第9話(1)
こうも長い間オフが続くと、休みボケになる。
おまけに現在事務所はスタジオ増設工事中だし、Blowin’としても1月に新しいシングルを録ってしまってしばらくはシングルのリリースを予定していないし、そうなってくるとテレビの出演とかそういうのも一緒に減っていくものなので……何となく休みボケを解消しきれずにいた。
「おはよー……」
同じく休みボケを脱することが出来ないような顔で、遠野がスタジオに入ってきた。珍しく俺に続いて2番手だ。
「早いじゃん」
ギターのチューニングをしながらぼーっとしていた俺が声をかけると、遠野もあくびをしながらぼーっとした眼差しを俺に向けた。
「4月から由依が幼稚園に行くって話になってさ。今日あちこち見てくるらしいんだけど……朝からはしゃぎまわってるもんだから、おちおち寝てらんなくて」
「……なるほど」
娘が幼稚園……。同い年の友人の口から聞くと複雑なものを感じる。
「何でまた?」
「尚香がさ、保育士の資格持ってるじゃん」
「ああ」
「働き始めて速攻で結婚しちゃっててちゃんと働いてないし……。で、そろそろ働こうかなあって言ってて。それにほら、幼稚園とか行ってる方が、小学校上がってから友達出来易いだろうから、由依の為にもその方が良いんじゃんってことになって」
「ああ、なるほどね……」
今いるのは、以前も使用したことのある代官山にあるレコーディングスタジオだ。
12月のツアーの、寄りによって武道館ライブのライブDVDを発売するという話で、発売自体はまだ先なのだが、そういうものを発売するにあたって、その……何つーか。……修正レコーディングと言うのがあったりする。
噂には聞いていたものの、俺も業界に入って初めて目の当たりにした事実ではあるが。
言い訳をすれば、積極的に作り変えようとしているわけじゃない。ただ、ライブとなるとどうしても勢いで音が変わったりして、それが冷静に聴くと「……どうよ?」ということになっていたりするのは事実だ。
お客さんに金を出して買ってもらう以上、寄り良い物を提供しなきゃならないのは提供者の義務でもあり、俺らの意思がどうであれ、事務所から半ば以上強制的に気になる点の部分修正を要求されるわけで……。
どっちにしても本人が演奏してることに嘘があるわけじゃない、文句はないだろう!!……というのは、我ながら詭弁のような気もするけど。本番の音を全部潰して、ゴーストが丸ごと差し替えている場合だってあるわけだし。
そういうのに比べれば……Opheriaなんかはそうなる可能性がかなり高いので、上原がいることを思えば、あんまり言えないんだけどさ……。
ともかく、やりたいやりたくないに関わらず、音楽市場としてはやらざるを得ないのが実情でもあったりする。ヴォーカルなんかは差替えはかなりしんどいので、余りやると言う話は聞かないけれど。
「そう言えばお前、マンション買うだの買わないだのって言ってたの、どうなったの」
しゃらしゃらと片手でギターを玩びながら尋ねると、遠野はギターケースからギターを取り出しながら俺を振り返った。
「ああ……しばらくバタバタしてたから話止まってたんだけど、この休みの間に決めてきて」
「え? まじで? じゃあ買うんだ?」
「買う」
「いつ引っ越すの」
「一応新築で3月から入居可能って話だから、3月入ってからだなーと思ってるよ。そしたら由依も4月からちょうど新しい家から通えるようになるし」
ふうん。ちゃんとパパしてんじゃん。
何だかそんな遠野が意外だ。
「借りてた仕事部屋ってどうした?」
床に直接座り込んで、ギターを抱えるような姿勢でチューナーにシールドを挿していた遠野は、俯いたままのくぐもった声で答えた。
「えー? 借りてるよー」
「え? まだ借りてんの?」
「何で?」
「だってもう近藤と会ってないじゃん」
「……俺、仕事部屋を借りたんですけど」
「……そりゃそうだけど」
しらっとした沈黙が流れていると、ドアが開いた。長身の人影が入ってくる。藤谷だ……あああああ?
