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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
32/58

第7話(3)

「良くないよ」

 押し殺したような声で遠野が応じた。

「良くない……わかってる。俺だって、ここでやりたいと思ってたさ。――ずっと、長いこと」

「だったら」

「ごめん。わかってる。凄ぇ大事な仕事なんだって、そんなの俺だってわかってる……。Blowin’を巻き込むつもりなんかないし、どれだけ多くの人がこのステージを支えてくれてるのかもわかってるつもりなんだ……」

 呻くように言葉を搾り出す遠野が、更に何かを続けかけたところで、廊下で足音がした。ノックがされて返事を待たずに開けられる。裏仲さんが喉用の加湿器を持って立っていた。

「どう?」

 答えようがない。

 沈黙で応じると、裏仲さんは構わずに中に入ってきて加湿器を遠野に渡した。

「ま、気休めかもしれないけどな。一応こんなものでもないよりましかと思って」

「……すみません」

「こうなってみると、リハ日を無理矢理作ったのは幸いだね。今日はリハだけだし、明日も本番前にリハをするから、最悪今日は声なしでリハやるってことも……可能と言えば可能だから。声だけ音流してもらって。ギターは弾けるだろう」

「はい」

「……ストレスか。プレッシャーかな」

 怒るかと思ったけれど、裏仲さんは意外と優しくそんな言葉をかけた。頼れる兄貴のようにぽんぽんと遠野の頭を軽く叩く裏仲さんに、遠野が堪えきれないように片手で額を抑え、顔を伏せた。

「……本当に、迷惑ばかりかけてすみません」

「人間だからね。いろんなことがある。ウチの商品はモノじゃないから、こういうことがあってもまあ……仕方ないかな」

「……」

「まだ時間あるから、ゆっくりすると良い。気楽にね」

「……ありがとうございます」

「あ、彗介くん」

「はい」

 出て行きかけて裏仲さんは、時計に目を落としながら俺に言った。

「今思音ちゃんがチェックしてるから、もうそろそろ……あっち、戻ってもらった方が良いと思う」

「はい……」

「じゃ、よろしく」

 バタンとドアが閉まって裏仲さんが出て行くと、遠野は深く息をついた。

「本当に、悪いと、思ってるんだ……」

 俺は瞳を閉じて息を深く吸い込んだ。そっと吐き出す。

「……仕方ない」

「彗介……」

「……ライブはナマモノだしな。どんなトラブルが起こるか予想もつかないもんだし。……まさか、こんなことが起こるとは思ってなかったけど」

「……」

「俺が、お前とやるって決めてるんだから、仕方ない。今日のリハは、もう、捨てだ。明日が終わったら何があったのか全部話せよ。聞いてやるから。してやれることがあるなら、何でもしてやるよ」

「……彗介」

 もう、しょうがない。出ないものは出ないし、それを責めてどうにかなるなら遠野だってとっくに歌っている。どうせ一蓮托生だと、こいつと共にギターを持って歩いてきた軌跡の中で決めてしまっている。

「何もしてやれないかもしれないけどな」

「……さんきゅ」


          ◆ ◇ ◆


 結局その日、遠野の声は出なかった。

 楽器だけでサウンドチェックとリハを済ませ、流れの変更点や再検討などのミーティングを済ませ、9時頃には武道館を出た。

「遠野、帰れるか」

 控え室で荷物をまとめながら尋ねると、遠野はまだ青白い顔のまま、微かに笑顔を浮かべた。

「大丈夫。……明日は、ちゃんとやれるから」

「ああ。真っ直ぐ帰れよ」

「うん……」

 藤谷は彼女の具合が良くないとかで、終わるなり飛んで帰ってしまっている。憔悴した様子で出て行く遠野を見送り、俺と北条はメシでも食いに行こうと武道館を後にした。

「亮、どうしたんだと思う?」

 なぜかお好み焼きなんか焼きながら北条が言った。ヘラで鉄板に触れている面を引き剥がしながら、目線だけを俺に向ける。

「どうせ、近藤だと思うけど」

「……思うよねえ」

「何があったのかまでは、聞いてないけど」

「迷惑な女」

 端的に感想を述べ、北条はヘラを鉄板の上に置くとウーロン茶に手を伸ばした。思わず苦笑する。

「仕方ないだろ、それは。遠野だって惚れたくて惚れてるわけじゃない」

「そりゃあそうだけどさ。尚香ちゃんどうなんのよ。良い迷惑じゃないの」

 それを言ってしまうと実も蓋もない。

 北条がさっきまで握っていたヘラを取り上げ、自分のそばにあるヘラと合わせてお好み焼きをひっくり返す。綺麗に焦げ目がついていて美味そうに焼けていた。ちなみにメシはしっかり弁当を食っているので、ビールのつまみがてら、1枚だけ軽く焼いているだけである。

