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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
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第1話(2)

「……どっちなんだよ」

 マスターが俺と上原のやりとりを聞きながら、CDのパッケージを開けてカウンターの奥にあるステレオにセットする。……正気?

「マスター、かける気?」

「いいじゃないか。せっかく演奏者本人がいるのにかけないテはないだろう」

「あるでしょう」

「いいじゃない、あたし、この曲好き。元気になれるし、頑張ろうって思えるし」

「……」

 微かにスピーカから音楽が聴こえてきた。人によってはうるさいと言われかねない俺のギターだ。マスターが音量を上げる。場違いと言えば場違いな音楽に、先ほど入って来たサラリーマン風の2人連れが顔を上げた。

「あ、俺これ知ってる」

「そうなの?」

 どきっとした。顔こそ向けないものの、全身が耳になってしまう。マスターも上原も、俺の空気が伝わったのかじっと後ろの会話に神経を向けているのがわかった。

「この前ラジオでかかっててさ。たまたま聴いたんだけど、かっこいーなあって思ってちょっと真面目に聴いちゃったんだよな。売れるんじゃないかなあ、これ」

「へえ」

 ラジオか。ラジオ番組全てをチェックしているわけじゃないからわからない。ラジオ局には当然サンプルがバラまかれているし、リクエストなども含めればどのタイミングでかかるかなど予想がつくものでもない。

「買おうかなーと思ったんだけど、アーティスト聞いたことない人だったからよくわかんなくってさ。何かそれっきりで……」

「ふうん。マスター、これ、CDですか?」

 サラリーマンのひとりがマスターに声をかけた。洗ったグラスを拭いていたマスターがにやりと笑う。

「そうだよ」

「何てアーティストですか」

「Blowin’」

 バンド名を覚えていないマスターがCDのジャケットを見るより早く、上原が答えた。にっこりと笑顔を向ける。

「お好きですか?」

 上原に可愛らしく微笑まれて、どぎまぎしたような表情で男のひとりが頷いた。

「ええ、まあ……。他の曲は知らないけど……」

「お客さん、この人本人」

 マスターが不意に言った。……どうしてそういう言わなくても良いことを。

 思わずテーブルに突っ伏すと、背後でええ?と声が上がるのが聞こえた。突っ伏したままの俺の頭の上でマスターが続ける。

「このコ、この曲のバンドのコだから、応援してあげてよ。……ほら、ケイちゃんも何か言ってあげたら」

「あのねえ、マスター」

 頭をゆさゆさとされて、仕方なく顔を上げる。どうしろと言うんだ? 仕方ないので、とりあえず振り返って頭を下げた。

「あの……よろしくお願いします」

 ほら見ろ。向こうだって何て言っていいのか困ってるじゃないか。大体「本人」なんて言ったって、向こうからすれば俺の顔なんか見たことも聞いたこともないわけで。「はあ、誰?」ってのが正直なところだろう。そう思えば気恥ずかしくも気まずくもあり、カウンターに向き直ると、男のひとりが言った。

「じゃあ、サインもらっても良いですか?」

「は!?」

 ぎょっとする。サインって何だ、サインって。そんなものはホテルのチェックイン時と宅配の受け取りの時にしかしたことがない。大体サインってのは有名人がするからこそ意味があるんであって、俺が書いたらただの落書きだ。

「……や、それは……ちょ……」

「いいじゃないか、書いてあげれば」

 他人事だと思ってマスターが言う。ごそごそとポケットを漁っていたサラリーマンが、手帳の白紙のページを開いてペンを片手にこちらへ歩いてきた。

「お願いします」

「や、あの……サインなんか書いたこと……ないし。俺のなんて持ってても……」

 しどろもどろに言うと、サラリーマンはいやにきっぱりと首を横に振った。

「いや、絶対売れますよ、この曲」

「そりゃあ、そうなれば良いなあとは思ってますけど」

「プロのミュージシャンに会ったのなんて初めてだし」

「……名前、書けば良いんですか?」

「あとバンド名と日付」

「はあ……」

 ここまで言われてはやらないわけにはいかない。マスターにCDなんか渡すんじゃなかったと思いつつ、仕方ないので手帳の白紙の部分に自分の名前とバンド名と日付を入れる。意味不明にどうもすみませんなんて頭を下げて手帳を返すと、サラリーマンも「ありがとうございました」と頭を下げて席へ戻っていった。

