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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
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第10話(3)

 呼び止められる心当たりがなくて、目を瞬く。

 そりゃあ確かに何度かこの店で顔をあわせてはいるが、そして挨拶くらいならしてはいるが、待ち伏せされるほどに何がある関係ではない。内心そっと首を傾げる俺に構わず、平泉は建物の陰からこちらに近付いてきた。

「ちょっとだけ、いいですか」

「はあ」

「……渡したいものが、あって」

「渡したいもの?」

 平泉に何かをもらう覚えがなく、眉根を寄せて聞き返す俺に、平泉は手に持った紙袋を突き出した。押し付けられるようにされたので、思わず受け取ってしまう。……これ、さっき、カウンターの下から取り出してた紙袋じゃないだろうか。

「何……?」

「俺の知ってる奴が」

「はあ」

「……あんたのファンで。そいつから」

「……」

 言いながら平泉は、そっぽを向いた。返す言葉に詰まって、紙袋を両手で受け取ったまま視線を落とす。

「でも……」

「もらってやって下さい」

「……」

 そう言われると、断わりにくい。

「うん……」

「それから」

「……」

「一度でいい、冬になったら、使ってやって欲しいんですけど」

 冬になったら?

 冬限定の何かだろうか。

 目を瞬く俺に、平泉が何か……何とも言えない、複雑な顔を見せた。それを見て訝しげな視線を送る俺の前で、平泉が軽く唇を噛んで微かに顔を伏せたまま、踵を返しかける。

「じゃあ……それだけなんで」

「これ渡す為に待ってたの?」

「……さっき、すぐ帰るって言ってたから」

 ああ。

「あの、じゃあその人にありがとうって伝えてもらえるかな」

 歩き出しかけた平泉に慌てて言う。黙ってもらうだけもらうんじゃあ何か悪いだろう。けれど、俺の言葉に平泉は少しだけ顔を振り向かせて、なぜだか俺を睨むようにして小さく答えた。

「……自分で言って下さい」

 そんな滅茶苦茶な。

「は?」

「じゃ」

 自分で言えと言われても、俺は贈り主がわからないんだが。

 ぽかんとしたままの俺の前で、平泉はこれ以上呼び止められるのを避ける為か、逃げるように走り出した。そのままいなくなってしまう。……参ったなー。

 小さく吐息をつき、半ば以上押し付けられた形になった紙袋に視線を落とした。夏の陽射しが上から容赦なく降り注いでくる。その暑さに辟易しながら、とりあえずこんなとこでぼーっと平泉の去った方角を見送っていても仕方がないので、俺も車に足を向けた。

 ……ファン、ねえ。

 乗り込んだ車は、短時間とは言え夏日の中に晒されてまさしく地獄の様相を呈している。

 窓を開けて灼熱の空気を追い出しながらエンジンをかけ、エアコンのスイッチを入れながら、紙袋をバックシートに置こうとして止まる。スイッチを入れっ放しのカーラジオが自動的に流れ始め、紙袋のがさがさ言う音にあわせてOpheriaのファースト・シングル――上原の歌声が、車内に、流れた。

(……)

 上原の声は、いいよな。

 耳に心地よく、気持ちに優しく、人を安心させる声をしているような気がする。そう感じるのはきっと、別に俺だけじゃないだろう。

(これ、何だろうな)

 上原の声で動きを止めた俺は、バックシートに置きかけたまままだ手に持っている紙袋の中身にふと興味が湧いた。冬になったら使ってくれって言ってたから……何か防寒具的な何かだろうか。車を停めたまま、もう一度紙袋を引き寄せて中を覗き込んでみる。

 紙袋の中に入っていたのは、箱だ。濃紺のシンプルで手触りの良い上品な箱。厚さはない。そこに、箱よりやや明るい紺のリボンがお洒落にかけられている。有名なメンズ・ブランドの箱だ。

 箱のほとんどを紙袋に突っ込んだままの状態で、手を突っ込んでリボンを解く。箱を少しだけ開けてみると、中に見えるのはマフラーみたいだった。

(マフラーか)

