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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
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第1話(5)

 俺の出したチケットを受け取り、フライヤーやチラシを俺に渡しながら加藤が笑顔のままで言う。

「亮は? 元気?」

「元気だよ。北条も藤谷も」

「ちなっちゃんは時々今も遊びに来るよ」

「ああそう……」

「すげーじゃん。この前テレビ出てんの、見たよ」

「あ、どうも……」

「今後凱旋ライブやってよ」

「うん」

 中に入ると、客入りはまあまあだった。一杯と言うわけにはいかないが、この時間だったら上等と言えるだろう。きょろっと中を見回すが、知っている顔はいないようだ。エンジニアの顔を一応見てみると、瀬名の後任の男性そのままだった。まだ続けているらしい。

 俺のことを覚えているかわからないが、お世話になったし一応挨拶だけしようかと迷っていると、向こうが俺の視線に気がついた。あれ?という顔をしてぺこりと頭を下げる。覚えていることがわかって、俺はPA席に足を向けた。

 いつも瀬名は、ここに座っていた。

「お久しぶりです」

「どうもー。久しぶりですねー」

 年齢は俺と1つ2つしか離れていなかったと思う。何て言ったかな……栗……栗……。

「栗橋さん。5分押しですー」

 俺の知らないスタッフの人が声をかけた。そうだ、栗橋さんだ。

「へーい。……お元気そうで」

「どうですか、調子は」

「最近良いバンドが少なくて。Blowin’がいた頃が懐かしいですよ」

 声を潜めて栗橋さんは苦笑した。

「頑張ってるみたいですね」

 ミキサー卓の上に置いた煙草に手を伸ばして、栗橋さんが言う。どうやらこの人も、俺たちがデビューを果たしたことを知っているらしい。

「はあ……まあ、何とか」

「またウチでもライブやって欲しいけど、メジャーんなっちゃうとやっぱ無理ですかね」

「どうだろう……わかんないけど、やりたいって言えばやらせてもらえるかもしれないけど」

「お客さん、ウチじゃ入りきらないでしょう」

「どうかなあ。それだけ集まってくれればありがたいですけどね」

 つられて俺も煙草に火を点けると、さっきの俺の知らないスタッフがやってきて「スタートです」と言った。照明が消される。上原が何番目の出演なのか知らないので、栗橋さんに頭を下げると壁際に移動した。ここに見に来ていた時の俺の定位置である。手近にある灰皿に灰を落としながら、ぼんやりとステージを眺めた。

 1バンド目、2バンド目と、知らないバンドが続く。大して上手くない。

 ぼんやりとステージを眺める頭で、『あの頃』の記憶が嫌でも脳裏に蘇る。ステージで動き回る瀬名の幻を探す自分が、少しだけ、苦かった。

 早く上原が出てこないだろうかと思いながら2バンド目が終了し、栗橋さんが転換の為にステージに上がる。バンドが撤収し、入れ替わりに暗くなったステージに上原が出て来た。

 栗橋さんが上原の為に中央に用意した椅子のそばにキーボードスタンドとギタースタンドを引き寄せ、足元に、アンプではなくラインで繋ぐためのダイレクトボックスを3つ置く。アコギ用に1つと、キーボードのステレオ出力用に2つだろう。上原が手にしたアコギをギタースタンドに立てかけ、ライブハウススタッフが運んできたキーボードがスタンドに設置された。上原が椅子に腰掛け、その高さにあわせて栗橋さんがヴォーカルマイクをセッティングする。

 栗橋さんがステージを下り、マイクの高さや角度の微調整をしていた上原がふっと視線を上げた。ぼーっと眺めていた俺と目が合う。ひらりと片手を振ってみせると、上原が破顔した。ぱっと嬉しそうな顔をされると、こちらも気分は悪くない。可愛いやつだな、上原って。

 ギターのチューニングとキーボードの出力を確認し、上原が片手を挙げる。客電が落とされて、ステージのピンスポットが点灯した。

「こんばんはー」

 マイクを通して上原が言う。こうして見ていても、あまりライブ慣れしているわけではないのがわかる。思わず、俺まで少し緊張してしまった。

「上原飛鳥です。ここのライブハウスは今日初めてなので、あたしを見るのが初めての人も多いと思うんですけど、聴いて下さい。……『afair』」

 キーボードの上を、指が滑らかに滑り出した。ピアノ音質だ。それに合わせて打ち込みのシーケンス音源が流れる。緩やかな感じのイントロ。上原がマイクに口を近づけた。

(……あ)

