君を追ってのその先へ
私はこれから彼女の元へと向かいます。人によってはその行為を無意味だという人も居るでしょう。けれど私にとっては彼女がいる世界こそが私がいるべき世界なのです。
そしてこの世界に彼女はいない。故に私は彼女がいるであろう世界へ向かいます。悲しむ必要はありません。嘆く必要もありません。私はただ彼女に会いに行くだけなのですから。
そんな遺書を残して、私は自らの手による死を選択した。そして私は今、彼女がいるであろう世界――――死後の世界にいた。
目を覚ました私の視界に入るその世界には何も無かった。いや、頭上には雲一つない文字通り真っ青な空と燦々と輝く太陽がある。そして大地と呼べる地面は大理石と見紛う艶のある白く硬い地面が果てしなく続いている。そこに建物等は一切見当たらず、ただただ果てしなく白い地面が広がり、360度見渡しても地平線が見えるだけであった。
他に見えるものと言えば……人がいる。
地面に寝転がる者、ただただ呆然と立ったままに空を見上げている者、地面に体躯座りで俯く者等、果てしなく広がるその世界に点々と人がいた。
「お兄さん、新人さんかい?」
背後からそんな声がした。即座に振り向くと、そこには80歳は超えているであろう少し腰の曲がった高齢の男性が立っていた。真っ白い髪は地肌が薄らと見え、深く刻まれた皺だらけの顔は笑顔で溢れていた。
「……新人?」
「死んだばかりじゃないのって事」
「そういう事ですか……。そう言う事なら新人です。あのそれで……」
「ああ、分かってるよ。ここは何だって事だろ?」
「ええ、初めてみる景色なのでどう受け止めていいのか……」
「ここはさ、寿命が尽きる前に亡くなった人が来る場所なんだよ」
「寿命が尽きる前……」
「そう。お兄さんは事故とか事件とかで亡くなったの?」
「いえ……自殺です……」
「そうなの? そりゃ勿体ない事したねぇ。因みに私は事故だったんだよ。階段を踏み外して当たり所が悪かったらしくてね」
「そう……なんですか……」
「しかし何でまた自殺なんてしちゃったの?」
「彼女を追って……」
「後追い自殺って奴? そりゃまた凄い事を考えたんだねぇ。もし彼女が寿命で亡くなったならここには居ないよ?」
「いえ、彼女も自殺です。理由はよく分からないのですが……」
「そう。ならここに居る可能性はあると思うけどさ、こんな所で1人の人間を探すなんて大変だと思うよ? 警察もいないし、そもそも住所も無いしね」
「そのようですね……」
見渡す限り果てしなく何も無い世界。目印も何も無いこの世界。確かにここで1人の人間を探すのは無謀とも思えた。
「お兄さんはまだまだ若いみたいだから後何十年もここにいる事になる訳だしね。それもまた辛いよ? 食事も必要無いし睡眠も必要無い。太陽は沈むことなく昇ったまま。何もする必要が無いままに何十年とここで過ごすんだからさ。やれる事と言えばただただ空を眺めるか、後は誰か話相手を探すしかする事は無いと思うよ?」
「食べる必要も無い……か。それは当り前か」
「そう、何せ私らは魂だけの存在だからね」
「魂だけ?」
「ほら、触る事が出来ないだろ?」
そう言って男性は私の肩に手を置いた――――否、置こうとして私の体をすり抜けた。
「な、なるほど……。では魂としてここで永遠に生きていく……いや、存在するだけなんですか?」
「いや、本来の寿命を迎えたらようやくここから消える事が出来るんだよ。まあ、成仏ってのかな。その先の事は私も知らんけどね。ははは」
食べる必要も無ければ眠る必要も無い世界。生前は穏やかに過ごせるイメージがあった天国という物はそこになく、ただただ生前の姿をした魂がそこにあるだけであり、天寿を全うしたと言える者だけがこの無味無臭とも言える何も無いこの世界から消える事が出来ると言う。
私は幻滅すると同時に溜息を付き、何も無い空を見上げた――――いや、何も無い訳では無かった。空を見上げた私の視線のその先には黒い点が見えた。
「何ですかねあれ。あの黒い点みたいな」
「ん? ああ、あれは人だよ」
「人?」
「そう、ここでは人は空を飛べるんだよ。飛ぶと言っても走る程度の速さだけどね。まあ、魂の存在なわけだから何ら不思議でもないけどね」
言われてみればその通りでもあるが、やはり人が宙を飛んでいるというのはシュールな光景であり、私はその姿をじっと見つめていた。そして暫く見ていると徐々にそれが近づき、ようやくそれが人であることが分かった。
「……あれ?」
「ん? どうかしたの? お兄さんも飛びたいの? 何ならコツを教えるよ?」
徐々に近付くにつれその姿が顕になっていく。
