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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
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第7話(2)

 裏仲さんが言って、急いでミーティングに入る。途中PAスタッフが様子を見に来たが、それに謝罪して最小限の打ち合わせだけ済ませるとリハーサルに入るべくホールへ移動した。

 廊下を歩きながら、遠野に視線を向ける。どこか虚ろで気持ちがここにないようだ。

「遠野」

「……うん」

「俺、今日、セッティングずっと見てたんだよ」

「……」

「スタッフ、昨夜から今朝までかかってステージ作り上げてるんだ」

「……」

 たった1日のステージの為に。

 明日が終われば、全て撤収する――たった2時間半の為だけに全てが作られている。身を、削って。

 反応の薄い遠野の肩を掴む。痛いだろうというくらいの力を込めて。

 足が止まる。間近で、遠野の黒目がちな大きな瞳が俺を見つめていた。

「このステージは、俺らだけのものじゃない。わかってるな」

「……うん」

 遠野が掠れた声で答えた。


          ◆ ◇ ◆


 挨拶をしながらステージに立つ。

 ローディーさんがセッティングを済ませていてくれたステージ上のギターを取り上げて、俺は客席を見渡した。武道館はドームなんかに比べればそんなに広くはない。けれど。

(凄ぇ……)

 手が微かに震えるのがわかった。……俺は今、日本武道館のステージの上に立っている。ギターを持って。

 どれほど憧れただろう。まだ静岡で、駅前のライブハウスでしゃりしゃりギターを弾いていたあの頃の俺に言ってあげたい気がした。

 夢は、叶うから。嫌なことがあっても負けずに続けて頑張れって、伝えてあげたい。

――俺は今、こうしてここに立っている。

 チューニングなんかは既に済んでいるので、俺はアンプからギターの音を鳴らしてみた。人がいないせいで音がひどく響くように感じられる。今、俺のギターは誰もいない観客席に向かって、確かに音を鳴らしていた。

 遠野がギターを肩からかけてセンターに立つ。マイクに手を掛け、声を出した。

(……!?)

 ……はずだった。

 藤谷と北条は気がつかなかったらしい。構わずに適当に音をかき鳴らしている。思わず遠野に視線を向けると、遠野自身が愕然としたような表情をしていた。ステージからちょうどセンターに位置するPA席で、ハウスエンジニアの望月さんが不審な表情でこちらを覗き込むように背伸びしているのが見える。

「どうしました?」

 ステージ袖に控えていたモニターエンジニアの田淵さんとステージマンの森口さんが遠野に近付いた。遠野が何か答えている。それに幾度か頷き、田淵さんがモニター卓の方へ戻って行った。……どうしたんだろう。

 首を傾げながら、またギターの弦に指をかける。音を鳴らしながら視界の隅で遠野の様子を窺っていると、遠野のすぐ背後に立ったままだった森口さんが首を横に振った。望月さんと田淵さんに、それぞれ腕でバツ印を作って合図する。何だか様子がただごとではない。さすがに様子が変だと気がついて、藤谷も北条も音を出すのをやめていた。

「……亮?」

「どうした?」

 北条と俺が近寄りながら口々に尋ねると、遠野は右手で口元を覆って俯きながら掠れた声を押し出した。

「声が……」

「え?」

「声が、出ない……」

 ……何ぃぃぃぃッ!?

「え、だって今しゃべれてるじゃん。何? 声が出ないって」

 ハウスミキサーを離れて望月さんが足早に近付いてくる。

「遠野さん、どうしました」

「……」

「声、出してるみたいですけど……信号がかなり微弱で」

「……出て、ないんです」

 途切れ途切れに言う。出てないの意味がわからない。今は、掠れてはいるものの出ていないという程ではないのだ。

「ちょっともう1回やってみてもらえますか」

 客席の後ろの方の壁際から様子を見ていた裏仲さんが、小走りにステージに近付いてきた。スーツなんか着ているくせに、意外と身軽にステージに飛び上がる。

「亮くん、どうした?」

「あ、ちょっと声が出ないみたいで」

 遠野のそばに控えたままの森口さんが代わりに言った。

「声が出ないッ!?」

「ええ……ちょっといいですか」

 遠野の脇から割り込むように、森口さんがセンターマイクの前に立った。ヘイだのハーだの、PAがマイクチェックによく使う声を出してみる。

「回線は、正常みたいですけど……」

 森口さんがどくと、再び遠野がセンターマイクの正面に立ち、口を開いた。息を吸い込み、歌うように声を出す。……出ていない。出ていると言えば言えるのだろうが、声というよりは空気を搾り出す音という感じで、到底歌う感じではない。

