第2話(1)
12月に入り、セカンドアルバムが発売された。
大して期待していたわけでもなかったのだが、『OVERNIGHT』がそれなりにヒットした影響か、思ったより売上が伸びている。未だ『OVERNIGHT』の売上も、伸び続けていた。
長い間上を目指して音楽を続けてきたが、こう順調にいくことがこれまでなかったせいか、最近俺は、かつてないプレッシャーに次第に押し潰されそうになっている。11月に録ったシングルはともかくとして、この先に続くシングルの責任が重い。
今回、「良いな」と思ってくれた人が、売上の分だけ、存在する。
そして続く楽曲への期待は、多分これまでの比じゃない。
……これから出る楽曲が、もしも期待を裏切るようなものだったら? その瞬間、Blowin'は、終わる。メジャーでコケれば、再起はもう出来ない。
4月にはレコーディングに入ると言うのに、まだこれと言う曲が出来ていなかった。加えて言えば、春になってしまえばレコーディングが立て続けに行われるので、アレンジまで終わっている曲をいくつか貯めておかなければいけないのだが。
そうは言っても、年末に行われるレコ発ツアーに向けて今は毎日リハーサルに追われているし、シングル、アルバム共に売上が伸びたせいでテレビや雑誌の取材が増えている。のんびりと曲作りに集中している時間があるわけでもない。
焦りが、今感じているプレッシャーに追い討ちをかける。自分で自分を追い込んでいるとわかっていても、早く何か納得のいく曲を作らなければという焦りはどうにもならず、それが俺から食欲を奪い、睡眠を奪った。
上原からは今のところ連絡はない。一応広田さんには、こういうコがいて話だけはしてあるということは伝えてあるが、連絡が来たらまたお知らせしますと言う状態で保留だ。
「……ちょっと待って。ここ、曲の順番入れ替えた方が良いんじゃない?」
遠野がセンターの立ち位置に立ったままで、手を挙げた。演奏が止まる。
「てっちゃん、ここ打ち込み変更で繋げられるかな」
「時間もらえれば繋げるよ」
サポートキーボーディストの柳川哲二が遠野に応じる。
「今?」
「今でも良いよ。15分もらえる」
「わかった。彗介、それで良い?」
「良いよ。どう繋げる? こっち」
「ギターとキーボードメインで引っ張って欲しいイメージ」
ツアーはそれほど本数は多くはないが、18日スタートで年末まで行く。年末に特番で組まれる音楽番組も3本ほど出演させてもらえると言うことで、慌しかった。
「んじゃテツさんと打ち合わせる、ちょっと休憩してて」
相変らず寝不足だと言う北条が、ベースを下ろして伸びをする。藤谷はポケットから携帯電話を取り出して、メールを打ち始めていた。ごく最近彼女が出来たと言う藤谷はご機嫌である。何でも体があまり強くなく、耳が不自由なので時間があれば手話を勉強していて大変だと鼻の下を伸ばしながら言われた日には、はいはいゴチソウサマと言う他ない。
遠野を含め展開をテツさんと打ち合わせ、テツさんが繋ぎかえるのにあわせてギターのリフを合わせる。
「そんでこの間に俺、ギター持つし」
Blowin’としては、正式に大規模な全国ツアーというものがこれで初めてだ。それほど大きな会場を回るわけではないにしろ、それでも全ての会場は渋谷公会堂程度の規模がある。大仕事だ。
「あ、そうだ。俺あと和弘に頼みたいことがあったんだ」
遠野が藤谷の方へ行ってしまい、俺はテツさんと展開を確認して自分の立ち位置へ戻った。
しゃらしゃらとギターを鳴らしながら、ぼんやりと頭の片隅で上原どうするのかなと考える。『EXIT』に行けば良いのだろうが、生憎上原がいるだろう曜日のその時間帯に行ける自信がしばらくはない。今日も土曜日だから、今頃の時間ならばいるのだろうが……。
(……電話すれば良いのか)
何も行かなくたって良いんだ。時計を見ると3時を過ぎたところだった。あれだけ閑散とした店であっても一応ランチタイムなんかはそれなりに混んだりするのだが、この時間であればマスターと上原がぼーっとしている状態だろうと予想される。
「遠野ッ」
いつの間にか別の話でもしているのか、藤谷と顔を寄せてけたけたと笑っている遠野に声をかける。目尻に笑いを残したまま、遠野が顔を上げた。
「あー?」
「ちょっと俺、電話行っていい」
「いーよ」
許可を得てスタジオを出る。