「いや、そうじゃくて……あそこに飛んでるのって……」
「ん? 知っている人なの?」
空を飛んでいたのは1人の女性。ロリータファッションに身を包み、ツインテールに結ばれた漆黒の長い黒髪をなびかせ空を飛ぶその女性は、魔法の杖でも持っていれば魔法少女といった様相であった。
「彼女です。あそこに飛んでるは私の彼女です」
「見間違えじゃないの?」
彼女はロリータファッションが好きだった。ツインテールが定番でありその姿を生前何度も目にした。彼女を追って死を選択した私がそんな姿の彼女を見間違える訳がない。
『お願い……私の事、忘れないで……』
私は彼女の最後に立ち会った。彼女は涙ながらにそう言い残し息を引き取った。そんな彼女が私の頭上10メートル程の空を魔法少女さながらにゆっくりと飛んでいた。
「おーいっ! ゆかりっ! 俺だ! タケシだっ! おーいっ!」
彼女は飛びながらに私の方へと視線を向けた。そして直ぐに私である事に気付いたようで、その場に静止した。宙に浮いた状態の彼女は遠くからでも目を大きく見開く程に驚いた様子が見て取れた。数秒間その状態のまま固まっていたが、驚いた表情そのままに、スカートが捲れないよう注意しながらゆっくりと地面へと降り立った。
「タケシ……だよね?」
「ゆかり、会いたかったよ」
「いや……だって……どうしてタケシがここにいるの?」
「君を追って来たんだ」
「追って? それってまさか、後追い自殺したって事?」
「まあ、そう言う事になるかな。ははは。でも気にしないでくれ。これは俺が選んだ事だから。ははは」
彼女は目を瞑ると鼻で深く息を吸い、俯きながらにその全てを口から吐きだした。そして目を開けゆっくり顔を上げると、私の目をジッと見つめた。
「タケシ……」
「何だ?」
「今のあんたにこんな事を言うのは酷だけどさ……」
「何でも言ってくれよ」
「じゃあ、遠慮なく……」
「ああ、言ってくれ」
「死んでまで追ってくるなんて、ちょっとキモいんですけど……」
私は自分の耳を疑った。礼は言われずとも喜んでくれると勝手に思い込んでいた所に、全く想定していない逆の答えが返ってきた。冗談かと思ったが、彼女の顔には一切の笑みは見えない。
「いや、あの、ゆかり――――」
「ああ、もうしょうがない……。今だから言うけどね、私それ程あんたの事を好きだった訳でもないの」
「…………え?」
「実は私、他に男がいたの」
「それって……」
「その人が交通事故で亡くなったの。まあ、それで私もあんたと同じ後追い自殺しちゃったの。少しはあんたに悪いと思ったからさ、軽い気持ちで『私の事忘れないで』って言っただけなのに……。それを本気にしてまさか後追いされるなんて思ってもみなかったわ……」
他に男が居たとは露程にも思わなかった。そんな素振りも兆候も無かった。それとも何らかのサインは送られていたのだろうか。それに私が気付かなかっただけなのだろうか。
「だからさ、私の事は忘れてよ。私あんたの事何とも思ってないから」
笑顔で明るくそう話す彼女に何も言い返す言葉が見つからない。今思い返せば彼女の言葉を裏付けるような日々だったかもしれない。一緒に食事をしていても彼女はいつも上の空。食事中に会話していたと思ってはいたが、よくよく考えれば私が一方的に話すだけで、彼女はそれに対して面倒臭そうに相槌を打つだけだった気がする。そして常に携帯電話を気にしていた。それが他に男が居るというサインだったのかも知れない。
「それじゃ元気でね。まあ、元気でって言い方も変だけど」
「いや、ちょ、ゆ、ゆかり、何処にいくんだ?」
「は? 男の所よ。ここに来た翌日に偶然にも会う事が出来てね。ここに来てからその人とずっと一緒にいるの。ただその人、空を飛べる事が嬉しいらしくて飛び回っててね、目を離すとすぐにどっか飛んでっちゃうのよ。じゃあ、これでほんとにバイバイね。あんたもここで誰か良い人探しなよ」
彼女は最期にそう言って、私では無い男の元へと文字通り飛んで行った。私はそれを呆然と見送る事しか出来なかった。
死んでまで追ってきた世界に彼女はいた。だが彼女は私では無い他の男と一緒にこの死後の世界で楽しく暮らしていた。そして「そもそも好きではなかった」という言葉を残して去っていった。残された私はただただ何も無い場所で、寿命と呼ばれる期間を無意味に全うするだけの存在となった。沈まない太陽の下で、ただただ無駄に時を過ごすだけとなった。娯楽が一切無いここで、ただただ寿命を待つだけとなった。
「いやぁ……すごい人だったね。まあ、お兄さん、そう気を落とさないで」
男性はそう言って、呆然と空を見つめる私の肩をポンポンと叩く仕草をした。
