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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
33/58

第7話(4)

(……どうして)

 そのことに今更思い当たって、唇を噛む。どうしてさっき、気がついてやれなかったんだろう……。

 のろのろ進む車の列をイライラしながら進み、ようやく新宿の遠野の家にたどりついた。遠野のマンションにはエレベーターはない。後から追いついてきた北条と共に剥き出しのコンクリートの階段を駆け上った。

「あ、如月くん……思音ちゃん……」

 遠野の家のチャイムを鳴らすと、不安げな顔をした尚香ちゃんが顔を覗かせた。少し甘い、ミルクのような匂いが家の中を漂っている。幼い子供がいる家の独特の匂い。

「ごめんなさい、忙しいのに」

「別に。北条とメシ食ってただけだから」

「上がって」

「お邪魔します」

 遠野の家に上がる。綺麗だけど、細々したものが整理されて置かれていて、俺の部屋とは違う、家庭だという空気を醸し出していた。

「今、お茶を……」

 泣きそうな顔のまま笑顔を浮かべる尚香ちゃんが痛々しくて、ソファに座らせる。

「いいから。どうしたの?」

「……このところ、帰る時とかにマメに電話くれるようになってたの。帰れない時とかも」

 そう言われて、俺の部屋から尚香ちゃんに電話をかけていたことを思い出した。そうだったな……近藤との付き合いがあって後ろめたいせいもあったんだろうが、以前には見られなかった細やかな心遣いがあったんだろう。

「うん」

「だけど昨日、連絡がなくて帰ってこなくて。元々そういう人ではあったから、仕事にそのまま行ったんだと思うんだけど……」

「……うん」

 確かに仕事には来ていた。様子はおかしかったけど。

「仕事には来てたよ」

 北条が頷く。余計な心配をさせない為か、遅れて来たなどという余計なことは口にしない。尚香ちゃんがほっとしたように肩の力を抜いた。

「そう……。それで、今日も連絡がまったくつかなくて。携帯は元々繋がらないけど、留守電を入れておくと折り返したりしてくれてたのに、それもなくて。……このところ、なかったことだから……心配に、なって……」

「昨日の朝出て行ったきり? 電話もなくて帰っても来ないんだ」

「そう……」

「携帯もつながらないのね」

「うん」

 もちろん北条も遠野が携帯の電源などろくに入れないことは知っている。勢い、3人とも沈黙になった。

「とにかく探すしかないけど……」

「ねえ、ちょっと痛いこと聞くけど」

 北条が尚香ちゃんに真顔で言った。微かに強張った顔で尚香ちゃんの視線が応じる。

「亮の、その……件、知ってるんでしょう」

「……ええ」

「それで、もめたりしたの?」

 尚香ちゃんは静かに首を横に振った。

「喧嘩、しなかったの?」

「してない。……だって、わたし、前から知っていたから」

 何ぃ!?

 ぎょっとして俺と北条は尚香ちゃんを凝視した。尚香ちゃんは力なく微笑む。

「前から、知ってたの。多分、最初の頃から。……2週間のパーソナリティやった頃かな。だから、別に……今更って感じだったし」

「ちょちょちょちょっと待った……それ、放っておいたの?」

 北条が切れ長の瞳を丸くして尚香ちゃんに詰め寄った。その勢いに押されながら尚香ちゃんが頷く。

「どうして!?」

「……その方が、亮くんに良いと思ったから」

「何でッ。頭来なかったの!?」

 その言葉に、尚香ちゃんはきゅっと軽く唇を噛んで寂しい笑顔を浮かべた。

「悲しかった。でも、亮くん、器用に遊べる人じゃないって知ってるから、本人もどうしようもないんだと思ったの」

「……」

「わたしは、亮くんと言う人を良く知っているつもり。多分、亮くんも苦しんでるんだと思ったから。本人にもどうしようもないものを、責めたって、追い詰めるだけ……」

 ……なんつー良く出来たヨメさんなのだろうか。こんなことを言ってくれる人は恐らくそうはいない。

「亮くん、仕事好きだから。仕事の為に……音楽の為に生きてきたような人だから。それで音楽がうまくいくのなら、亮くんにとって一番なんだと思った」

「はあ〜……恐れ入るわ」

 本当に恐れ入ったように北条が肩を落とした。まったくだ。怒鳴ってくれた方がまだましと言う部分も……ないわけじゃないけど。

「だから喧嘩とかそう言うの、してないし……」

「近藤と何かあったのかな」

「……自殺、とか?」

 北条が口にした言葉に俺は目を見開いた。

「まさか」

「わかんないよ。せっかく仕事つかんで、で、これからって時にあれだけバッシングくらってんだもの。あげく亮とだって別れることになったら、生きる希望なくしちゃうんじゃないの?」

「……」

 携帯電話を取り出して事務所に電話する。山根さんはもう帰っているらしく、電話に出たのは広田さんだった。遠野の立場がまずくならないだろうか。少し悩む。

「如月ですけど」

「ああ、お疲れ。今日のリハは何か悲惨だったって聞いたけど」

「ああ、はい……。それはともかく、すみませんけど、近藤の事務所って電話番号とかわかりませんか。近藤の自宅でもいいんですけど」

 探すと言っても東京を闇雲に探すわけにはいかない。心当たりを絞るしかないし、とすれば近藤の自宅だとか……近藤周辺を洗うしかないじゃないか。

「……何かあったのか」

「いや……今日、遠野の様子がおかしかったもので。何かあったんじゃないかと思って」

 行方不明だということはまだ言う必要はないだろう。広田さんは何かを感じ取ったようだけれど、短い沈黙の後、「少し待ってて」と言って保留にした。ややして受話器口に戻ってきた時には、近藤の事務所の電話番号を教えてくれた。