 俺、マフラーって好きなんだよな。

 冬にコートとかをいっぱい重ね着するのがあまり好きじゃなくて、高校の時なんかは冬になってもコートなしでマフラーだけなんてことも少なくなかった。当時の彼女に時々言われたっけ。「如月くんってマフラー好きだよね」って。

(しかも手触り良いな、これ……)

 素直にもらって嬉しい物だとくると、一層申し訳ない。くれた人にお礼を言えれば良いんだが、言いようがない。

 更に言えば、見ず知らずの人にもらったものとなると……ちょっとこう、複雑なものもあって、あまり使いたい気にもなりにくいじゃないか。悪いとは思うが。

 でも一度は使ってくれと頼まれてしまったし、物も良いし、センスも良いし、俺マフラー好きだし。

 ……まあいいや。冬に考えよう。少なくとも夏に手に取る物ではないのは、確かだろう。

 とりあえず一度箱を閉じて紙袋にしまうと、俺はそのまま袋をバックシートに置いた。ようやく車を発進させる。上原の歌声も、いつの間にか、途切れていた。低めの声の女性パーソナリティがハガキを読み始めているのを上の空で聞き流しながら、事務所へ車を走らせる。

 上原、最近どうしてるのかな。

 そんなにテレビに齧り付いている方じゃないと思うが、たまにテレビで上原を見かける。それを見ていると、Opheriaが今後どうしたいのか……広田さんがOpheriaにどういう展開を期待しているのかが見えなくなって、心配になる。

 Opheriaは、音楽活動をしているんだろうか。

 最初に続けてシングルとアルバムを発売して、それ以降、発売も発売予定も耳にしていないような気がする。

 ライブなどはやっているのだろうが、生憎その辺の話は俺はろくに知らないし、ついでに言えば世間だって俺と同様もしくは俺以下の情報しか手に入らないわけだから、それはつまり世間から見てもOpheriaって何してるんだろうと言うことだ。

 気になるんだけどな。

 ……電話、してみるか? 池田とうまくいきそうだって言ったって、別に他の男が一切連絡を取っちゃいけないってことにはならないだろう。

 妙な何かを口走ろうとしているわけじゃなし、最近どうしてるかくらい聞いてみたって別に、悪いことはないだろうし。大体俺がこうして気になるのは……上原をOpheriaに紹介したのが、俺だから……。

 事務所について車を降りると、蝉の声が一際でかくなったような気がした。どうして蝉の声ってこんなに人間の気分を暑くさせるんだろう。本人らは必死の生命の叫びなのかもしれないが、もう少々お静かに願えないものだろうか。

 事務所の中は、妙にがらんとした空気感だった。人の気配がなく、温い感じで効いている廊下の中途半端なエアコンと、蝉の声が一層静けさを引き立てているような気がする。

「おはようございます」

 相変わらず山根さんだけがぽつんとデスクに座って書類を繰っていて、礼儀上挨拶を口にすると、受付の窓を開けて山根さんが顔を出した。

「おはようございます。どうしたんですか、オフなのに」

「大音量を鳴らしたくなって、スタジオを借りに来ました」

 俺の言葉に山根さんが吹き出した。鍵を手渡してくれながら、俺を見上げる。

「今日、人、全然いないですから。使い放題ですよ」

 使い放題って言ったって、俺ひとりで計5つのスタジオを使って回るわけにはいかない。限度がある。

 山根さんに苦笑して礼を言うと、階段を上がった。何だかもう居座るのに慣れ始めてしまった2階のリハスタのドアを開ける。機材などの関係で、スタジオの中はひんやりしていた。

 しっかし金がかかってしょうがないだろうな、スタジオの運営なんか。いくらCRYや、辛うじて俺たちが資金を捻出していると言っても、回るもんなんだろうか。それとも何か裏でもあるんだろうか。

 涼しい空気にほっとしながら、壁際のスタンドに立てかけたままの自分のギターに足を向けた。メインギターやサブギターなんかは家にあるけれど、だんだんこのギターはここのスタジオ用になってきてしまっている。人間、どんどん図々しくなる。

 チューニングを済ませ、アンプに電源を入れかけて、ふと煙草を吸おうとポケットを漁った俺は、その中身の余りの儚さに立ち上がった。スタンドを近いところまで行儀悪く足で引っ張ると、ギターを立てかけてスタジオを出る。

