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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
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第12話(3)

 半ばだれてきた空気の中、遠野の強引としか言えない要請に応じて、ついでに自分の煙草を買いがてらAstを出る。閉じこもりっ放しの乾いた密室から解放されてみると、廊下の僅かに冷たく澄んだ空気が心地良い。

 階段を降りていくと、ロビーにMEDIA DRIVEの面々がこれまただらけた空気感でたまっていた。ついつい足を止めて煙草を咥えながら雑談をしてしまって、彼らが去った後も俺は少しその場でひとり、ぼんやりと煙草を吸っていた。

 Opheriaとは、仕事上の絡みはない。

 上原との連絡手段に、もはや電話は使えそうにない。

 と来ると後はもう偶然の産物に期待するしかなく、それを思えばここのロビーと言うのが最も期待値が高くはあるのだが、でもな……。

 それで結局、あんな浮かない顔でそそくさといなくなられた日には……もう、打つ手がない。

(あー、もうなあ……)

 だっせぇ、ホント。

 自分が情けなくなりながらソファに座ってぐしゃぐしゃを髪を掻き混ぜると、諦めてそろそろスタジオに戻ろうかと思った矢先、階段の方から騒々しい話し声が耳に届いた。その声に聞き覚えがあって、俺はソファから起こしかけた体を止めた。

「だーかーらッ。もう決まってんのッ決まった人がいるのッ神田くんの出る幕既にどこにもないですッ」

「ちえーッけーちー」

「そういう問題かッ!?」

 俺の記憶違いでなければ……広瀬の声だと思うんだが。多分。

 そう思って見ていると、案の定、階段を降りてきたのは広瀬だった。その後を、長身の、青味がかった髪を長く伸ばした、少し垂れ目の見慣れない男がついてくる。

 それなりに広瀬とは一緒にいたと思うけれど、あんなふうな話し方をする広瀬を俺は見たことがなかったので、思わず静かに見守っていると、広瀬がこちらに気がついた。

「わ、わ……き、如月さん。おはようです」

「あ……おはよう」

 急に改まる。

 それを見て、ふと思った。

 広瀬って……俺といると、気を使っていた、んだろうか。

 ……あれきり、広瀬とは連絡を取っていない。

 あの後広瀬はひとりで、泣いたんだろうか。

 そう思えば、またも罪悪感が頭をもたげた。

「やややだなあ。ぼーっと見てないで、声かけたりとかしないですか」

「いや……何か元気にしゃべってたから」

「……元気じゃないです、別に」

 俺のそばまで降りてきてそう言うと、広瀬は後ろについてきた男を振り返った。俺を見て、そいつが妙にかしこまった表情になる。……嫌だな。俺が何だか怖い人みたいじゃないか。

「あ、これ……」

「これぇ?」

「るさいな。これ、Grand Crossの神田くんです。ドラムの」

 Grand Cross……聞き覚えがある。

 ……ああ。いつだか、遠野経由で広田さんがどうとかこうとかって……ふうん。そうか。結局ここに入ることになったのか。

「Blowin'の如月です。よろしく」

「あ、神田です。……よろしくお願いします」

 立ち上がって挨拶をする俺に、神田がどこかぎこちない顔で頭を下げた。

「じゃあ、俺……」

 そろそろ遠野に「俺のコーラが帰って来ない」などと言われていそうなので、買ったままテーブルに放り出してあった缶コーラを持って歩き出す。俺に頭を下げて自販機の方へ行った神田をそのままに、広瀬がこちらへ駆け寄って来た。

「如月さんッ」

「え?」

「まだ、飛鳥ちゃんに何も言ってないですか」

 ……痛いところを。

「うん、まあ……」

 苦笑いを浮かべながら頷いた俺に、広瀬はわざとらしく、意地の悪い表情をした。

「知ってますか。飛鳥ちゃん狙ってる人、多いですよー?」

「……」

「うかうかしてると、誰かに持ってかれちゃいますけどー」

 あ、あのなぁ……。

「そこの……」

 目で、自販機の前から買った缶を片手にこちらを見ている神田を示す。

「神田くんも、あたしに飛鳥ちゃん紹介しろってうるさいし」

 何?

「Stabilisationの池田くんも、振られたけどまだ全然あきらめてないですよ」

 一瞬、今し方紹介されたばかりの初対面の男にむっとした俺は、続いた広瀬の言葉に一瞬でそんな感情を葬り去った。

 ……え? 池田が?

「池田、振られたの?」

 その問いに、広瀬が少しあきれたような顔をする。

「聞いてないですか」

 聞いてないどころか、上原と話せてない。

 そりゃあ話せたとしたって、そんなことを上原が俺に報告する筋合いじゃないが。

 無言の俺に、広瀬はこれ見よがしに「やれやれ」とため息をついて見せた。

「如月さん、あたしの言った言葉、覚えてますか」

「え? 何?」

「何じゃなくて。……飛鳥ちゃんが誰を想ってるか、教えてあげたのに」

「……」

「あ。もしかして信用してないでしょ」

 信用出来る状況にない。

「あたしの言ったこと信じてたら、池田くんが振られるのは当然の結果だと思いますけどー。べっつに信じようが信じまいが、そりゃあ如月さんの自由ですけどねー」

「……」

 広瀬の言い草に思わず俺は、階段の手摺りに掛けた右手の上に軽く突っ伏した。

「……広瀬、俺をいじめてやろうとか思ってる?」

「いじめてやろうとは思ってないけど、ヒロセ振った以上さっさとくっついてしまえと思ってます」

 その言葉に、小さく吹き出す。

「激励、ですよ」

「……広瀬流?」

「ヒロセ流です」

 激励、か。

「さんきゅ……」

 礼を言って、顔を上げる。広瀬は、俺との間にあった出来事など何も気にしていないような顔で、小さくブイサインをしてみせた。

「幸せになって欲しいです」

「うん。……ありがとう」

 もう一度礼を繰り返すと、俺はようやく階段を上がった。

 上がりながら、そっとため息をついた。

 広瀬の気持ちは、嬉しいと思う。

 俺自身、早く気持ちを伝えられることを望んでいる。

(だけどなー……)

