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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
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第7話(1)

 結論から言えば、俺の夢のステージでもあるツアー幕開けの武道館コンサートは、悲惨の一言に尽きた。

 10月に発売された6枚目のシングルの売れ行きは、5枚目に比べてひどく落ち込んだ。遠野の一件が関係あったのかなかったのかは、わからない。

 けれど、その前に出ていたシングルが功を奏したのか11月に発売されたアルバムは初登場1位のまま2週間が続き、ツアーのチケットも何とかソールドアウトとなった。――辛うじて、と言うのが、俺の感想だ。

 ともかくも、ツアーのゲネプロと年末の歌番組の収録でひどく忙しく、広瀬と約束した映画は年始になりそうな気配だった。広瀬の方もやはりいろいろと忙しいらしく、俺も元々積極的に連絡を取る性格をしていないせいか、お互いに連絡が間遠になっている。

 遠野があれからどうなったのか、細かいことは聞いていない。ただ、何も言わないので尚香ちゃんとは別れることにはならずに済んだのだろう。近藤とはどうしたのかは、俺は知らない。

 ただ、近藤に関して言えば広田さんの読みは見事に当たっていたと言える。

 あれから何度か近藤はスポーツ新聞や週刊誌に取り上げられ、昔やっていた『メロンドリーム』というふざけた名前のアイドルグループの後、アダルトビデオに出演しただとか成人男性向け雑誌のグラビアに出ただとか、事実かどうかは知らないがそう言った暴露話がいくつか報じられた。

 近藤が出演していた製薬会社のCMも打ち切りとなったらしい。子供向け風邪薬のCMで、対象は母親……つまり主婦層であった為、主婦と敵対関係にある『愛人』のイメージのついた彼女は製品の印象を落とすとされたのだろう。

 年末押し迫るクリスマス間近、Blowin’は明日からの武道館コンサートに向けて現場でのリハーサル日を迎えていた。

 そんな最中、近藤美月が姿を消した。

 

 俺はその時、何も知らずに武道館へ出勤していた。

 ……『武道館に出勤』って……響きが凄いよな。

 関係者駐車場に車を停め、降り立ったその場所で武道館の緑色の屋根を眺める。

 憧れぬいたステージだ。

 それが、今ここにいる。

 俺たちの強硬な要請で本番とは別にリハーサル日を設けさせているから本番はまだなんだけど、それでも今日……俺は初めて、日本武道館のステージに足を踏み入れるのだ。全身に鳥肌が立った。

(ちょっと歩いて来よう……)

 興奮の余り、早く着いてしまった。早く着きすぎてしまった。

 俺たちの入り時間は12時なんだが、今はまだ8時だ。いくらなんでも早すぎるのはわかっているんだけど、昨夜からもういても立ってもいられなくて。

 ……まるで初めて遠足に出かける幼稚園児のようだ。

 ぐるっと駐車場を横切って武道館の裏手に回る。裏側は、塀と武道館の間が意外と狭くなっていた。しばらく歩いていくと、何やら外に剥き出しの螺旋階段のようなものがある。非常階段、なのかな。

 立ち止まると、俺から左手の塀際には落ち葉が集めてあった。大きな木が今は、葉も落ちて寂しそうに立っている。ここだけ見ると、思わず寺の裏庭か何かを連想させる。螺旋階段からすぐ、俺の右手には緑色の重たそうな両開きの鉄の引き戸があり、今はそれは開け放たれていた。ここからスタッフが何か運び込んだりとか出入りするんだろう。