 正直言って、驚いた。

 MCが、決して上手とは言えない、たどたどしい「いかにも上がってます」風だったものだから、それからは想像が出来ない、堂々とした歌声。

 繊細さがあるけれど、広がりと伸びがある。リバーヴをかける栗橋さんも気持ちが良いだろうと推測されるほど、リバーヴ乗りの良い声。

(良いじゃん……)

 曲そのものは、作りこみは甘いし、大して良くはない。悪くもないけど。ただ、その声が。

 上原は途中でアコースティックギターに持ち替えて2曲ほどやると、またキーボードに戻ってライブを終えた。演奏技術も大して上手いわけではない。本人の言う通りだ。でも良いヴォーカリストになるような気はする。

 ……あれ?

 不意に心の中で何かが引っ掛かった。そう言えば俺、広田さん……。

(女の子ヴォーカル、だったっけ)

 紹介して欲しいとか、言ってたな……。

(ヴォーカルねぇ……)

 上原は、どうだろうか。

 果たして彼女の声が広田さんの探しているものに合うかどうかはわからないけれど、紹介してみる価値はあるかもしれない。少なくとも俺は上原の声は気持ち良いと思ったし、楽曲と演奏さえちゃんと提供してやれば、歌は良い。

 上原のステージの間、俺はその声に完全に引き込まれていた。広がる声が心地よく、たった5曲で終わってしまうのが惜しいと言う気にさえさせた。

「如月さんッ」

 思いがけず良いステージを見せてもらったことについ感心なんかしていると、やがて撤収を終えた上原が、俺に駆け寄ってきた。そちらに顔を向ける。ステージで着ていたひらひらしたワンピースではなく、普通にジーンズとシャツだ。さっきのも似合っていたけれど、こちらも似合っている。

「お疲れ」

「本当に来てくれたんだね」

「来るって言っただろ」

「うん。嬉しい」

 俺の隣にすとんと腰を下ろして、上原は深々とため息をついた。

「……どうしたの?」

「緊張しちゃって」

「何で」

「初めてやるトコで……知ってる人、あんまり来てないし。如月さん見てるし」

「……何で俺が見てると緊張するんだよ」

「プロのミュージシャンが見てれば、誰だって緊張するよ」

「あ、そう」

 そんなことを言っている間に次のステージが始まり、勢いそのまま見る形になって、俺と上原はしばらく黙った。これまた大して上手くはない。けれどまあ、誰も彼もが最初から上手いわけではないのだから、仕方がないと言うものだろう。俺だって昔は大概ひどかったはずだ。

 6曲でそのバンドが終わると、俺は立ち上がって何となく背中をはたいた。ライブハウスの壁なんか、ヤニと埃で相当汚い。

「さてと。帰ろうかな」

「帰るの?」

「そりゃ帰るよ。……上原は?まだいるの?」

「ううん、これでおしまいだし。帰る」

「んじゃ送るよ」

 ライブハウスの裏の駐車場に車を停めてある。キーボードとギターを手伝って車に運び込んでやり、車に乗り込んでから俺は思わずため息をついた。

「……お前、どうやってこの楽器運んできたの?」

「え? だからギターはギターケースに入れて肩にかけて……キーボードはコロコロで引っ張って」

 コロコロと言うのは、恐らく簡易式荷物カートのことだろう。

「電車乗るの大変だろ」

「大変だよ。でもあたし、家、神泉の方だから今日は電車乗らなかったし」

「これ引っ張って道玄坂上るわけ」

「上らなきゃ帰れないじゃない」

「……」

 そりゃそうかもしれないけどさ……。

 車を出し、神泉の方へ向けて走り出す。

 ぼんやりと先ほどの上原の歌を思い出していると、不意に、カーステレオから、俺にとっては懐かしく……そして、痛い曲が、流れた。

 イギリス人女性の、低い、R&B。

 どこか宗教曲めいた厳粛な雰囲気の曲で、そしてこの曲は……。

 ……瀬名が、とても、好きだった曲だ。

 この曲を聴きながら瀬名は、「強くならなきゃ」と笑っていた。

(……)