「何かもう……後追い自殺なんてするんじゃなかった……」
「まあ、過ぎた事を言ってもしょうがないしね。あの女の人が言ったように誰か良い人探しなよ、ね?」
「まあ……そうですね……他にやる事もないですしね……」
そう言って男性の方へと顔を向けた。その私の目に入ったのは、薄らと透けて見える男性の姿。
「あの……何か透けてませんか?」
男性は自分の両の手のひらに目をやった。
「あれ? ほんとだ……。そうか、ようやく私の寿命が尽きる時が来たようだね。じゃあお兄さん、私ともこれでさよならだね。早く良い人見つかると良いね」
満面の笑顔でそう言いながら徐々に透けていき、男性はそのまま文字通り消え去った。そして私はその場に一人残された。
「はぁ、死ぬんじゃなかった。こんな事なら生きていればよかった……」
後悔先に立たず。それもどうしようもないレベルの後悔。死後の世界がこんな場所であったとしても彼女と居られればそれほど苦にも思わなかったが……。ひょっとしたら幽霊って奴はこの「死後の世界」の事を知らせる為に遣わされた存在なのだろうかと馬鹿な発想に思い至り、我ながらアホらしくて一人笑ってしまった。笑うと同時に体中の力が抜け、その場に崩れるようにして座り込むと、ただただひたすらに何も無い空を眺め続けた。
それから暫くして、「あの……」と、私の顔を覗き込むようにして1人の女性が現れた。その女性の顔には何となく見覚えがあったが判然としない。
「間違っていたらゴメンなさい。ひょっとして……タケシ君?」
女性は私の名を口にした。思い出せないがやはり会った事がある女性。何処で会ったのだろうかと必死に記憶を辿る。
「……え? あれ? ひょっとして……堀江さん?」
「やっぱりタケシ君だぁ。久しぶりだねぇ」
そこにいたのは中学時代の同級生。薄らと施されたメイクも手伝い雰囲気がだいぶ変わってはいたが、僅かながらに当時の面影が残っていた。
「久しぶり……っていうか、じゃあ堀江さんも……」
「えへ、そうなの。ちょっと私の不注意で事故に遭ってね。でも驚いたぁ、まさかタケシ君とこんな場所で遭うなんて。っていうか私の事覚えててくれてたんだ」
「そりゃこっちのセリフだよ……」
当時、私は目の前にいる彼女に好意を寄せていた事があった。だが彼女は校内でも可愛いと評判の女の子であり、同時にクラスの人気者でもあった。私はといえばモブ学生といっても過言でない程に何の変哲もないただの凡人であり、人気者の彼女とは話す機会すらも殆ど無かった。そして十数年振りに会った彼女は相変わらず可愛かった。いや、大人になり色気も備わった分、より可愛さを増しているようにも感じた。生前はさぞかしモテる人生を送っていたであろう事は想像に容易い。私の周囲にもこれほどの女性はいなかった。直前にフラれたという事もあってか、元カノよりも何倍も可愛いく見え女神にすら見える。
「でも良かったぁ。ここ知ってる人が誰も居ないんだもん。それでずっとぶらぶらしてたら『何か見た事がある人がいるな』と思って近づいたら、やっぱりタケシ君だったんだね」
自分の不注意でとはいえ命を落とすとはさぞかし無念だったとは思うが、彼女はそんな悲壮感を微塵も感じさせない程に明るく、その笑顔は「起きてしまった事は仕方がない」とでも言っているようだった。
「いや、ほんとに久しぶりだね。つうかよく俺の事なんて覚えてたね」
「忘れないよぉ。隣の席だった事もあるじゃん」
何とも心に突き刺さる事を言ってくれる。その言葉はまるで「落ち込むなよ」と言ってくれているようにすら思える。それよりも何よりも、殆ど話した事のない私の事を覚えてくれていた事に感動すら覚える。
「ねぇ、横に座っていい?」
ほんの少し首を傾げながら言った彼女のその言葉に、ほんの少し動揺しながらも直ぐに「どうぞ」と言うと、彼女は私のすぐ近くに腰を下ろし体育座りをした。
「ねえ、タケシ君、良かったら私と一緒に居てくれない?」
死後の世界まで追ってきた彼女にフラれた直後、中学校時代とはいえ好意を持っていた女の子に会えるとは夢にも思わなかった。そして死後の世界とはいえ『一緒に居て欲しい』なんて言われて心を鷲掴みにされた気分であった。ついさっきフラれた事は置いておくとして、死後の世界もまんざら捨てた物ではないようだ。
「タケシ君、覚えてる? あの時さあ――――」
私と彼女は一面何も無い「死後の世界」に於いて、中学時代の話という花を咲かせた。その花の色は淡いピンク色といった所だろうか。
2020年08月20日 ** 「みてみん」挿絵挿入テスト
2020年02月09日 初版