 近付いて武道館の内部を覗き込むと、まるで校舎のような白っぽいリノリウムの廊下が続いていた。きゅっきゅっという足音が近付いてきたので、顔を向ける。

「うわぁ。……如月さん、何してんですかこんなとこでこんな時間から」

 現われたのは俺も顔を知っている照明スタッフだった。今回のツアーのスタッフは、前回とほぼ同じなので見知っている顔もいくつもある。名前は申し訳ないが、覚えていない。

「……おはようございます」

「おはようございます」

 はしゃいでいるのがバレているような気がして気恥ずかしく、とりあえず挨拶をして中に足を踏み入れる。

「ええと……前のツアーの時も確かやってくれてましたよね」

「あ、はい。大場です」

「如月です。宜しくお願いします。……いや、何か興奮しちゃってるって言うか……嬉しくて、早く目が覚めちゃったもんで」

 我ながら子供じみている。

 俺がバツが悪そうに言うと、彼は恐らく俺とほぼ同世代の顔に気さくな笑顔を浮かべた。

「Blowin’って、武道館、初めてでしたっけ」

「ええ」

「それじゃあ、嬉しいですよね」

 何せロックの聖地ですからね……と言う大場さんの言葉が嬉しくて、俺も笑顔を返した。

「じゃああちこち散歩したらどうですか」

「大丈夫ですか」

「大丈夫だと思いますよ」

 話しながらホールへ向かった。開けっ放しのドアから中を覗くと、スタッフがバタバタとパイプ椅子を並べている。大道具はほぼ設置が完了しているみたいだった。

 凄い。天井の方――遥か上の方で、通された鉄筋に足を挟んで落ちないように照明スタッフがライトを配置している。

「ああいうの、怖くないですか?」

 眺めながら言うと、大場さんも目をやりながら頷いた。

「怖いですよ。俺、19から照明やってるんですけど、それでも今は随分楽になりました」

「そうなんだ……」

「先輩の話なんか聞いてると、もっと前はもっと凄かったみたいだし。PAなんかも、今はスピーカのセッティングも楽になりましたよね。ラインアレイ吊るすようになったから、昔みたいに積むことも少なくなったし。事故も、減りましたよね」

 大場さんがそう言ったところで、ホールの方から「下がれー」という怒声が聞こえた。視線を向けると、ホールの床に巨大な四角い穴が開いているところだった。見ていると、床の一部が昇降式になっていて、どんどん下へ下がっていく。ややして再び上がって来た時には、パイプ椅子を積んだラックを乗せていた。

「凄ぇ……あんなふうになってんだ、ここって」

「ええ。地下にパイプ椅子を収納してあるんですよ。ああして床下ろして運んだ方が早いですからね」

 それもそうだ。

「シュートは、あと1時間くらいですか」

「いや、もう少し後ですね。PAが9時頃音出すって聞いてるんで、多分10時頃じゃないですか」

「ふうん」

 それじゃあ、と仕事の残っている大場さんと別れて、俺はふらふらと武道館内を歩いていた。あちこちからバタバタといろんな音や声が聞こえてくる。地下へ下りていくと何やら学校の部室のような空間があり、更にその奥に非常に入りにくそうな小部屋があった。興味があったので覗きこんでぎょっとした。

「ど、どうも……」

 Tシャツやランニング姿の男性が、2畳ほどの狭いスペースでガシガシと弁当を食べていた。な、何だろう……。

「はよーざいますー」

「お、おはようございます」

 手近にいる、既に弁当を食べ終わっているらしい男性が煙草をくわえながら俺を振り仰ぐ。恐らく40歳くらいのガタイの良い男性だ。

「あれ? アーティストさん?」

「あ、はい」

「アーティストさんの控え室、こっちじゃないよ。ここは大道具」

 ああ、大道具さんの控え室なのか……。

「早いねえ」

「あ、何か、興奮しちゃって」

「ああ、そう」

 人の良さそうな笑顔を日に焼けた顔に浮かべて、男性は煙を吐き出した。

「むさくるしいところに迷い込んじゃったねえ。こんな狭いところで男が寄せ集ってメシ食って」

「朝ご飯ですか」

「まあそんなところ」

「大変ですね……」

 俺の言葉に男はにかっと笑った。

「ま、俺らはこれ食ったらもうじき帰るからな。こっから大変なのはあんたたちでしょ」

「はあ……」

「頑張んなさいよ」

「うッ……」

 ばしっと肩を叩かれて思わず呻く。大して力を入れたつもりもないんだろうが、何せ元のガタイが違う。

(痛ぇ……)

「もう、帰るんですか」

「おう。俺ら昨夜の11時入りだしな。帰って寝かせてもらうわ。大体作るモン作っちゃってこんなにいてももうしょうがないだろ」

「はあ……」

 昨夜の11時入り。――今まで?

