくる、この国で知らない者はいない、愚行なのである。
道理で王族は皆、短命なわけだ。
(では、ディオル殿下もそうなのね)
そういえば幼いころ、怖い夢を見たってよく泣きついてきていた。その時の様子は尋常じゃなく、数年経った今でも憶えているほどだ。きっと夢を見ている間に生気を取られた事に、体が恐怖を感じていたのだろう。
「昔はよく頭を撫でて上げていたけれど、今はどうなのかしら」
独り言のように、ポツリと疑問が漏れ出た。
我ながら単調な声が出て、少し笑う。そんなことを考えても、彼は自分を頼ってくるはずがない。無表情で愛嬌がなく、そのくせ自分よりも優秀な、目の上のたんこぶに。
(それでも私は……――)
空を仰ぎ、だいぶ上がってきた太陽に目を細める。まだ、ここからが本番。リーレルーナは小さく頭を振り、古書特有の匂いのする書物に目線を戻した。
***
「殿下、ご無沙汰しております」
「ああ、アレクか……」
『やはりあの王太子は所詮庶子、跡継ぎが生まれるまでの繋ぎに過ぎないからな』
久しぶりに会った友人に手を挙げて応えようとし――夢で聞いた“声”が頭の中で流れ手を止めた。
(あ、これヤバいな)
「殿下? ――殿下!?」
久しぶりに見た予知夢は、起床後何度も余韻を残した。
特に忌避感がでたのは――あの婚約破棄の会場にいた人物と会ったとき。
どうしても夢で見た嘲笑が重なって、上手く対応が出来なかった。まだ幼い子供の顔に恐怖を覚え、吐きそうになった。
友人が挨拶をしてくるのも構わず、一心不乱に駆け出す。
どこに向かっているのかは分からない。だがあの場所には、とてもじゃないが居られなかった。
いや心の奥底では分かっていたのかも知れない。
俺は無意識に昔あいつと過ごした庭園の大木の下へと向かっていたのだから。
王宮の廊下を曲がる。右、左、左、左。あの小さい丘を登ったところが、いつも予知夢を見た後にあいつと来る、定位置だった。
「……殿下?」
幻覚だろうか。無表情なのに、心なしか驚いたように見えた婚約者殿がいた。彼女は2冊の本を芝生に置き、1冊を膝の上に載せて優雅に腰を下ろしている。
思考が停止し、ただ、彼女の愛称を呼ぶ。
ふらふらと近づいた俺に戸惑い、後ろから抱き締められた彼女は、小さな悲鳴を上げたが、やがてぎこちなく俺の髪を撫で始めた。
「怖い夢を、見たのですね」
『怖い夢を、見たの?』
幼い彼女と、彼女の声が重なる。
昔頻繁に予知夢を見ていたときの記憶だ。
あの頃の俺は本当に弱くて。いつも泣き叫んであいつの懐に飛び込んでいた。
「……大丈夫、私は貴方と共にいますから」
『……大丈夫、私は貴方と共にいるわ』
そう聞こえるのは氷の女王ではない、懐かしい声。……ああ、そういえば昔は本当に仲が良かった。あの時は四六時中二人で遊んでいたというのに、いつから互いに避けるようになってしまっていたんだったか。
「本当に、か」
更に腕の力を強めた俺に、彼女は優しく微笑んだ。
「貴方は、私の婚約者様ですよ? この私から簡単に逃れられるとお思いで?」
それはやはり、昔の彼女と寸分違わない、『彼女』で。
「だが、お前は、あの日……」
だからこそ、心の奥底に仕舞っていた言葉が、ポロリと溢れた。思い返したのは未来のことだ。彼女が知るはずがない。なのに彼女はふっと笑って、俺の彼女を抱き締めている腕に手を添える。
「あの日――私が池に落とされ、貴方が助けてくれた日から、私は貴方を王にしようと決めたのです。だから、その為に必要な力を付けた。それだけの事ですわ」
なのに、とリーレルーナは囁くように言う。
俺のために力を付けた? 嘘だ。だってこいつは――
「貴方がいけないのです。この表情の仮面を、取り外さないのが、条件だったのに。……貴方がそんな顔をなさるから」
――いつからか、俺のことを見なくなっていたのに。
どうなってる、と冷静に考察する理性がいる。でもそれ以上にまだ見捨てられていないと歓喜する本能がいた。……予知夢のせいで精神が不安定になっているのだろう。
「おれ、は、お前に、嫌われたのかと……」