「残念ながら自宅の住所までは僕じゃわからないな。僕の方からナイトクルーズに連絡してみるよ。何かわかったらまた連絡する。如月くんが電話するより話が通じるだろう」

「あ、はい……。すみません。手を煩わせちゃって」

「ウチのアーティストのことだからな。僕だって無関係じゃない」

 電話を切って、少しの間広田さんからの連絡を待つことにした。藤谷には連絡をしようかどうしようか迷ったが、あいつはあいつで今彼女が大変だと言うことだったし、もう少し様子を見てから考えることにする。

「そう言えば、由依ちゃんは?」

 ふと気がついて尋ねた。尚香ちゃんは床に正座をして微笑んだ。

「ウチの実家に預けてるの」

「ああ、そうなんだ」

 尚香ちゃんの実家は渋谷区にあるから、ここからさして遠くない。

 それきり誰も何も言わずに、ひたすら広田さんからの連絡を待った。電話が来たのは15分ほどしてからだった。

「はい」

「ああ、如月くん。今いいかな」

「はい。大丈夫です」

「近藤が、今行方がつかめないそうだ」

 ……。

「絶対内緒にしてくれという条件話してくれたんだけどね。ウチも無関係じゃないから。逆に、亮くんの連絡先を教えて欲しいと言うことだったけど」

「……それで」

「教えてはないけどね。教えたところでどうせ繋がらないだろう、亮くんの携帯は」

「……」

「近藤が自殺未遂したのは知ってるか」

「え!? いつですか!?」

「正確にはよくわからないけど……一昨日か。自宅で手首切って倒れているのを、連絡がつかず心配になった事務所の人間が見に行って発見したらしい。極秘裏に病院に収容されたが、昨日行方不明になったそうだ」

「近藤の自宅と、その病院を教えて下さい」

 病院、という言葉に尚香ちゃんと北条が顔を上げるのがわかった。構わず俺は、広田さんの告げる住所をメモにとった。

「ありがとうございました」

「……亮くんは、そこにいるの?」

「……」

「亮くんも行方が知れないのか」

「……何かあったら、連絡します」

「わかった」

 何も言わずに飲み込んでくれたのをありがたいと思いながら通話を切る。俺は立ち上がって玄関に向かった。

「近藤が自殺を図ったらしい」

「え」

「やだ、本当に」

 俺の後をついていた2人が息を飲むのが聞こえた。

「幸い発見が早くて命は取り留めたみたいだけど、今行方不明だそうだ。近藤の自宅と、収容された病院がわかったから、ちょっと行ってみる。尚香ちゃんはここで待ってて」

 多分。

 多分だが……昨日から武道館に行くまで、遠野は近藤の行方を追っていたんじゃないだろうか。――そして、きっと、今も。

 近藤の行きそうな場所の心当たりなど遠野に比べれば、いや比べなくたって全くないが、近藤の周辺を洗えばそのうち遠野と突き当たるかもしれない。

「あ、でも……」

「遠野が帰ってくるかもしれない」

「……うん」

 靴を履きながら俺はメモを半分に破って、片方を北条に渡した。

「これ、病院の住所。行ってみてくれる」

「うん、わかった」

「何かわかったら連絡して。尚香ちゃんも」

「はい」

 北条がマンションを飛び出して行った。俺も走りかけて足を止める。尚香ちゃんを振り返った。

「尚香ちゃん」

「はい」

「あいつ、尚香ちゃんと由依ちゃんを大切に思う気持ちに嘘はないよ」

「……」

「必ず帰ってくるから。あいつを待ってやって」

「……うん」

 頷くのを見届けて、俺は遠野の部屋を飛び出した。

 とりあえず、メモに記された住所へ車を回す。雨はますます激しく車のフロントグラスを叩いていた。近藤の住居は恵比寿駅から割りとすぐの、小綺麗なマンションの3階だ。

 メモの通りに303号室へ向かう。どうせ誰もいないだろうとは思うのだが、他に手がかりが何もない。大体近藤のことなど何も知らないのだ。

 ……ここに、遠野がいてくれれば良いのだけれど。

 期待せずにチャイムを鳴らす。やはり、中からは物音がしなかった。少し待ってみて、小さくため息をつく。次はどう行動すべきか迷いながら踵を返しかけたところで、背後からカチャリと控えめな音がした。驚いて振り返ると、チェーンロックをかけたままドアが薄く開かれ、年配の女性がこちらを見ていた。

「……あ」

 咄嗟に言葉が出ない。年の頃は恐らく50代……もう少し上かもしれない。ふっくらとした体型で、田舎の、人の良いオバサンという感じがした。ただ今はひどく疲れたような顔をしている。落ち窪んだ目をしょぼしょぼさせながら、尋ねた。

「どちらさま?」

「あ……如月と言います」

 言いながら、自分で内心「何だ、そりゃ」と突っ込む。が、他に答えようがないだろう……。

「……マスコミの方?」

 彼女は僅かに瞳に警戒の色を浮かべて言った。

「違います」

 俺の言葉を疑うような目付きをしていたが、信じてくれることにしたらしい。ひどく訛りのある、早口な言い方で告げた。

「美月の、母です」

 近藤美月の母親……。






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