「昨日までほら、何だかここ使ってたろ。だからもう大慌てよ。21時に昨日の何だかが終わって、バラし23時までにやってもらって、そっから搬入入って。PAなんかも1時頃入って明け方一旦帰ったんじゃねえかな。照明の方もいつ来たか知らんけど4時くらいに1回帰ってな」

「……そうなんですか」

「ああ。今回ちょっとスケジュール詰まってるから、しょうがないやな。年末はどうしても仕事が立て込む」

 ぷかーっと煙を吐き出し、さして大変でもなさそうにあっけらかんと言うのを、俺は頭が下がる思いで眺めた。

 心の底から、頭を下げる。言葉にならない感謝の気持ちが、込み上げる。

「お疲れ様でした」

「何、これが仕事だ。あんたたちはお客さんを喜ばすのが仕事だ」

「……はい」

「それは、俺たちには出来ねぇ。あんたたちにしか出来ねえ仕事だ」

 もう一度頭を下げて部屋を出た俺は、廊下に出て息をついた。

 前回のツアーの時は何だか上がっててそれどころじゃなかったし、これまでのライブはそれほど大掛かりなものをやっていない。こんなふうにスタッフさん達が神経すり減らして、睡眠時間減らして走り回っている姿を目の当たりにすることはなかった。

(成功、させなきゃ)

 改めて思う。

 大勢のスタッフに支えられている。

 会場警備の人まで含めればその数は計り知れず、俺が顔を見ることもない人も多くいるだろう。

 けれど、そのひとりひとりがコンサートの成功を願って、頑張っている。お客さんのひとりひとりが、コンサートの成功を望んでいる。

(客を喜ばすのが俺たちの仕事……)

 誰も見ていないところで、深夜、俺たちの舞台を作り上げてくれた人たちが、明け方帰るんだ。胸がいっぱいになって、思わず涙が出そうになった。

 それからしばらくの間、俺はふらふらと武道館の中を歩き回って、スタッフの邪魔にならないよう気をつけながら準備を見ていた。集合時間が間近に迫り、俺たちの控え室に用意された部屋へ移動する。さすがに遅刻魔の藤谷と北条も今日はもう来ていた。

「おはよーございます」

「はよ。彗介にしては遅くない?」

「俺今日8時からいる」

「……何してんすか、そんな時間から」

「見物」

 椅子を引いて座りながら煙草をくわえた。よく考えたら今日は1本も吸っていない。興奮してて、気が回らなかったらしい。火をつけながら時計を見る。

「……遠野は?」

「まだみたい」

「ふうん……」

 その時は、まだ何とも思わなかった。今日のスケジュールを確認しながら、集合時間を待つ。裏仲さんや、こっち側のスタッフが集まり始めて間もなくミーティングを始めようという頃になって、さすがに「どうしたんだろう」と不安になった。

「……遅いな」

「まさか今日まで遅れることないですよね?」

 不安な色を目に浮かべて藤谷が言う。まさか。……わからんけど。

「何してるんだ?」

 眉根を寄せながら、裏仲さんが腕時計を覗き込んだ。ブルガリの高級な時計である。羨ましい……いや、そんなことを言っている場合ではない。

「シュート終わりましたー」

 照明スタッフの女性が顔を覗かせて言った。それに生返事を返しながら、イライラと裏仲さんが出て行く。

「……何かあったのかな」

「交通事故とか?」

「わかんないけど」

 それだったら電話の一本でも入って良さそうなものだ。顔が知られているんだから身元が割れるのは簡単だろうし、事務所には誰かが絶対いるんだから。

 ミーティングの開始予定時間を20分近く過ぎたところで、廊下の方から裏仲さんの声が聞こえた。あわせて、遠野の声。

「あ、来た」

 バタバタという足音と共に遠野が駆け込んでくる。さすがに怒ろうとして立ち上がった俺は、思わず絶句した。蒼白な顔はひどくやつれていて、目の下に隈を作っている。言おうと思った言葉を飲み込み、口から出てきたのは別の言葉だった。

「……どうした?」

「……何でもない。ごめん」

「何かあったのかって心配したじゃないよ」

 北条が怒ったように腕を組んで言った。遠野は反論する気もないように頭を下げた。

「ホント、ごめん」

「とにかくすぐミーティング入るよ。もうシュート終わってるんだから。PAの回線チェックはもう終わってるんだし、後はこっち待ちなんだからな」






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