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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
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第1話(4)

 上原の差し出したサラダの皿を受け取って、煙草を灰皿で揉み消す。フォークを取り上げてレタスを突き刺しながら、続けて尋ねた。

「上原って3年じゃないの」

「そうだけど」

「受験とかないの?」

「ないですよ。しないもん」

「親とか何も言わないの?」

 俺も受験をしなかった人間だから、言える立場ではないけれど。ウチはどっちかって言うと放任主義な親だったからともかくとして、普通の親はやっぱり進学することを勧めるんじゃないだろうか。

「別に……ウチの親って変わってるんですよ」

 上原は優しげな目を細めた。

「ふうん」

 カレーの鍋をかき混ぜて火を止める。炊飯器から白飯を皿によそい、カレーを盛り付けて俺の前に置いた。

「お待たせ致しました」

「あ、どうも……」

 カレーをスプーンですくって口に運ぶ。上原が続けた。

「お父さんがね、あたしが子供の頃に『俺は芸術家だ』とか言って会社員辞めて、いきなり画家になちゃって」

 ぶほ。

「画家って、『なる』つってなれるもんなの?」

「もんじゃないとは思うんだけど。まあ、自称ってやつで」

「……それって生活出来ないんじゃないの?」

 大体それって奥さんが止めたり怒ったりするんじゃないだろうか。子供抱えてんだし。

「お母さんも最初は怒ってたんだけど、そのうち『じゃあわたしも』なんつっていきなり陶芸とか始めちゃって」

「……凄い両親だね」

 ウチの親も大概いい加減だが、それを遥かに上回る。仕事に関して言えば、ウチの両親は片やIT企業を経営し、片や花屋を経営しているので、少なくとも経済的には安定していた。

「どうやって生活してるわけ」

「一応今は、お母さんが陶芸教室の先生やってて、お父さんがデザイン系の専門学校で講師やったりしてる」

 良く潜り込めたなと感心するが、そこまでは俺の関知することではない。

「ま、そんな親だから別に受験しろとかそういうの、全然言わないし」

「ふうん。じゃあどうするの」

 もぐもぐと口を動かしながら問うと、上原はうーん、と形の良い眉毛を顰めた。

「わかんない」

「どうしたいか決まってないんだったら、俺は進学した方が良いと思うけど」

 俺の言葉に、上原が意外そうな表情をした。

「もしかして如月さんってインテリミュージシャン?」

「何だよ、インテリミュージシャンって」

「時々いるじゃん。国立大学とか出てさ、教員免許とか医師免許とか、そういうの持ってるのにミュージシャンなっちゃった人。ミュージシャンって勉強嫌いかと思うから驚くよね」

「……残念ながら、俺の学歴は高校止まりだよ」

 しかも地元では有名な馬鹿高校だ。

「何だ。じゃあ人のこと言えないじゃん」

「俺は高校卒業する時には就職先決まってたし、やりたいことがはっきりしてたから意志として大学行かなかったの」

 行く意志があったとして果たして行けたかは別問題だ。この場合は、考慮に入れない。

「え!? 如月さんって働いてたの!?」

「俺だって働かなきゃ食って行けない」

「じゃなくて。就職ってことは正社員ってことでしょ?リーマンだったってこと?」

「そうだよ」

「スーツ着て?」

「……何か悪い」

「イメージあわなすぎ」

 余計なお世話だ。期待に添うようで言いたくないが、実際俺はその会社を半年経たずに辞めている。

「俺の話じゃなくて上原の話だろ」

「そうだった」

「何かないの、やりたいこと」

「何で進学した方が良いって思うわけ」

「将来何をしたいか考える為の猶予期間が出来るだろ」

「それはそうだけど……」

 唇を尖らせて、棚からコーヒーカップをひとつ取り出す。ホットコーヒーを注ぐと、それを片手に上原は俺のひとつ置いた隣に腰を下ろした。

「将来とか、あんまりよくわかんない」

「今はそれでも別に良いと思うけど……」

「如月さんは、いつから音楽でやってくって決めたの?」

 そう聞かれてもあまりよくわからない。気がついたらそう思い込んでいた、というのが正しいような気がする。

「……高校じゃないか。はっきり意識したのは」

「ふうん……」

 カラン、とドアが開いた。顔を上げると、マスターだった。残りのカレーを皿から綺麗にすくって口に運ぶと、カウンターの仕切りの上に置く。

「おお、ケイちゃん。いらっしゃい」

「ごちそうさま。……お邪魔してます」

「何だ、相変らずメシ作ってくれる彼女もいないのか」

「余計なお世話です」

 煙草を買うついでにパチンコでもしたのか、でかい紙袋を片手に中に入って来たマスターに言われて俺は顔を顰めた。サラダも食べ終えて水を飲む。上原がカウンターの内側に回って、俺の食べ終えた皿を洗い始めた。