 そっとため息を落とす。『GIO』に行ったその帰りに、この曲に遭遇するとは良く出来ている。俺に、思い出せと言わんばかりだ。

 ずきずきと痛む古傷に微かに顔を顰める俺を、現実に引き戻したのは上原のとぼけた声だった。

「凄いね。如月さん、車持ってるんだ」

 ……。

 ノスタルジーに引き摺られそうだった俺の感傷ががくんとすかされた気分で、思わずそのとぼけた意見に呆れた目線を向ける。

「……俺をいくつだと思ってるの?」

「27でしょ。こないだ自分で言ってたじゃない」

「……」

 昼も夜も渋谷の道路は混んでいる。週末となれば、もう身動きが取れないと言っても良い。自宅から来るんであれば電車を選んだだろうが、仕事帰りでそのまま来てしまったのだから仕方がない。おかげで上原を送ってやれるから良いんだけどさ。

 歩いた方が早いのかもしれないが、少なくともギターとキーボードを抱えて人込みを歩くという試練を受けずに済む。

「俺、驚いた」

 これ以上瀬名の――別れた彼女のことを思い出しても、俺には何のメリットもない。さっさと忘れた方が良いに決まっているんだから。

 気持ちを切り替えるようなつもりで、俺は上原のライブの感想を今更ながら口にした。

「え?」

「上原、凄い良い声してるよ」

「え!!」

 シートの背もたれに体を沈めていた上原がぴょこんと体を起こす。

「ホント!?」

「うん」

「良かった。怖くて感想聞けなかったんだ」

 何だ。上原も何も聞かないものだから、ついつい感想を言いそびれていたんだが。

「気持ち良いなって思ったよ。ま、曲と演奏技術は稚拙だったけど」

「……そういうオチ?」

「本音なんだから仕方がない」

 進んだり停まったりを繰り返しながら道玄坂を上りきり、上原の指示に従って細かな道へ入っていく。神泉駅周辺は細い道が結構入り組んでいて、車は入れない道や一方通行が少なくない。

「んでさ、思ったんだけど」

 ここで良いよ、という言葉を受けて車を停めた。ここからどうやって帰るのかは全然見当がつかないが、多分車が入れない道を歩いて行くのだろう。

「うん?」

 シートベルトを外しながら上原が問い返す。

「上原、一度ウチの事務所来てみないか?」

「は?」

 ぽかんとした間抜けな顔をする。俺は淡々と続けた。

「実はさ」

 広田さんの話を伝える。上原は今ソロでやっているから、バンドが嫌だと言うのであれば仕方がない。その辺の選択権は当然上原にあるし、俺も強制するつもりはない。

「……まあそんなわけで。詳しい話はその広田さんに聞いてくれないと、俺も良くわかんないんだけどさ。どんなヴォーカリスト求めてるのかにもよるだろうし。でも、俺は上原紹介する価値はあると思ったんだけど」

「……本当?」

「本当」

「本当の本音?」

「本当の本音」

「……」

 上原は少し考え込むような仕草をした。それから、捨て猫みたいな目つきで俺を見上げる。

「……あたしに出来ると思う?」

 俺は肩を竦めた。

「さあ。それは俺にはわからない。上原自身の頑張りだろうし、広田さんの判断だろう。俺が出来るのは紹介するところまでだし、その先どう転がるかまでは責任取れない」

「そりゃあそうだけど」

 言って上原は口を尖らせた。そんな表情をされても仕方ない。冷たいと思われようが、事実だろう。俺が上原の人生に責任を持てるわけではないし、自分で決めなければどうにもならない。

「ま、少し考えてみれば。親に相談した方が良いだろうし。広田さんに会って話を聞くだけ聞いて考えても良いわけだし」

「……うん」

 頷いて上原は車を降りた。俺も一緒に下りて、トランクを開けるとギターとキーボードを取り出す。

「持ってってやろうか?」

 ギターケースを肩にかけてキーボードの乗ったカートを片手にした姿は、思わず不憫な気持ちにさせられる。音楽をやるに当たって、車とは非常に便利な道具だとしみじみ思ってしまった。

「ううん、大丈夫。慣れてるから。……あの、考えたとして、どうやって連絡すれば良いの?」

「ああ……」

 俺は自分の携帯電話と自宅の電話番号を伝えた。尤も、家にいる時間は短いから、自宅電話はあまり効果はないだろう。

「また『EXIT』にも行くだろうし、その時でも良いよ」

「わかった……。ありがとう。少し考えるね」

「うん。じゃあ」

 ゴロゴロと重たい音を響かせながら、上原の後姿が遠ざかる。

 何となくその姿を見送り、角を曲がって見えなくなると、俺は車に乗り込んだ。











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