「やるなあ、ケイちゃん」

 あんたのせいだろう。

「いいなあ、如月さん、今度CD持ってくるからわたしにもサイン下さいよ」

「やだよ」

「何でー?けちー」

 上原が唇を尖らせてむくれた。コーヒーを飲み干して立ち上がる。カウンターの内側に入って、マスターの分のカップと一緒に洗い始めた。俺もアイスコーヒーを飲み干す。

「俺の名前書いた紙なんか持っててどーすんだよ。使い道ないだろ」

「サインって用途を求めるもん?」

「欲しいと思ったことがないから知らない。……ごちそうさま、マスター。また遊びに来ます」

「うん、ちょくちょく遊びにおいで。知っての通り、暇な店だから」

 会計をしようとするとマスターに止められた。ありがたく受けておくことにする。礼を言って店を出ようとした俺の背中に、マスターが追いかけるように声をかけた。

「今度にでも、飛鳥ちゃんに音楽の話してやってくれ」

「え?」

「彼女も、音楽やってるから」


          ◆ ◇ ◆


 11月に入って、吐く息の白さが目立つようになってきた。

 事務所の駐車場に車を停めて外に出ると、俺は微かに体を震わせた。事務所までの短い距離だから上着は車の中に置いて来たのだが、ネルシャツ1枚にTシャツではやはり寒い。と言って、取りに戻るほどの距離でもない。

 今日から、4枚目のシングルのレコーディングが始まる。

 10月に出したシングルの売れ行きは時間が経つほどに伸び、今は驚くべきことにチャートの10位以内に食い込んでいる。

 辛うじてではあるが、これまでチャートなど縁がないといっても過言ではなかったので、信じられない。曲を作った本人に言わせればシングルのどれも良い出来だったが、事務所とスタッフの違いとはこれほど顕著に出るものかとも思う。

 それにあわせて雑誌の取材など仕事は飛躍的に増えたし、テレビにも何度か出演することが出来た。概ねコメントのみの短いものだが、馬鹿にしてはいけない。それだけのことが、どれほど違うか。1月には、遠野が2週間ほどラジオ出演することも決まっている。

 事務所の中は暖かく、俺はほっと息をつき、無意識に入っていた体の力を抜いた。

 事務所は入ってすぐ左手に事務室があり、右手にはやや広めのスペースが開放されている。ソファとローテーブルが冗談程度に置かれ、灰皿や自動販売機もあるのでロビーと通称されている。出入り口付近だから冬は少し寒く長居するには向かないが、ちょっと一息いれる程度には問題なく、事務所に来た時はわりと俺は利用させてもらっている。廊下をまっすぐ行くと会議室だの応接室だのがあるが、今のところ俺にはあまり関係がない。

 俺はロビーを突っ切って、階段を上った。この事務所は3階建てのビルで、2階にはレコーディングスタジオがひとつとリハーサルスタジオがひとつ、それから会議室がある。3階は会議室ばかりだが、ほとんどアーティストの溜まり場であり物置と化しているようだ。

 プロダクションとしては、事務所に内輪のスタジオを内蔵しているのは珍しいらしい。

 CRYというメガヒットアーティストがこの事務所に所属していて、彼らのスタジオ使用料が馬鹿にならないので事務所内に思い切って作ったと言うが、俺はこの事務所に移籍して以来CRYがここのスタジオを使用しているのを、残念ながら見たことがない。

 階段を上がり、左手にあるスタジオのドアを開ける。リハスタの方だ。リハスタとレコーディングスタジオはコントロールルームを介してつながっていて、特にリハスタの使用申請を出しているアーティストがいなければ、レコーディング中の控室として使用出来る。

 スタッフは既にいるようだが、案の定、スタジオには誰の姿もなかった。今更だ。Blowin’のメンバーはどいつもこいつも、ありえないくらいの遅刻魔である。

 今日は集合が10時ということで、今9時50分だから全員揃うのは多分10時半くらいだろう。

 一応『仕事』の認識はあるはずだから、あまりスタッフに失礼なことはしないだろうし、少なくともこれまでのレコーディングはそうだった。

 練習の為に外のスタジオなんか昔借りてた時は、2時間しか借りてないのに残り30分くらいになって全員が集合したことさえ多々ある。俺はもう諦めている。

 『EXIT』には、あれから一度しか顔を出していない。

 その時に、俺に似ていると噂の平泉信介と会った。俺に負けず劣らず無愛想と言うかぶっきらぼうな奴ではあったが、別に悪い奴ではなさそうだ。

 ぼんやりと『EXIT』のことを思い出していると、不意に上原のことを思い出した。そう言えばマスターが、彼女も音楽をやっているとか言ってたな。あまりあの時は詳しく聞かなかったけれど、今度会ったら聞いてみようか。