「明日は声が出ると良いけどな」

「彗介、怒んないの?」

「何が?」

「亮のこと」

 ヘラを置いて、灰皿に放置してあった煙草を取り上げる。

「俺、怒鳴ったよ。遠野のこと」

「え? いつ?」

「サウンドチェックん時。俺、様子見に控え室行って」

「そうなの?」

「うん」

「全然そんなふうに見えなかったんだけど」

 やっぱ彗介ってわかんない、と失礼なことを呟いて北条はため息をついた。

「1回怒鳴れば俺の気持ちはわかるだろうし、そしたらいつまでも引きずってたって仕方ないだろ」

「……人の感情って、そうやって決着つくもん?」

「俺はつく」

 あ、そ……とあきれたように頬杖をつく。何かまずいだろうか、俺。

「そろそろいいんじゃない」

「そうだね。ソース、どれ?これ?」

「それじゃない」

 ごちゃごちゃ言いながらソースを塗りたくっていると、俺の携帯が鳴っていることに気がついた。

「彗介、電話」

 北条も気がついたらしく、マヨネーズをお好み焼きの上にバラまきながら指摘する。煙草を灰皿で消して、携帯電話を取り上げると同時に着信が切れた。

「……あれ?」

「誰?」

「……遠野。家電だけど」

 珍しい。家の電話からかけてくることもないわけじゃないけど、遠野は常に携帯をオフってる割りにはかける時だけ電源を入れるので、携帯からの着信の方が圧倒的に多いのだが。

 携帯を操作すると、着信履歴は何度かあるようだった。

「何度もかかってるな……気がつかなかった」

「そう? あれ? じゃあもしかしてあたしも入ってるかなあ……」

 俺につながらなければ北条にかけることも考えられる。北条も携帯電話を取り出してみたが、予想に反して北条の携帯には着信はなかったようだ。

「……もしかして、尚香ちゃんじゃないの」

「ああ、そうかもしれない」

 ……尚香ちゃん?

「……何で?」

 尚香ちゃんなら北条の番号は知らないけど、俺の番号は控えているということは考えられる。考えられるけど、遠野を経由しないで俺に直接連絡が来ることはまず考えにくい。

「かけてみれば」

 お好み焼きを切り分けながら言われ、俺は頷いてリダイヤルボタンを押した。

「はい、遠野です」

 すぐにコール音が途切れ、尚香ちゃんの声が流れて来た。周囲がうるさいせいで少し聞き取りにくい。俺は空いている片耳を手で抑えながら口を開いた。

「如月ですけど」

「如月くん……」

 俺だとわかった途端、縋るような声に変わる。電話をしてきたのは尚香ちゃんらしい、と確信して俺は携帯を握る指に力を込めた。

「何か、あったの?」

「亮くんが、何か様子おかしくて……今日、仕事とかどうなったのかなって……」

「様子がおかしい? 今、いるの?」

「帰ってないの」

「……」

「昨日も、帰って来なかった。今日も連絡つかなくて……」

 えええ!?

「行くよ、今から」

「ごめんなさい、わたし、他にどうして良いかわからなくて」

「いいよ。わかってる。俺に連絡くれてありがとう。待ってて」

 まったく……本当に手がかかる……。

 携帯を切って、皿に取り分けたお好み焼きを食っている北条に慌てて言った。

「北条、遠野ん家行くぞ」

「はあ?」

「何か遠野が行方不明」

「行方不明ぃ!?」

 口に運びかけていたお好み焼きの切れ端をポロリと箸の隙間から落とす。

「のんびり食ってる場合じゃない」

「ちょ……」

 焼くだけ焼いて一口もお好み焼きを食べずに、俺は会計を済ませて店を飛び出した。北条が慌ててついてくる。外に出ると、雨が降り始めていた。

「何よ、どうしたの?」

「よくわからんけど、遠野が昨日から帰って来ないらしくて今も音信不通らしい」

「何よそれぇー」

「わかんないから行くんだろ。尚香ちゃんひとりじゃ可哀想じゃないか」

 言って車に乗り込む。

 北条もあっけにとられたような顔のまま、俺の隣に停めてある自分の車に乗り込んだ。そのまま遠野の家を目指す。

 雨は段々激しくなり、そのせいか道路はなかなか混んでいた。車を運転しながら何度か遠野の携帯を呼び出すが、やはりと言うか何と言うか、一向につながる気配がなかった。

 元々携帯に電源が入ってない奴ではあるから、携帯が繋がらないと言うことが何かあったと言うことにはならないけれど……。

(何してんだよ、もう……)

 舌打ちしたい気分を抑えながら思う。雨で霞む道路に続くテールランプが苛立ちを加速させた。

 ……何があったんだろう。

 気分を落ち着かせる為に煙草をくわえる。少し冷静になれ、と自分に言い聞かせた。

 遠野は、誰よりも音楽が好きだし、こと音楽に関しては下手をすれば俺よりシビアとさえ言える部分もある。その遠野が、憧れの日本武道館を目前にあれほどガタガタになることは通常ありえない。

――逆に言えば。

(そうだよな……)

 逆に言えば、その遠野がガタガタにならざるを得ない何かがあったんだ。あいつが責任感が強いことは俺は良く知っている。仕事への熱意が薄いんじゃない、どれほどの仕事への熱意があったとしたって壊れざるを得ない何かがあったんだ。






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