こんな完璧王子、いるはずがない。こいつが望んでいるのは、そんな奴じゃ――。そう思っても止まらなかった。まくしたてるように、子供が駄々を捏ねるように言葉を連ねてしまう。
「……」
「だから、必死で、あんな夢が正夢になったら、どうしようかって……!」
「……」
「俺はお前のこ、とを……――」
突然、強い眠気に襲われた。予知夢の反動だ。いつも想いを吐き出すだけ吐き出すと、耐えきれない眠気が湧いてくる。
「愛してい………」
目を小さく見開いたリーレルーナに、後ろから体重が掛けられる。微かな規則正しい呼吸音が聞こえ、肩に顎が乗せられた。
「……寝てしまったのね」
リーレルーナは苦笑して彼の頭をもう一度撫でた。見た目よりふわふわした金髪が少し乱れる。子犬みたいで可愛いものだ。
(ああ、もう、いいかしら)
ディオルの体勢がきつそうだったので、起きないようにゆっくりと芝生の上に寝転ばせる。彼の頭を自分の膝に乗せてもう一度撫でると、ディオルは心なしか端正な顔をあどけなく緩ませたように見えた。
ごめんなさいね、という言の葉がリーレルーナの柔唇から漏れ出た。
それは彼女たちから少し離れた庭園の隅――メイドたちが控えているところにも届いているだろう。
微笑ましげに目を細めているメイド、頬を赤らめて俯いているメイド、やれやれと肩を竦めているメイド……数いる者たちの中で、リーレルーナの視界の端にかろうじて入っているのは、眉間にこれでもかというほど皺を寄せた愚か者だ。
「やはり彼は私のもの。ヒロインだろうとなんだろうと、あげる気はないわ」
そう呟き、憂いているようで挑発の乗った実にらしい艶笑を浮かべた。
それは未だひんやりと冷たい春風に攫われ、悪役令嬢VSヒロインの狼煙の役割を果たすことだろう。
【ディオルはリーレルーナの悪役令嬢魂(物理)を目覚めさせた】←NEW
【ディオルは乙女ゲームフラグを木っ端微塵にへし折った】←NEW
その後
これから桃髪ヒロイン(元男爵令嬢。貧民街で拉致られているところを王子に保護され、メイドとして雇われた。その拍子に自分が乙ゲーヒロインだということを思い出し、私欲のままに王子を陥落させようとしている)とバチバチして、悪役令嬢がメリケンサック(悪役令嬢魂物理)で再起不能にする。
その後ドサクサ紛れて修道院に入れたら死にものぐるいで戻ってきたが、その拍子にまた頭を打ったかなんかで記憶をなくす。
現在はヒロイン魂で侍女長の座を勝ち取り、リーレルーナ親衛隊1023号になり、期待のルーキーとして注目されている。
実は色んな人に言い寄られているが、ヒロイン特有の耳の悪さ(リーレルーナの声はどんなに遠くても聞こえる)で全スルー。一生独身で幸せそうに生涯を終えた。
ちなみに王子はこのやり取りの一部始終をうわさ好きの貴婦人(東京タワー並みに話を盛る。もはや原型が見えない)に見られ、社交界で完璧王子の名を失墜。やけくそのように婚約者を溺愛し始める。今は二男一女の父となっているが、たまに親子げんかして決闘(物理)で負けて折れてる。夫婦仲睦まじく生涯を過ごし、短いながらも幸せな最期を迎えた。
その後王宮の庭の小高い丘は恋愛スポットとなった。そこで告白した者は生涯婚約者を溺愛し続けるという。きっとディオルは天国で耳を真っ赤にして顔を覆ってて、リーレルーナに肘でつんつんされてる。
悪役令嬢の娘は王女の嗜みとしてメリケンサックを伝授され、己が拳で無双。憧れの騎士を落として(物理のちに精神)幸せな結婚生活を送る。(勿論告白は王宮の庭の小高い丘である)
息子たちは権力争いそっちのけで剣(王子伝授)を極めていたら妹に怒られて反省させれ王太子となるべく勉強中。共同統治となる予定だが、この人たちがトップになったらだいぶ脳筋な国になりそうだと宰相が頭を抱えてる。結果的に他国の王子たちと拳で語り合って良いライバルとなり、平和な国になる。脳筋だけど。妹に未だ一度も勝てていないとぼやいているのを聞いて、下っ端文官が戦慄していた。
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