「如月さんって彼女いないの?」

「別にいーだろ。いなきゃなんないもんでもないんだから」

「別にいーけど……」

 ガサガサとカウンターの奥の方で紙袋の中身を漁っていたマスターが、煙草を片手に戻ってくる。

「もういい年なんだから嫁さんもらってご飯作ってもらえ」

「いい年って……。俺まだ27ですよ」

「子供のひとりもいていい年だろ」

「時代が違います。大体、今結婚するったって、俺生活支える能力ないです悪いけど」

「亮くんなんか立派にやってるじゃないか」

「あれはかみさんがしっかりしてるから、別です」

 アイスコーヒーにミルクを流し込む。ぐるぐるとストローでかき混ぜると、からからと寒い音がした。

「ああ、そうだ。ケイちゃん、聞いたかい?」

「何をです?」

「飛鳥ちゃん、今度の日曜ライブあるって言うからさ、行ってあげなよ」

「は?」

「あああああ!!! いいいいいいいんですううう!!!」

 慌てたように上原が止める。……ふうん。今度の日曜にライブやるんだ。

「何で? 来てもらえば良いじゃない、せっかくだから」

「だって……」

「いいよ、行っても」

 本当は面倒くさいから誘われてもあまり行かないことの方が多いんだけど。

 上原は結構透明感のある綺麗な声をしているので、ライブを見てみるのも悪くないかもしれない。

「だって、プロのミュージシャンに聴かせるの、恥ずかしいですよ……」

「何で? いーじゃん別に」

「下手だし」

「それは聴いてないから何とも答えようがないんだけど」

「……ううん」

「……そんなに嫌なら行かないけど」

「あ、やっぱ来て欲しい」

 どっちなんだよ。

 上原はカウンターの内側で急いで手を拭うと、しゃがみこんでごそごそと何かやっていた。ここからは見えないが、多分そこに自分の荷物が置いてあるんだろう。案の定、チケットを取り出して差し出した。

「誰か、誘います?」

「や、多分ひとり。いくら?」

「あ、タダで」

「……いいよ、払うよ」

 今日はこんなことばかり言っているような気がする。上原は慌てて首を横に振った。

「お金なんかとれないよ。ええと、渋谷の『GIO』ってライブハウスなんだけど……」

「……え」

 嘘だろ。

 心臓が微かに鳴って、思い出の中の笑顔が頭を過ぎる。

 その表情を見て、上原が目を瞬きながら小さく首を傾げた。

「知ってる?」

「ああ、うん……。昔、よく演ってたから……」

 瀬名のいたライブハウスだ。

 俺たちBlowin’のホームグラウンドとも言えるライブハウスでもある。

 ……未だ、痛むもんなんだな。

 こないだ北条があんなことを言ったせいだぞ……。

「そうなんだ。今まではね『CARAWAY』ってとこで演ってて……。『GIO』は初めてなの」

「……そう」

 知らず、声が低くなった。

 瀬名がいなくなってからも、何度も『GIO』で演ってはいる。

 けれど、俺の記憶の中の『GIO』は、必ず瀬名の笑顔と共にあった。

 事務所が決まってからは1度も行っていないから、1年以上足を運んでいない――そのせいも、あるんだろう。

 瀬名がいなくなった『GIO』での思い出は、瀬名がいる『GIO』の思い出を塗り替えるほどには重ねられなかった。

「音、どう?」

「……俺たちが演ってた時は結構良かったけど。あれからエンジニア変わってるかもしれないから、わからないな」

 瀬名の後任になった何とかってエンジニアも腕は悪くなかった。ただ、まだあの人がいるかはわからない。

「そっかあ……」

 何かを考えるような目つきをした上原は、不意ににこっと笑って言った。一瞬どきっとするような、素直な笑顔。

「でも、来てくれるなら楽しみにしてるね」


          ◆ ◇ ◆


 ライブのある日曜日は、俺が『EXIT』に行ってから3日後だった。

 久々にライブハウス『GIO』の前に立って、ため息をつく。切なさに似た痛みが、胸を走った。このライブハウスには、常に瀬名との思い出がついて回る。

 ……会いたいと、思ってしまうじゃないか。ようやく、忘れることが出来始めたと言うのに。

 ふうっとまたため息をついて、扉を押す。受付のところでぼんやりと暇そうに煙草を咥える店員の姿には、見覚えがあった。

「加藤」

 俺と同い年の加藤明憲かとう あきのりだ。

「いらっしゃーい……あれぇ!?」

 加藤が目を見開く。すぐにその表情が嬉しそうな笑顔に変わった。

「ケイちゃんじゃん!! 何だよー、久しぶりー」

「久しぶり」

 人懐こい笑顔を浮かべて加藤は立ち上がった。髪の色が赤くなっている。

「どうしたの? 客?」

「うん。今日の出演者、知り合いがいて」

「あ、本当。チケットは?」

「持ってる」






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