 本当はスタジオで煙草ってあんまり良くないとは思うけどな。機材や楽器にヤニがつくから。

 でも別に禁煙になっていないものだから、そう来ると喫煙者としてはつい吸ってしまう。

 ……結構面白い楽曲になるような気がするんだよな。俺ひとりでコード考えているわけじゃないから、展開が当然俺ひとりの時とはパターンが違う。思い付きが形になり、なるに従って新しいアイデアが飛び出し、ブラスやクラシカルな弦楽器入れたいよなあなどと言う話に既知のイギリス人ミュージシャンが食いつき、来月あたり、ロンドンに拉致されることになりそうだ。いろいろな要素が入っている感じで、Blowin'としても音楽性に新しい風が吹けば……。

 そんなことを思いながら軽い足取りで階段を降りていた俺は、踊り場を過ぎて1階と繋がっている階段に足をかけ、動きを止めた。

(上原……)

 心臓が、小さく音を立てた。

「き、如月さん」

 ロビーのソファに埋もれるように座り込んでいる上原が、俺のほうを、驚いたように見ていた。

 ……悔しいことに、少し、嬉しい。何でだろう。俺の中で埋葬したはずの疑問が、上原に会って、再び浮上する。

――上原のことが好きなのか?

「何してんの。こんなとこでぼけっと」

 過ぎる考えを正視する気になれず、俺は口を開きながら止めた足を動かした。階段を下りきって上原のそばに立つと、ソファに座ったままで上原が俺を見上げた。

 また綺麗になったかな……俺の知る限り、上原は音楽活動より、ポスターとかCMとか、そういう……ビジュアルめいた仕事を最近しているようだ。なら、綺麗にもなるよな……そういう仕事をしていれば、人間磨かれるものだ。

「ぼけっとって」

 けれど少し、元気がないだろうか。はにかむように、言い返して白い歯を覗かせる上原に、煙草を咥えながら問いを重ねた。

「夏バテ?」

「ううん。そんなふうに見える?」

「何かへたってんのかなって顔してる。無理すんなよ」

「……うん。ありがとう」

 にこっと笑う顔に、少しほっとした。バレンタインが嫌な終わり方をしたような気がしていたが、とりあえず嫌われたとか怒っているとか、そういうわけではないようだ。

「あたし、横浜のライブ、行ったんだよ」

「ああ……らしいな。ありがとう」

「挨拶行ったんだけど、如月さん、いなかったみたいだから」

「……ああ、うん、まあ」

 タイミング的に広瀬といただろうことが、俺の言葉を曖昧にさせた。

 広瀬と何がある関係でもない。実際のところは。

 けれど、余り上原に積極的に知られたいとは思わず、そんな自分の気持ちが広瀬に申し訳なくもあり、ずるくもあるような気がする。

 曖昧な俺の返事にちょこんっと首を小さく傾げた上原の仕草が可愛らしく、久々にそんな上原を見ることが出来たのを嬉しく感じながら、反面、ライブの時に待っていてくれればもう少し早く会えたのにと言う思いが湧いた。

「待っててくれれば良かったのに」

「友達連れてたから」

「そんな1時間も2時間も待たせるわけじゃないだろ」

「……ホントは、如月さん、見かけたんだけど」

 煙草の灰を、灰皿に捨てかけていた俺は、その言葉に思わず動きを止めた。見かけた?

 どこ……。

(広瀬といる時……?)

 そこに気がついて、黙って上原を見る。上原は、何だか妙に悟ったような目付きで俺を見上げていた。

「……どこで」

「……紫乃ちゃんと話してるみたいだからー。お邪魔しちゃ悪いなーと思って退散しました」

「……」

 予想通りだ。

 自分自身の行動で、広瀬といるのは別に今更で、なのになぜか、後悔が過ぎる。そう思うのが広瀬に失礼だともわかっている。そして、そんなふうに感じる自分が、わからない。

 広瀬と会ってるのは俺自身の意思で、別に強制されているわけじゃない。好きになれると思った。いい奴だと思う。けれどそこから進歩がないままで、揺れる。――上原のことが好きなんじゃないのかと胸を掠める、疑問との間で。

 ……考えたくない。






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