ここはいつもの事務所内のスタジオではなく、芝浦にある割と大きなゲネプロスタジオだ。使い勝手が良いのだが、携帯電話の電波は悪い。尤も、スタジオに入っている時にがんがん電話がつながっても出ようがなかったりするので、それはそれで良いんだろう。
廊下に出て、スタジオから少し離れる。螺旋のようになっている吹き抜けの階段のそばまで来て、携帯を操作した。『EXIT』を呼び出し、コールする。
「はい、喫茶『EXIT』です」
マスターの声だ。
「あ、如月ですけど」
「おお、ケイちゃん。珍しいじゃないか、電話なんて。どうした?」
「上原っています?」
「うん、いるよ」
「忙しくなければ、少し代わって欲しいんですけど」
「ちょっと待ってな」
受信口の遠くから、マスターが上原を呼ぶ声が聞こえてきた。俺が相手だと思って保留の手間を惜しんだらしい。完全に筒抜けである。遠くで「え? 如月さん? あたしに? 何で?」と言う上原の声がした。
「はい」
「如月ですけど」
「はい。……どうしたんですか?」
俺に敬語を使ってたのは最初だけでいつの間にか思い切りタメ口きいてたくせに、なぜか今だけ敬語に戻るのがおかしい。
「や、こないだの話どうしたかと思って。俺しばらく『EXIT』に行ってる時間なさそうだし」
「忙しいの?」
「うん」
ふうん、とひとりごちる気配がして短い沈黙が流れた。
「ええと……ごめんね、急ぐのかな」
「いや別に。気になったから聞いてみただけだけど」
「ううん……考えてはいるんだけど……そんなに急がないのであれば、もう少し時間がもらえると嬉しかったり……」
はっきりしない返事だ。
「そりゃ構わないけど。広田さんの方でその間に別の人見つけちゃったら、その話チャラになるけど」
「あ、うん。それは、うん……」
やりたいのかやりたくないのかがイマイチわからない。俺だったら即効飛びつきそうな気もするんだけどな。
まあ、やりたいことがはっきり決まっていない風ではあったし、やりたいとしたって「どんなふうに」ということで大きく変わったりもするから何とも言えないけれど。
そんなふうに思ってふっと気が付いた。そうか……上原ってまだ高校生なんだよな……。
将来というものが、まだまだ漠然とした状態にある年頃。いつかやってくるんだろうと思いながらも、今が永遠に続くような気がしている年頃だ。俺とは時間の流れる速度そのものが全然違うんだった。
「別に広田さんに会ってから考えても良いんだからな。広田さんに会ったからってもう決定ってわけじゃないんだし。……悩むのは別に良いけど、悩み過ぎなくて良い段階なんだからさ。俺も別に……話聞くくらいならするし」
「あ、うん。……ありがとう」
「じゃあ、決まったら連絡して」
「はい」
通話をオフにして、俺はなぜか小さく溜め息をついた。制服着ている姿を見てないせいか、あいつが俺にタメ口きいているせいか、高校生だということを忘れていた。改めてそこに気付くと、若いなあなどとしみじみ思ってしまう辺り、もうトシというやつなんだろうか。
不思議と、軽いショックのようなものがあった。
携帯電話をポケットに仕舞いこみ、スタジオに戻るべく踵を返すと、廊下の奥から知っている顔が歩いてくるのが見えた。ここのスタジオは結構有名で、かなりのアーティストが利用する。誰がいたところで驚くには値しない。
「あ、如月さん、はよーございます」
そう笑顔を向けたのはStabilisationという男性2人組のユニットのヴォーカリスト坂本孝太だった。
凡庸と言えば凡庸な顔立ちをしていて、背だけがひょろりと高い。人の良さそうな笑顔を浮かべていて、俺が知る限りは実際人が良さそうだ。
『OVERNIGHT』が発売した頃に出演した歌番組で共演して、その時に少しだけ話をした記憶によれば、2人ともハタチかそこらだった気がする。けれどデビューは俺らより1年ほど早い。
坂本の相方の池田高広はキーボーディストで、テクノっぽい音楽をやっている。歌も演奏も技術としては……コメントのしようがない。曲そのものも……俺の好みはさておいてもやはりノーコメントだが、若い女の子には結構な人気を博している。Blowin’なんかよりは遥かに高見にいると言えるだろう。それを思えば、2人とも非常に腰が低い。
「おはようございます」
頭を下げると、坂本は俺のそばで足を止めた。
「Blowin’もゲネプロですか」
ここにいる理由はそれの他には考えられない。
「うん」
「ツアーですか?」
「そう。18日からで」
「何日までですか」
「年越しまでそのまま」
「へえ、大変ですね。……あ、おはよ」