 当の上原が、つかまらないんじゃあな。

 ……どうしようも、ないんだよな。


 案の定「俺のコーラの帰りが遅い」などと言うワガママ極まりない遠野の出迎えでリハスタに戻った俺は、そこからしばらくはアレンジ作業に集中することにした。

 どうせ家に帰って暇になれば、上原のことを考えてしまうに決まっている。他にすべきことがあるんだったらそっちに集中した方が、俺のストレスが軽くて済む。

 ……そうして、仕事に集中してから3時間ほど経過した頃だった。

「如月さん、いますかッ」

 いきなり前触れもなく防音扉ががんと開いて、その場にいた人間の視線が一斉にドアの方に向く。唖然とした視線の先、何やら切羽詰った様子で立っていたのは、あろうことか上原だった。

「上原……」

「いますけどー」

 予想だにしていなかったので思わずぽかんと立ち上がる俺を、床にあぐらをかいたままの遠野が目を瞬きながら指差した。そんな遠野に、上原が慌てて頭を下げる。

「あのッ、お仕事中なのに、ごめんなさい。とっても失礼なのはわかってるんですけど、ほんの少しだけ、如月さん借りて良いですか」

「はあ、どうぞ」

 貸し出すな。

「何……」

 思わず問いを発しかけて口を開くが、そんなものに耳を貸すつもりがないように、上原が切羽詰った顔を俺に向けた。

「如月さん!!」

「……はい」

「一緒に来て!! 緊急なの!!」

「だから何……」

 別に楽曲の締切が迫ってるとかそういうわけじゃないから、俺が今多少抜けたところで構いはしないのだが。

 ともかくも上原が泣きそうな顔でじたじたと足を動かすので、「ごめん、何だかわからないけど抜ける」とぽかんとしたままのメンバーに謝罪をしながら、促されるままにスタジオを出る。そこで再度上原の用件を問い質そうとした俺に、上原が今しも泣き出しそうな顔のままで、言った。

「早く!! ……瀬名さんが、帰っちゃう!!」

「……」

 …………………………は!?

「なッ……」

「お願い!! 後でゆっくり聞くから!!」

 半ば俺を引き摺ろうとするように上原が腕を引っ張るものだから、それに従う形で後に続いた俺は、混乱したままで今の上原の言葉を頭の中で繰り返した。

 ……瀬名が、帰っちゃう?

「上原、何なんだよ?」

「瀬名さんがいるの!! だけど、のんびりしてたら帰っちゃうの!!」

「だから何で瀬名って……」

「今でも、好きなんでしょう!?」

(――!?)

 ちょっと、衝撃的な言葉だった。

(何言って……)

 どうして上原が今俺の腕を引っ張って走っているのか、上原の言う『瀬名』が誰のことなのか……頭の中が混乱したままで、俺は上原に促される通りに階段を駆け下りた。途中、上原が、手摺りから体を乗り出す。それにつられるように下を覗いた俺は、次の瞬間には頭の中が真っ白になった。

(瀬名……?)

 ちょうど、事務室から頭を下げて出てくる人物。

 ドアを閉めて、周囲に目を向けることもせずに真っ直ぐに出入り口に足を向けかけたその姿。

 ……見間違える、はずがない。

「――瀬名ッ」

 思わず、叫んでいた。間違いなく、瀬名だった。

 何年も前に好きだった女性。

 これまでの人生でたったひとりだけ、一生一緒にいたいと思った、女性。

 俺の声に、瀬名が振り返る。あの頃より長く伸びた髪は、以前は金髪だったけれど、今は茶色がかった黒髪に戻っていた。相変わらず緩くウェーブのかかった髪が、動きに合わせてふわりと広がる。大き過ぎない瞳が、驚いたように見開かれた。

「如月くん……」

 その瞬間、俺は確かに、上原がそこにいることを忘れた。

 今、目の前にあることがあまりに非現実的で、混乱しきっているのに、瀬名がそこにいることだけがわかった。

 階段を、一気に駆け下りる。数歩手前で足を止めた俺を、瀬名は無言で目を見開いたまま、見つめていた。

「瀬名……」

 胸に、痛みにも似た懐かしさが広がった。

 ……本当に瀬名のことが好きだったんだ、あの頃は。

 本当に、本当に……瀬名しか、見えなかった。随分長いこと、忘れられずにいた。

 その瀬名が、時を越えて今――俺の前にいる。

「元気だった……?」

 声が少し掠れた。瀬名が、ふわりと頷く。あの頃より、柔かい雰囲気になったような気がした。

「如月くんも元気そうだね。……みんなも」

「うん。元気だよ」

「Blowin’のCD、聴いたよ」

「……ありがとう」

 プロに憧れてじたばたしていた俺たちの姿を知っている瀬名にそう言われると、少し照れ臭い。

 小さく笑う俺に微笑み返した瀬名は、不意にその視線を俺の後ろへ流した。






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