(上原か……)

 とりあえずすることもないので、ギターを取り出してチューニングを始めた。ギターにシールドを繋いで、チューナーに挿す。ビーンと弦を弾きながら、上原が転落してきた日のことを思い出した。

 今から、4年前のことだ。

 当時23歳だった俺は、まだプロのミュージシャンを目指して夢を追い掛けている一介のバンド小僧だった。

 その頃良く利用していたライブハウスのPAエンジニアの女性とまだ付き合い始めたばかりで、あの日が初めてのクリスマスだったのだ。その彼女が、『アスカ』――瀬名明日香だった。上原と激突したのは、瀬名との待ち合わせをしていた青山の喫茶店に向かう途中だった。

 ……本当に、瀬名のことが好きだった。

 一生一緒にいたいと感じたのは、多分彼女が初めてだろう。

 ワケありで当時Blowin’は活動停止をしていたし、音楽を続けていくことに不安を抱えていたせいか、エンジニアになるんだと一途に真っ直ぐに自分の夢を追いかけていた瀬名の強さに惹かれた。家族も仕事も振り切って、自分ひとりで夢を追いかけるその姿勢が、女性ながらかっこ良いと思った。

 結果、彼女が振り切ってきた仕事や家族と同じように……俺も、置いていかれることにはなったのだけれど。

 ぼんやりと当時の光景を蘇らせていると、不意に俺の後ろで、防音扉が開かれる重たい音がした。

 スタジオはリハスタもレコスタも、防音のため総じて扉が重たい。ぎぎぃと軋む音に、意外に早いなと思いながら振り返ると、やはりそこにいたのはメンバーの誰でもなかった。

「おはようございます」

「おはよう。……彗介くんだけ?」

「いつものことです」

 年齢不詳の顔ににこやかな笑顔を浮かべて入ってきたのは、サウンドプロデューサーの広田さんだ。

 とは言っても、Blowin’には長谷川さんという別のサウンドプロデューサーがついているので、俺たちの音を直接広田さんが見ていると言うわけではない。俺はあまり接点がないので良く知っているわけではないけれど、ただ、ブレインを実質上運営をしているのが広田さんだと聞いている。Blowin’を前の事務所からこっちへ引っ張ってきたのは広田さんだとも。

「プリプロは聴かせてもらったよ」

「あ、はい」

 防音扉を開けっ放しでそこに立ったまま、広田さんは言った。プリプロとはプリプロダクション……正式に録音する前の音源を指すのだが。

「良いじゃない。この前のがミディアムバラードだったからね。今度のはポップの要素の入った馴染みやすいロックって感じで。せっかく勢いついてきたから、このまま乗っていきたいところだしね」

「はい」

「仕上がりを楽しみにしてるよ」

「ありがとうございます」

「じゃあ、頑張ってね」

 多分、単に様子を見に来たのだろう。それだけ言って出て行きかけた広田さんは、ふと足を止めて振り返った。

「ああ、そうだ。彗介くん、女の子の友達とか多い?」

「は?」

 まさか合コンしようってわけじゃあないだろう。

 質問の意図がわからないまま、返答する。

「や……そうでもないですけど」

「そう? 今さ、女の子バンドを売り出そうか考えてて。メンバー揃えてるんだけど、ヴォーカル出来るコがうまく見つからなくてさ。このコだっていうコが。いないかなあ」

「ちょっと、わからないです」

「まあ、気に留めといてくれる? 良いコいたら紹介してよ」

「はい」

 ぎゅっと防音扉をロックして、広田さんが出て行った。先ほどの広田さんの言葉を胸で反芻する。

(勢い……か)

 確かに、せっかく上向きの風が吹いてきたのだ。どうせならこのまま乗っていきたい。

 来月に発売されるアルバムには、それほど期待をしているわけではないんだけど。10月のシングル『OVERNIGHT』も入っているわけではないし。

 むしろ問題なのは、『OVERNIGHT』が収録されるアルバムの売上だろう。予定ではその前に、今回録音するシングルも含めて数枚のシングルが出ることになっている。

 それらのシングルの売れ行き如何でアルバムの稼働率は相当変わるはずだし、その後にレコ発ツアーの話もあるのでそのツアーにも大きく影響を与えると思う。来月のアルバムはともかく、シングルで落ち込めば恐らくそのまま消え行くハメになるだろう。それだけは何としてでも避けたい。

 けれど。

 実のところ、この後春頃にレコーディングを予定しているシングルの楽曲がまだ出来ていない。まだ時間はあるのだし焦らず……とは思うのだが……。






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