後半のセリフは、階段を背にした俺の背後の人物に投げかけられたものだ。つられて振り返ると、池田が階段を上ってくるところだった。坂本に比べてやや背は低いが、典型的な美少年顔が俺を見上げている。アイドル専門のグランドプロ辺りが、喉から手が出るほど欲しがりそうな人材である。優しげに整った顔立ちは、どう見てもミュージシャンと言うよりはアイドルだ。
「あ、おはようございます」
甘さを含んだ声で、池田は笑顔で丁寧に頭を下げた。
「おはようございます」
「遅れてごめん」
坂本に謝りながら階段を上りきった池田は、俺の隣に立った。顔の位置はほぼ俺と同じくらいだ。
「Blowin’もゲネプロですか」
全く同じことを聞かれる。
「18日からツアーなんだって。年末まで」
「へえ」
同じことを俺に繰り返させるのを案じてか、坂本が先回りして池田に答えた。
「俺らは3日間だけなんですよ。今回ドームで3Daysやったら、その後PVで海外行っちゃって、そっちで年越しになりそうなんで、何かもう今年も終わった気がしちゃってます」
「へえ。海外……いいですね」
それよりもドームの方が羨ましいが。
ドームは、俺の経験からすれば客には親切じゃないと言うか、あまり音が良い印象はなかったが、それでもやっぱり立ってみたいと思うステージではある。俺らにはまだ無理な話だ。そこまで動員出来ない。
適当に話を切り上げてStabilisationと別れると、スタジオに戻る。防音扉を開けると、ダカダカと藤谷がドラムを叩いているのが聞こえた。壁際に座り込んでなぜか譜面を睨んでいた遠野が、顔を上げる。
「おかえり」
「悪い。待たせた?」
「いんや」
「……何してんの」
「歌詞がさあ……変えようかなあとか思ったり」
「思うなよ。もう売りに出してるものを」
「ライブヴァージョンということで」
「あのなあ。そういうことしてると間違えるぞ」
遠野はなぜか、ライブ直前に歌詞を変えたくなるという迷惑な習性がある。アマチュアの時も、次が自分たちの番で控室でスタンバってるってのに「ねえ、ここ変えて良い?」とか言い出したことが何度もあった。
俺の忠告を無視してうんうん唸っている遠野を放って、自分の立ち位置に戻る。ギターを肩にかけながら、藤谷を振り返った。
「今度のツアー、彼女呼ぶの?」
「え? うーん、呼びたいんすけどねえ……」
言って藤谷は、スティックをくるくると回しながら口篭る。
「なんせほら、耳聴こえないじゃないですか。呼んでも寂しいかなあとか」
「ああ……」
そうだった。耳が聴こえないんだっけ。
「でも、音って振動で伝わるんじゃないの? ま、音楽として認識するのは難しいのかもしれないけど。でもお前の楽器なんかもろ振動派じゃん」
言いながらエフェクターを踏みかえる。軽くコードで鳴らしてみると、チューニングが少し狂ってきてることに気が付いた。ここらで1度チューニングしとこうと、シールドを差し替えてチューナーに繋ぐ。
「そうですねえ……。でも見に来て亮さんに惚れちゃったら嫌だなあ……」
何を言ってるんだか。
藤谷とその彼女と遠野の間に何かがあってのセリフなのか、根拠のないただの妄想なのかは、俺は知らない。軽く肩を竦めてチューニングを済ませる。
その日のリハは10時半まで続いた。明日も明後日もそのままここを借りるので機材などはそのままだ。
メンバーと別れて、体ひとつで車に乗り込んだところで携帯電話が鳴った。着信表示のディスプレイには見覚えのない電話番号が並んでいる。都内のどこかだということは市外局番でわかるのだが。
「……はい」
とりあえず電話に出てみると、もしもし……?と不安げな女の子の声がした。かけた相手の方が、誰が出るのか訝しんでいるような様子だ。
「もしもし」
「如月さんですか?」
「はあ……上原?」
そのおずおずとした声に聞き覚えがあった。エンジンをかけたまま動かない俺を、遠野の車が追い越していく。追い越し際にひらりと手を振られたので軽く片手で応じながら、電話を耳にあて直す。
「そう。上原です」
「どうした?」
「あのう……時間があったら、相談に乗って欲しいなあ、とか……」
「……」
それは構わないが、9歳も年下の女子高生にまともな回答が出来るだろうか。
あらゆる意味で視点が違うような気がする。
「別に良いけど……相談相手としては俺はこの上なく頼りないと思うんだけど……」
「そんなこと言わないで。如月さんしか思いつかないんだもの」