「おはよーざいまーす」
「はよー……おおおおおおお? どおおおした? お前ええええ」
「……古典的な反応で嬉しいなあ」
挨拶を返した遠野の声が裏返る。俺も目を丸くして藤谷を凝視したまま、挨拶が口から出てこない。
「随分まあ、ばっさりいっちゃって……」
目をまん丸に見開いたまま遠野が、チューニングしかけのギターを放り出して藤谷に近寄った。ほとんどトレードマークのようだったその金髪の長髪が……すっぱりとなくなっていたのである。
「相当切ったな」
ようやくぼそりと言うと、藤谷はやけに爽やかに笑いながら頭を掻いた。
「相当切りましたね。前は腰くらいまであったから」
今は一番長いところでも多分5センチくらいだろうか。俺より短いんじゃないか?
元々童顔の嫌いがあるので、一気に5歳6歳は若返ったような気がする。遠野が面白そうに短くなった藤谷の襟足を弾いた。
「どうしちゃったの?」
「率直に言えば気分転換ですよ」
「ああ、そう……どう?」
「何か頭軽くなりましたねー。俺今体重計乗ったら5キロくらい変わりそう」
……お前の髪は鉛で出来てるのか? いくら長かったとは言え、髪を切ったくらいで5キロも変わってはたまらないだろう……。
そうこうしているうちに北条も到着し、一通り北条が藤谷の頭を見て騒ぎ終わると、俺たちはスタッフも含め、コントロールルームに集まって録音音源を聴いた。
映像はない。収録する時に、ライブレコーディングチームから映像に音が分岐してはいるらしいんだが、とにかく修正する時点で元となる音源はライブレコーディングチームの音となるわけだ、当然。
こうして映像なしで素で聴いてみると、ライブ音源というのはなかなかつらいものが……ないわけではない。特に今回の武道館に関しては、言い訳になるかもしれないが……各々思うところがあったわけで。それは直接当事者ではない俺や北条も例外ではなかったりするわけで。
本音を言えば、丸ごと直したくもなる。ライブならではの空気感であったりアレンジってのがあったりもするから、それを思うとあんまり直すのも、嘘っぽくなるみたいで嫌だなあとか思ったりもするんだが。
「M1流します」
今回ライブレコーディングをやってくれたサウンドフォレストの石脇さんが言って、パソコンのスペースキーを叩いた。数年前……Blowin'がファーストシングルなんかを出した頃とかは、某大手メーカー製の48chデジタルレコーダーなんかがまだ主流と言えたけれど、最近ではパソコンの普及に伴ってハードディスクレコーダーが流行っているらしい。エンジニアではないので、リアルな動向までは良くわからないけど。
「何か気になるところ、ある?」
長谷川さんが遠野に尋ねる。遠野の視線が俺に向けられた。……伝言ゲームじゃないんだから。
「俺は別に……」
「まあ、大丈夫だろう。じゃあここは、つるっといきましょうか」
長谷川さんの言葉に従って、石脇さんがそのままM2、M3と続けて流していく。
「これが……M4ですね……」
「彗介くん、このハモリ、どうする?」
「えー……いいですよ」
確かにちょっと外してるけどさ……ライブなんだしご愛嬌だろ……。
が、長谷川さんは渋い顔をした。
「え、やろうよ」
「……」
「よし、じゃあここパンチでお願いします」
勝手に決めてるし。
仕方なく立ち上がってスタジオに移動をする。何を録り直しになっても良いように、スタジオは既にマイク、楽器共にセッティング済みだ。ヘッドフォンをかけて声を出しながらコントロールルームの様子を見た。
こういうライブレコーディングなんかの録り直しだと、アーティストが自分の音を聴いて「嫌だー、こんなの売りたくない、直させてくれー」というパターンと、アーティスト側は「いーよこれで。だってこれでやってたわけじゃん」と思ってるのに、「直せるんだから直そうよ」と事務所サイドが積極的に強行するパターンとに分かれるんじゃないかと思うが、ウチの場合は圧倒的に後者だろう。Blowin’メンバーのこの差し替え意欲のなさときたら……。
