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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
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第9話(3)

「え、いいよ」

 上原の口からはそんな気の利いた言葉は出てこなかったな。そう思ってみれば少しおかしい。苦笑してキッチンへ向かう。

 コーヒーメーカーをセットしてリビングへ戻ると、立ったままの広瀬にクッションを勧めた。

「座って。ああ、上着……」

「すみません」

 上着を受け取って、俺のジャケットの隣に吊るす。広瀬はなぜかクッションの上にきっちりと正座をしていた。

「……もっと楽にしてて良いよ」

「はは。ヒロセ、小心者で凄い上がってるっぽいです」

「何、上がるって」

「何でしょう……」

 広瀬の斜向かいに座りかけて、やめる。そうだった、CD。

「これ、ありがとう。良かった」

 CDラックの上に乗っていたそれを手にとって広瀬に渡す。それからCDラックを指差した。

「ここに入ってるから好きに見ていいし……本当はまだあっちにもあるんだけど……見る?」

「あっち?」

「寝室」

「あー……何かデンジャラスな感じですね」

 広瀬の言葉に思わず吹き出しながら立ち上がると、寝室の方から広瀬が好みそうなものでまだ貸していないものをいくつか抜き出し、リビングへ戻る。

 あいつもな……こんくらいまともに警戒のひとつもすればいーものを。

 あれだけ無防備にされてると、男として認識されていないんじゃないかと言う気になる。……いや、そうなんだろうか。

「ほい」

「わ。ありがとうございます」

 それを渡してやって、その足でキッチンへ再度行く。コーヒーメーカーからコーヒーを注ぎ、2つ分のカップを持ってリビングへ戻った。ひとつを広瀬に渡してやる。

「いただきまーす」

「広瀬も何気にコーヒー良く飲んでるよね」

「あ、あたし立派なカフェイン中毒です」

「ニコチン中毒でカフェイン中毒で音楽中毒? 大変だね」

「如月さんと一緒です」

 入れてはみたものの、もちろん俺はこんな熱いものを飲めるわけもないので、とりあえず冷めるまでテーブルの上にカップを放置することにする。広瀬が覗き込んでいるラックの手元を横から覗き込んだ。

「何か良さそうなのあった? あ、これオススメ……」

「あ、あ、あ、えええと……その」

 なぜか急にどぎまぎしたような声になったのでどうしたのかと思ってふと顔を向けると、思いがけず至近距離に広瀬の顔があって驚く。咄嗟に体を離して、俺は口元を手で覆った。

「ご、ごめん」

「い、いえ……」

 のそのそと、自分の定位置に戻ってクッションに腰を落ち着ける。テーブルの上の煙草を取り上げていると、広瀬がまだ微かに上ずったような声で言った。

「あ、そ、そうだ。実は今日会いたいなって言ったのは渡したい物があって……」

「え?」

「こゆの、あんまり興味ないかなとかも思ったですけど。何か、一応あたし的にあげたいなとか思って」

 言って広瀬はCDラックの前から自分の座っていた場所まで戻り、床に置いた小さな紙袋を俺に差し出した。

 え? 何だろう。何だっけ? 誕生日? ……いや、俺の誕生日は実に半年ほど前に終わっている。

「ありがとう。……何?」

 皆目見当のついていない俺に、広瀬は苦笑いを浮かべて「ああ、やっぱりなあ」と呟いた。

「絶対興味ないとは思ったですけど。……世間はもうじきバレンタインデーってのがあったりして」

「……あー」

 なるほど。そう言えばそんなイベントが確かにこの世の中にはあった。あまり関係があるわけでもないので認識していない。と言うか……正直言ってそんな年でもないと言うか。

「ありがとう……」

 とは言え、もらってみるとそれはそれで嬉しくないわけでもないのだが。ただ……甘い物はあまり得意ではなかったりもする。

 そんなふうに思った俺の胸中を読んだように、広瀬は微笑んで言った。

「あんまし、如月さん、甘いの得意じゃないでしょ。だから、ちっちゃくてボンボンのにしてみました。あんまり、量も入ってないです」

「あ、そうなんだ。ごめんね、何か気を使ってもらっちゃって」

「あたしが、あげたかったから」

「ありがとう」

 照れ臭くて、俺は受け取ったそれを手に持って見つめたまま、言った。

「あんまり縁がないから、忘れてた。……いつだっけ。来週?」

「来週です。けど、あたし、千晶のコンサートでその頃東北行っちゃってて」

「そうなんだ」

「だから。……あんまり縁、ないですか」

「ないよ。そうそうもらえるもんでもないんじゃないの、こういうのって」

 そりゃあ彼女でもいればくれたりはするかもしれないが、それ以外の人からもらう機会がそうあるもんでもない。

 増して俺はここ数年彼女というものがいなかったし、最後の彼女だった瀬名はそういうタイプでもなかったので、バレンタインなんかなかった。瀬名と付き合う前も俺は数年単位で彼女がいなかったから、遡ると――高校まで戻るんじゃないだろうか。

 ……遡りすぎだろう、我ながら。

「どうしたですか?」

「……いや、思い返してむなしくなっただけ。まあいいけど」

 こういう仕事を始めてからは、確かに事務所にそういったものが届いたりはするけれど、それはやっぱり、ちょっと違う。大体、くれた人には申し訳ないけれど、見ず知らずの人から届いた食べ物をそうそう口に運ぶわけでもない。出来るわけがない。そうじゃなくたって、あれだけの量を食べたら血糖値が上がって仕方がない。