「遠野、具合悪いのか」

 尋ねると遠野は力なく顔を横に振った。

「昨夜酒でも飲みすぎたとか」

 裏仲さんの言葉にも力なく首を振る。参った、と言うように裏仲さんはこめかみに手を当てると、望月さんに言った。

「とりあえず、サウンドチェック始めてもらえますか。ちょっと亮くん、時間もらって……ドラムからでしょう」

「ええ、それはまあ……」

「他の3人終わってから亮くんのギターと声やってもらう感じで。ちょっと一旦休ませてきます」

 おいおい。

 遠野が裏仲さんに肩を抱かれるようにして顔面蒼白のままステージを下りていくと、望月さんたちも自分たちの持ち場に戻って行った。

「じゃあ……サウンドチェック始めましょうか。宜しくお願いします」

「お願いします」

「じゃあ藤谷さん。キックからもらえますか」

 とりあえず藤谷が終わるまで、俺と北条の出番はない。一旦楽器をスタンドに戻してステージを下りる。観客席に下りて藤谷の音が作られていくのを聞いていた。

「亮、どうしたんだと思う?」

 俺の隣に立っている北条が小さく尋ねた。そんなこと俺に言われてもわかるわけがない。

「……さあ」

「精神的なもの、かな」

「……」

 先ほどまでの高揚した気持ちは既になくなっていた。遠野が歌えなければ、Blowin’のステージは成り立たない。

「俺、ちょっと見て来る」

「……うん。あたし、ここにいるよ」

「うん」

 客席から廊下へ出ると階段を下りた。俺たちの控え室としてあてがわれている部屋へ足早に急ぐ。途中、裏仲さんとすれ違った。

「遠野、どうしたんですか」

 俺の問いに、裏仲さんは複雑な顔をして肩を竦めた。

「俺にも良く分からない。とりあえず今は休ませているけどね……。まあ、亮くんのサウンドチェックまで短くても20〜30分はかかるだろうし……それだけ休めば何とかなるかもしれないけど……」

 何とかなれば良いんだが。

「俺、見に行っても平気ですか」

「平気だと思うよ。具合が悪いわけでもなさそうだし。……俺には言えないことも彗介くんになら言えるかもしれないし」

「……」

 裏仲さんに頭を下げて、俺は廊下を走り出した。まったく手のかかる……。

 控え室の前で足を止める。ドアをノックすると、遠野の声が答えた。

「……はい」

「俺」

 言いながら返事を待たずにドアを開けた。遠野は、一番奥の椅子に腰を下ろしてテーブルに突っ伏していた。その姿勢のまま、顔だけをこちらに向けている。

「……」

「どうした? 何かあったのか」

「……」

「……北条が、精神的なものじゃないかって言うんだけど」

 その言葉に、遠野は小さく微笑んだ。青白い顔色は変わらない。

「上がってんのかな、俺」

「まさか」

「……まさかって何、まさかって」

 それもそうか。

 けれど、その言葉がひどく嘘っぽく聞こえて仕方がない。

「お前と何年つるんでると思ってんの、俺」

「……」

「そういう感じじゃない。心ここにあらずって感じだけど」

「そういうわけじゃ……」

「遠野」

 椅子を引いて遠野の斜向かいに腰を下ろす。声が出ないと言っているんだから、風邪とかではないにしろ煙草を吸うのは控えておくことにした。

「――遠野」

 繰り返す俺に、言葉もなく視線が向く。

 俺はテーブルの上に両肘をつき、手を組んでその上に顎を乗せながら遠野を真っ直ぐ見つめた。

「ミュージシャンってさ、CD売ることが目的じゃないんだなって思うんだよ、俺」

 いきなり何の話を始めたのかと言うように、遠野が訝しげな視線を俺に投げ掛けた。構わず続ける。

「もちろん、CDとかグッズの売上ってなきゃ食ってけないんだけどさ。本来は録音メディアって、自分らの音楽の啓蒙のツールに過ぎないんじゃないかって言うか……」

「……」

「ライブありきで、目指すステージがあって、そのステージに動員する為に自分たちの音楽を知ってもらう――それがCDであったりテレビであったりする。……そんな気がする、俺」

「……」

「俺にとっては、目指すステージが日本武道館――ここだ」

 俺の言いたいことがわかったらしく、遠野は目を伏せた。俺は微かに苛立ちを覚えながら低く続けた。

「日本武道館でライブをやりたいって、ずっとそう思ってた。その為に、CDを売ってきたんだ。俺たちの音楽を知ってもらって、共感を得てもらって、日本武道館を使えるだけのファンが増えて……初めてここでライブが出来る」

「……」

「……わかってんのかよッ!?」

 テーブルを両手で殴ると、遠野が顔を背けた。薄く唇を噛み締めるように。

「……わかってるよ」

「わかってない。何で声が出ない!? お前の歌がなきゃステージは成立しない。――近藤に振り回されるな!!」

「……」

 立ち上がると、遠野は微かに目を見開いていた。恐らく、声が出ないほどの精神的ストレスの原因を俺が近藤だと特定したからだろう。正しいかどうか知らない。けれど他に考えられない。

「恋愛するのはいいさ、俺はお前の妻じゃない。別に近藤との関係だってとやかく言うつもりはない。でも仕事はちゃんとこなせ!! 一体どれだけの人間がこのステージの為に骨を折っていると思ってるんだ!?」

「……」

 大道具のおっさんが軽快に笑った顔を思い出す。「仕事だからな」と笑ったその快活な様子。昨夜から徹夜で肉体労働をこなしてひどく疲れているだろうに、そんな様子を微塵も見せずに「大変なのはあんたたちだ」と励ましてくれた声。

 客を喜ばせるのが俺たちの仕事だと。俺たちには出来ない仕事なんだと。

 そう言って笑った彼の、他の大勢のスタッフの努力を。

 ……これまでの俺たちの努力を。

「多くのスタッフが睡眠削って俺たちのこのステージの為に働いてるんだ。本当にそれがわかってるのか?」

「……」

「……いいのかよ、それで」






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