あんまり変えるとさ……それこそ『作り物』になっちゃうからな……。
「じゃあちょい前から流しますよ」
ヘッドフォンから石脇さんの声が流れる。
「はい」
流れてきた音を手元のキューボックス(モニター機器)で調整し、自分の声を出してみる。
前にやった時も思ったけど、ライブレコーディングの直しは凄く難しい。
自分がどのタイミングでどんな声のテンションでやってたかなんて覚えているわけがないし、ライブでテンション上がりまくってるに決まってんだし。そうなってくると声の張りなんか全然変わってくるわけで。
声だけじゃなくて、ギターとかでもライブ音源はどうしても他の音と被ったりするから、やっぱり同じようにはいくわけがないし。
だからって俺たちがどう出来る問題でもないんだけどさ。後はエンジニアさんにお任せしてうまく合わせてもらうしか。
「入るとこわかった?」
「はあ、まあ」
問い掛けてきた長谷川さんに答えると、トークバックを切ってコントロールルームの中で長谷川さんが石脇さんに何か言うのが見えた。こちらには何を言っているのかは聞こえない。再びぷつっと切り替わる音がして石脇さんの声が流れる。
「じゃあ、録っていきましょうか」
「はい。お願いします」
◆ ◇ ◆
そんな感じで続けていくので、これはこれでなかなか時間が掛かる。大体黙って見てたって2時間半もあるライブなんだ。途中何度も繰り返し聞いたり、止めて録ったりしているのでこの仕事だけで数日は掛かるし、間に他の仕事も当然あるわけなのでそう簡単には終わらない。
その日は、大御所のコンビ芸人がやっているミュージシャン対象のトーク番組の収録があって、俺は六本木にあるテレビ局に来ていた。買い物がてら早めに出たので、集合時間には少し早い。仕方ないので、局内のカフェで暇を潰すことにする。
(上原、どうしてるかな……)
上昇するエレベーターの中で、ぼんやりと上原のことを思い出した。最近、少し……気にかかる自分に気がついている。
正確には、あのスキー以来だ。あれ以来……何だか俺の中で少しずつ、上原に対する意識が、変化しているような気が、する。
あれから上原に会う機会があったわけじゃないし、具体的に、何がどうってわけじゃない。そういうわけじゃない。じゃ、ないけど……。
……どうしてるんだろう、と言う思いが、度々過ぎる。顔が見たいような気がする。声を、聞きたいような気が。
広瀬と1月のオフの間に会って映画に行ったりもして、時々電話で話したりするのは、相変わらずなんだけど……。
けれど、俺って、もしかすると……。
雪の降りしきる中、上原が俺に向けた無償の笑顔を思い出すと、微かに心が音を立てる……。
「あ、彗介ー」
エレベーターを降りてあと一歩でカフェの中、というところで背後から金切り声が聞こえた。振り返ると、木村が小柄な体を弾ませるようにして近付いてくるところだった。
「ああ……おはよ」
「はよー。どうしたの? 今日、何? 何の収録?」
俺が番組名を告げると、木村は聞いてもいないのにあたしはねー、と言った。
「『Music Scene』なんだ」
「ああ、そう」
「ほら、CMのタイアップの。あれが発売されたしね。……何? お茶するの? あたしもする」
「どうぞ……」
なぜだか一緒にカフェの中に足を踏み入れると、席はがらがらで敢えて探すほどでもなかった。何となく窓際の方へ足を運んでいると、木村が「あ」と呟いた。
「え?」
「飛鳥ちゃんと池田くんだー」
……え?
一瞬、固まる。木村の視線を追うと、カフェの一番奥のテーブルでStabilisationの池田がやや斜めにこちらに向いて座っているのが見えた。その向かいにいるのは、斜め後ろからの角度ではあるけれど、確かに上原だ。
「あの2人って最近仲良いみたいなんだよねー」
「……席、座らないのか」
「座る座る」
カウンターでアイスコーヒーとレモンスカッシュをオーダーして受け取ると、適当な席に腰を落ち着けて煙草に火をつける。