「むなしくなったって」

 言って広瀬は吹き出した。長い髪がふわっと揺れる。

「や、嬉しい。ありがとう」

 礼を言いながら、広瀬に顔を向ける。

 俺のすぐそばの床にぺたんと座りこんでいた広瀬は、笑みを向けた俺にぱっと顔を伏せた。少し赤くなった顔を、躊躇うように視線を彷徨わせながら上げる。

 それから何かを言いたそうに、俺をじっと見つめた。

「広……」

 何かを伝えようとするような眼差し。

 伸ばされた手が、俺の袖を遠慮がちに掴む。

「……」

「……」

 駆け引きのような、静寂。見つめ合う、目と目。

 迷うようにして、やがて、広瀬が瞳を閉じた。

 引き寄せられるように、広瀬の髪に手を触れる。そのまま、唇を近づける。

 広瀬の気持ちは、多分、知ってる。

 嬉しくも、思う。

 だったら、別に……。

――如月さん。……ありがとう。

 舞い散る雪の中、上原の笑顔が、触れた指の冷たさが、なぜか突然甦った。

(上原……)

「……如月さん?」

 唇が重なりかけた瞬間、動きを止めた俺に、広瀬が訝しげな声を上げた。その声で我に返る。

「あ……ごめん、俺……」

 間近で、黒曜石のような大きな瞳が俺を見上げていた。

 咄嗟に、やめた自分を自分でも理解出来ずに言葉に詰まる。誤魔化すように前髪に片手を突っ込んで、顔を逸らした。

「……ごめん。何でもない」

「如月さん……」

 動揺してるのが、自分でわかった。

 広瀬とキスしそうになったことにじゃない。それを、途中で投げ出した自分に、だ。

 無言のまま、視界の隅で少し寂しそうに俺を見つめる広瀬の視線を感じて、俺は、誤魔化す為の笑顔を顔の上に作り上げて、言葉を押し出した。

「何か、広瀬に妙なことしちゃいそうだな」

「あたし……」

「帰った方が、良い。……送るよ」

 返事を待たずに、俺は、広瀬に背を向けて立ち上がった。

 広瀬の顔を見ることが、出来なかった。


          ◆ ◇ ◆


 あの時のあの躊躇は何だったんだろう、と思う。

 ただ、広瀬の気持ちは多分……わかったし、そしてなぜか俺はそれに対して踏み込めずにいる。

 別に取り立てて奥手だとも思わないし、今更キスの一度や二度で頭を悩ませるような年でもないんだが。

 本来のバレンタインのその日、何の感慨も期待もあるわけではなく、しかもオフだったりしたので俺はひとりで家でギターを抱え込んでいた。新しいフレーズが浮かんだので、何だか昨夜からハマりこんでいる。これではせっかくのオフでも仕事しているのと変わらない。

 ヘッドフォンでギターの音をがんがん鳴らしていることに疲れ、夕方近くになって俺は伸びをしながらヘッドフォンを外した。

(あ、腹減ったな……)

 そう言えば何も食ってないっけ……。

 何か食おうかなーと思いながらぐるりと首を回してみると、変なものを見つけた。

(……は?)

 リビングのドアのすぐ脇の壁にかかっているインターフォンのカメラだ。普段はそんなものは当然オフになっているのだが、チャイムが鳴ると自動的にオンになるようになっている。その画面に、唇を尖らせた女性の姿が映っていた。白いふわふわのコートにジーンズ。眼鏡をかけてはいるが。

 ……上原だろう、やっぱりこれは。

 何だ何だ? チャイムを鳴らしたんだろうか。俺がヘッドフォンをしていたせいで、どうやらまったく気がつかなかったらしい。思案するようにカメラ越しにこちらを睨みつけている上原は、ふいっと背中を向けようとした。――待て待て待て。俺はいる。

「上原ッ」

 インターフォンに飛びついて咄嗟に言うと、画面の中で上原が足を止めて振り返った。

「何だ!! いるんじゃないッ」

「ごめん、ヘッドフォンしてて全然気がつかなかった」

「もおー」

 自分の家なんだからヘッドフォンしようが何しようが俺の自由では?

「どうした?」

「あのね、今、お邪魔だったり……しないよね? 紫乃ちゃん、福島だもんね」

「……別に。ひとりだけど」

「開けて欲しいんだけど」

「……いいけど」

 言いながら、ロックを解除する。カメラ越しに上原はにこっと笑って、手を振った。ばいばいって……お前は今からこっちに来るわけじゃないのか?

 カメラをオフにしながら、ふと思いついて寝室に放りっ放しの携帯電話を見に行ってみると、案の定上原からの着信があった。全然気がつかなかった。

 部屋のチャイムが鳴って、インターフォンを無視して直接玄関に向かう。部屋着にしている膝の抜けたジーンズと色褪せたトレーナーだけど……まあいいか。いいかというか、仕方ない。

 何も言わずにドアを開けると、上原は驚いたような顔をして俺を上から下まで眺めた。

「何だよ」

「……凄い。いかにも家で寝起きでひとりで暇してましたって感じ」

「悪態つきに来たんなら帰って良いぞ」

「違うけどッ。だって、ファンのコとかに見せたらびっくりしそうなんだもん。あ、でもこれはこれで嬉しかったりするのかなあ」

 何を言ってんだか。

「入るの? 入らないの?」

「入れてくれるの?」






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